ファイト・ドクに聞く:レフェリーにとって、打撃による試合のストップはどの時が適切なのだろうか?
MMAjunkie.comより
レフェリーがMMAの試合を打撃で止める場合、いつが適切なのだろうか?
MMAjunkie.comのメディカル・コラムニスト兼コンサルタントのドクター・ジョニー・ベンジャミンが説明するところによれば、公式に決めるの難しいのだという。
だが、ファイターが脳震盪を起こした時や深刻な健康上の問題に影響を受けている時には、彼らが厳密に定義することを模索できるような兆候があるはずだ。しかし、近年のプロフェッショナル・ファイティングを見回してみれば、それらのサインの多くは無視されている。
ドク、私はあなたをツイッターでフォローしていますが、あなたは頻繁に試合のストップについてコメントしています。あなたはレフェリーが打撃で試合を中止させるのはいつが適切だと思いますか?
-匿名から
試合を止めるのはとても難しいですが、多くの理由から極めて重大な責務です。常に覚えておいてください、レフェリーの主な責務とはファンに賞賛されるように計らうことではないのです;他の何よりも優先して、レフェリーとは-いかなる時も-選手の安全を確保しなければいけないのです。
MMAのレフェリーになるということは、とても重要かつ驚くほどに難しい責務を負うことです。レフェリーが下した判断は、すぐさまそれを知る全ての聴衆からの限りない審査に晒されることになります。レフェリーの審判と裁定はファイターの健康とキャリアを、プロモーターが作ったファイト・カードの人気を、そして公的な賭け事の金を左右します。会場とオンライン上の腹を立てたファンからの罵声はすぐに、そして意地悪く飛んでくるのは言うまでもありません。
この職務に携わる方々に私は敬意を持っています。
私はこの問題について純粋に選手の安全性の観点から言及してみたいと思います、大勢のファンの方々が同時に他の問題を考えているだろうことは承知の上です。また同様に私の意見が大多数にとって評判の良いものではないであろうことも承知しています、しかし過去にそのせいで躊躇したことはありません。
最初に、持論の土台を作らねばなりません。
調査の結果が示唆しているのは、傷ついた脳の健康状態は脳震盪の直後の時間というものが非常に重要だということです。この時間中は、相当に影響を受けやすくなっている脳をさらなる外傷(打撃による鈍い衝撃とサブミッションによる血流と酸素の不足)の可能性から守らなければなりません。近年の医学的立場としては、あらゆるアスリート、特に接触があるアスリートで脳震盪が疑われて然るべき場合には、それ以上の競技への参加を阻止しなければなりません。
脳震盪の定義は、通常の脳の機能としての外傷的途絶です。意識の途絶(KO)は脳震盪が起きた際に必ずしも発生するわけではありませが、定義によれば、全ての意識の途絶(KO)は脳震盪です。(ここで明確にしておきますと、『フラッシュ』ノックアウトはまさしく脳震盪であり、同様に扱われるべきです。)
まだ付いてきてくださいますか?
もしレフェリーが脳震盪が起きたという確かな根拠に基づく疑いを持ったのならば、選手の健康は保護される必要があります、そして試合を止めるべきです。レフェリーは明確な医学的診断をする必要はありません-しかし脳震盪と思しきサインに油断なく気を配り、それに応じて素早く行動をします。実際に、頭部への打撃の後に脳震盪の疑いがある選手とはどのように見えるのでしょうか?
・バランスと筋肉の共同作用の喪失(『チキン・ダンス』をするとも呼ばれる、倒れる場所を探している)
・記憶喪失(ラウンドの合間に自分達がどこにいるのか、何が起こったのかを尋ねる、だからレフェリーはコーナーにいて聞いているべきだ)
・ぼうっとしている、混乱している、「ベルが鳴っている」、「鐘が鳴り響いている」もしくは「クィア・ストリートにいる(殴られて足はふらつき、目が虚ろになった状態)」
・頭部への打撃の後の、倒れまいとする素振りのまったく無い「猛烈な勢い」での転倒(特に顔面を打ちつけるか、頭部のどこかしらが最初にマットにぶつかった場合)
・自分の帰るべきコーナーを見つけるのが困難である(そしてコーナーにいる人達をすぐに判別できない)
・ラウンド間のコーナーでの嘔吐
・単純な指示に従うのが困難である、もしくはまごつく
・コーナーに戻る際に千鳥足で躓いたりする
私達は、選手がかなり疑わしい打撃を頭部に受けた後に「試合続行」を許可され、さらには奇跡的に復帰して勝ってしまった試合を見てきました(パット・バリーvsチェック・コンゴを思い浮かべてください)。劇的であること、それは疑いようがありません。しかしかつて脳震盪を起こしたファイターは復帰して試合に勝利することはできないということを言った人は一人もいませんでした。
もう一つの一般的な誤解は「リカバリー・タイム」という考えです。もし選手が素早く回復すれば、その試合は止めるべきではないと多くのファンは信じているようです。しかし私は問わねばなりません:何から回復したというのですか?彼、もしくは彼女が受けたと思しき脳震盪からですか?選手の安全性と脳震盪の可能性という話において、頭部への打撃からの回復というのは適切な判断過程の一部ではありません。ファイターが頭部への攻撃からの回復が必要ならば、それは単に試合の中止を喚起すべき要因です。
私は自身の医学的見解が大多数の方にかなりの不評であろうことは承知しています、しかし患者とアスリートの安全性を向上させる医者になるというのは、しばしば人をうんざりさせるものなのです。患者とアスリートの適切な安全性というのは譲ることができません。
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毎度おなじみ、ドクター・ベンジャミンによる適切なストップのタイミングについてでした。この人は本当にいいドクターだといつも思います。
初期の頃から、MMAではストップするタイミングの是非で揉める試合が多くありました。選手自身が「まだやれたのに」と抗議するケースが多々ありました。一方で「何故もっと早く止めないのか」という試合もありました。
ストップが早すぎた場合、様々な問題が起こります。
まず選手にはキャリアに一敗が加わり、得られる金が減ります。連敗で解雇される可能性が跳ね上がるUFCにおいて審判の判断ミスで黒星をつけられた場合、選手は生計が掛かっていますからこれは当然抗議します。もし幻想などをもたれている選手であれば、彼の名誉と名声は失墜し、ファイト・マネーがぐんとお安くなってしまうかもしれません。
次に、ファンが激怒します。もっとやれたはずなのに何故止めたんだ、あの審判は無能のクソヤロウだとネットで、会場で叩かれるでしょう。せっかくの試合が興ざめし、消化不良な感じが残るかもしれません。最悪次からMMAに金を払わなくなるでしょう。金を賭けてる人などはさらに凄まじい罵詈雑言を浴びせるはずです。
そして運営会社が怒る可能性があります。期待度の高い試合で余力が残っていそうにも関わらず早すぎるタイミングで止めた場合、当然の結果としてファンはがっかりします。もっとお互いが力を出し切った試合が見たかったのに、としょんぼりしてMMAに対する興味が薄れるかもしれません。運営会社としては最も痛い展開ですので、やはり審判に対して文句の一つも言う可能性が出るでしょう。
自分が一番印象に残っているケースとしては、やはりMMAのレジェンドであるエメリヤーエンコ・フョードルがダン・ヘンダーソンに敗れた試合です。バックを取られた状態から、ヘンドが放った顎の下から突き上げるようなパンチを受けてフョードルの体がフッとマットに沈みこんだのを見て、ハーブ・ディーンがすかさず試合を止めました。このストップは早すぎるとして多くのファンが激怒し、フョードル自身も不満を示していたのを覚えています。自分は適切だと思いましたしヘンドすげー!とはしゃいでいましたが。
ストップが遅すぎた場合、これも問題が発生します。
この場合起きる問題はただ一つ、選手が不必要なダメージを負うことであり、それによって競技生命を絶たれたり引退後に重度の障害を負ったり、最悪死亡してしまう可能性があるということです。パウンドによる追撃が失神して無防備な状態の選手に続けられた場合、まったくダメージを軽減できませんのですべて身体にクリーン・ヒットします。素人ですら意識のない相手を殴りつけたら殺してしまう場合があるくらいです。極限まで鍛え上げ、より効果的にダメージを与える技術を身につけたファイターが無防備な人間を殴り続けたら、恐らく死亡する可能性は素人の比ではないでしょう(一方で、選手自身危険だと感じた場合に攻撃を弱めたり、追撃をやめて審判に判断を促すケースもあります)。
チョークで失神した状態のまま絞め続ければ脳への酸素供給と血流が遮断され、脳の一部が破壊されて障害が残ったり、最悪死亡するケースも出てくるでしょう。タップできる足や腕と違い、タップする間もなく落ちてしまうこともありますので止めるタイミングはレフェリーにかかっています。
このケースで一番記憶に新しいのはやはりジョン・フィッチ戦でしょう。完全に極まったチョークでジョン・フィッチの身体が弛緩したにも関わらず、レフェリーはただその有様を屈んで眺めているだけでした。好きな食い物のことでも考えていたのかもしれませんし、落ちたジョン・フィッチのダラリとした身体を見て、そうだ今日は麺類にしようとか思っていたのかもしれませんが、いずれにしろとんでもない過失です。バークマンがフィッチ殺害という十字架を背負いかけていることに気づいてすぐに技を解いたおかげで事なきを得ましたが、最悪のレフェリングでした。
そしてドクターは、迷わずストップが早いほうがいいと述べています。その論拠として挙げているのが、近年の調査結果を土台にした脳震盪の危険性です。
脳震盪の定義は外傷的途絶としています。これは意識が完全に無くなるブラック・アウトのみならず、断続的な症状も含むとのことです。その兆候として上記に症状一覧がありますが、このサインを厳密に拾うならば現状でもストップはかなり遅いということになりそうです。
私達は脳震盪というとどうしてもブラック・アウトのみを考えがちです。しかし実際はもっと軽度の症状でも脳震盪と認められるということです。そして何故ドクターが脳震盪の兆候が見えたらすぐに試合を止めるべきだと言うのか。それは脳震盪を起こした状態の脳は極めて危険だからだということです。
文章中では「影響を受けやすい」という表現をしていますが、わかりやすく言い直せば危険に対処できない状態なのでしょう。意識が軽度であっても混濁し、認識に支障が出ているのならば当然です。自分が今危険なことすらも認識できない可能性があるからです。
そしてもうひとつ、こちらは特に興味深い指摘だったのが、「リカバリー・タイム」という誤解についてです。恐らくこの誤解を生んだ原因の一つは元ライト級王者フランキー・エドガーでしょう。彼はダウンしても必死で食らいつき、持ち直して二度の逆転勝利を掴んでいるからです。
ドクターは言います。もし選手の安全性を考慮するならば、そもそも「リカバリー」という概念自体が入り込んではいけないのだと。脳震盪を起こしたのなら試合をストップする。起こしていないのなら続行する。脳震盪を起こしていながら、回復したのだからストップをするべきではないという考え方は医学的には「ありえない」というのです。
これは難しい問題です。フラッシュ・ダウンすらも脳震盪と定義すれば、多くの試合が完全決着することになります。GSPもコンディット戦でベルトを手放していたことになるでしょう。自分としては、倒れた際に落下に備えていれば続行可能でいいのではないか、と思っています。
例を出せば、エドガーはメイナード戦でダウンしましたが、彼は倒れる際に落下に備えており、かつすぐに体勢を立て直して相手の追撃に備えました。バランスも喪失してはいないということになりますので、これは脳震盪ではない、と考えていいのではないかと思います。
一方でフョードルのヘンド戦での倒れ方は、顔面からマットに突っ伏す形でした。これは上記の脳震盪の定義に当てはまります。もっともあの時はマットと頭が極めて近かったというのはあるでしょうが、やはり危険な落ち方に見えました。ハーブ・ディーンが試合を止めたのも、恐らくあの倒れ方を見たからに相違ないはずです。つまりハーブ・ディーンは、脳震盪のサインを極めてよく見ているということになります。
このあたりが恐らく一番難しいところでしょう。しかし、基本的には早めに止めるほうが好ましいでしょう。早く止めてファンに消化不良な感じが残ったほうが、続行して選手に障害や後遺症が残るよりかは遥かにマシだからです。
ドクターが言っているとおり、近年ではどの競技でも選手の安全性確保はかなり厳格になっています。ボクシングの試合でも、一昔前なら続行してたような状態でも止められることが多くなりました。不満そうな顔をする選手も多いですが、そもそもそんな状態になるようなミスをした時点で負けと考えればそれほどに問題はないかとも思います。
選手の安全性を確保し、余計なダメージを負うことが無くなれば選手寿命は延び、結果的に一敗を喫してもそれを取り戻す機会に恵まれやすくなるでしょう。競技である以上、競技者の安全性こそがまず最優先で考えられるべきだと自分は考えています。例えそれがお互いを壊しあうコンバット・スポーツであってもです。むしろコンバット・スポーツだからこそと言えるでしょう。
派手なKOを、完全な決着を、劇的な逆転勝利を見たいと思うのは自分も同じです。しかしそのために選手の心身を犠牲に捧げた瞬間、それはアスリートが競い合うスポーツから野蛮な見世物になってしまうと思っています。それは決して許されないことです。あくまでも互いが競い合った中で偶然に発生するからこそ尊いのです。
ファンはどうしてもそれを求めがちです。それは娯楽としてスポーツを見る以上仕方が無いことでもあります。しかし、金を払っているのだからお互い死ぬまでやれ、という下品な考え方は嫌いです。それは選手を奴隷か何かとでも勘違いした、選手の尊厳を踏みにじる考え方です。私はアマチュアからプロフェッショナルまで、MMAが好きでリングに上がる選手は全て等しく尊敬しており、そこに何らの差別はありません。全ての選手は人間であり、誰とも比較し得ない尊い物を背負って戦いの場に足を踏み入れています。私が紹介する海外の記事も、基本的にはその背負うものを紹介したいと思って選んでいます。それを知ることで、私達は選手を娯楽を提供する奴隷戦士から、尊敬すべき闘士として見ることが出来るようになるからです。
もちろんどう考えようとそれは個人の自由です。エンターテイメントであることを重視する考えもあっていいと思います。しかし私は、選手の命と安全を第一に考えて欲しいと思っています。近年のストップが早い傾向も好意的に見ています。これが正解というタイミングはないかもしれません。だからこそ、医学的根拠を基に考えて最善に近づけていくべきではないでしょうか。
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ダウン時の試合続行の判断は難しい所ですが、転倒時の落下への備えというのは確かに良い判断基準だと思われますね。vsダンヘン時のヒョードルは脇の下の死角から顎を打ち抜かれた上に、アンダーフック→脇潜りからバックという技自体に予備知識が無かったのでは無いかという推察を、高阪剛氏が言っていた記憶があります。全く予想外の攻撃を受けたヒョードルは一瞬ですが失神状態にあったと思われますし、それを見抜いたハーブ・ディーンは、微妙なレフェリーも多い北米MMAの中で、信頼に足る名レフェリーだと考えます。
返信削除先日のマクドナルドvsエレンバーガーで両者の消極性が槍玉に上がっていましたが、一方で実際に試合をする側はこれだけのリスクと対峙している訳で、そこを乗り越えアグレッシブに戦える選手には尊敬を覚えますが、単なる観戦者がそのリスクを強要するのは、やはり傲慢と言わざるを得ないですね。実際に何かしらの競技経験があれば分かるとおもうのですが、あれだけ過酷なルールで戦うUFCファイターは皆、とてつもないアスリートですよ。
なるほど、確かにヒョードルはあの技術になすがままでしたね。
削除UFCのルールですが、以前知り合いのキックボクサーの人にMMAはどうだい?と聞いたら「グラウンドの攻防が怖い」と言っていました。グラウンドで肘ありのルールとかものすごい怖いですよねw本当に選手は勇敢だと思います、特にボーンズと対戦する人は。
フラッシュダウン即終了というのは全局面的なMMAの本質と若干異なる気もします。
返信削除レースにおいて速度制限がある印象でしょうか。
あるいはタイトルマッチを20オンスのグローブで行うのにも似ているような気がします。
本質が勝負なら、そのための才能を発揮させ逆転の可能性はなるべく排除できないと思ってしまいます。
そういえば、前田日明は打撃でのダウン即カウントでしたね。
それは本当にそう思います。選手に最後の最後、ギリギリのところまで可能性を残してあげたいと思う反面、選手自身が気づかない内に危険な水域に入っている時にはすぐに止めてあげて欲しいとも思っています。やはりレフェリーの知識と技術向上が目下一番の課題になりそうですね。
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