2012年12月6日木曜日

ジョン・フィッチVer2.0はリスクを恐れない ジョン・フィッチ取材レポート

一か八か!ジ・「アンチョーカブル(首を極められない)」ジョン・フィッチは2.0にアップグレードする。 著 デレク・ボーレンダー

MMAjunkieより

RIO DE JANEIRO, BRAZIL - OCTOBER 13:  (L-R) Erick Silva attempts to secure a rear choke submission against Jon Fitch during their welterweight fight at UFC 153 inside HSBC Arena on October 13, 2012 in Rio de Janeiro, Brazil.  (Photo by Josh Hedges/Zuffa LLC/Zuffa LLC via Getty Images)

写真はUFC公式より

インディアナ州、ラファイエット-GPSはライノズ・ジムの周辺まではあなたを導いてくれるだろう、しかしあとの部分は自分で考えるのが義務だ。

それはPM4:18分、火曜日の午後のことで、ダッシュボードから噴き出る女性の指図の声に対する私の信頼は刻一刻と薄れつつあった。UFCウェルターウェイト・コンテンダー、ジョン・フィッチ。彼はセミナーを正確に12分から始める。そして私は「そんな男」になりたくはないと思う。

「エンシノ・マン」という映画の中にこんな光景がある。ブレンダン・フレイザーのキャラクターが騒々しいクラブに一足踏み入れると、唐突に音楽は止み、その場にいる全員が振り返り彼をじっと見つめるのだ。私は願わくは、こういう類のあまり広くない入り口を避けたいと思う。

一方フィッチは、そこににどうやって入るのかを正確に心得ている。そのジムは彼の長年の友人であり、トレーニングパートナーであるモー・アミンが所有しており、パーデュー大学の東にたった数ブロックのところに位置している。その大学で彼は4年間レターマン(学校内で運動競技で優秀な学生としてレター表彰を受けた人)であり、大学レスリングチームのキャプテンだった。

そこはまた偶然にもフィッチが最初にMMAを始めた場所であり、カリフォルニアのアメリカン・キックボクシング・アカデミーに彼が移籍するよりも前のことだ。彼は今なおAKAにいる。AKAは彼を底辺からUFCのタイトル・チャレンジャーまで育て上げてきたのかもしれない。しかし、最初の輝きはライノズの青いマットの上にきらめいたのだ。

私はその区画を二度も周り、車を止めて13番通りを北に歩く決心をした。あるドアの右側にジムの名前が書かれたちっぽけなサインが掛かっているのを見つける前のことだ。それは外からは二階建ての住宅用建築に見えるが、しかし明らかにここがお目当ての場所だ。フィッチは後になってから、そこは正確に区分けされていないんだと言った。それか正確に区分けはされていて、それがまったくジムに見えないだけなのか、それともそんなことは重要なことじゃないのか。



(写真はライノズ・ジム公式より)

ライノズはこういう類の場所だ。あなたは中に入る、そして右のドアから入ったかどうか定かではない。しかしあなたはすぐに悟る、それが唯一のドアだと。私は木製の階段を通る。靴を脱ぐためにマットの端で立ち止まる前にだ。椅子に座る前に、ちょうどよく私はフィッチとアミンに挨拶しようと部屋の中央に顔を向けた。

私は息を呑み、参加者を11人数えた。それは多い人数ではない、しかしとても閉鎖された空間のように感じられた。全員がフーシアー(インディアナ州の住民の呼称)の生来の知恵を手に入れる機会を得ようと必死に見えた。

フィッチがどうして翌2週間をオープン・フォーラムのために取りたいかを説明したが、私は彼のサブミッション・ディフェンスについて尋ねるのにはどれくらいかかるのか、もっと具体的に言うと彼が「アンチョーカブル」ファイターであるという幻想の裏にいる技術者について聞くにはどれくらいかかるのか、などと考えていた。MMAの世界において公式には「シング」になっているし、彼が柔術ウィザード、デミアン・マイアと2月2日のUFC156で対峙する時の最新アナウンスでも恐らくその呼称で呼ばれ続けるだろう。

彼がジョン・フィッチ2.0に変貌したのだという幻想もまた、UFC153で非常にプッシュされていた有望株エリック・シウバに勝ったあのスリリングな「ファイト・オブ・ザナイト」以来、数週間の間にすっかり人気の話題になっていた。

「アンチョーカブルだって???」ノートパッドの一番上のチキン・スクラッチ(汚くて書いた人にしか読めない文字)の中に私はそう書いた。そしてその運命の日を待ちわびている。

フィッチはフィッチになる

実際のところ、ジョン・フィッチ1.0には大して問題はなかった。あの男は信じられないくらいよかった。偶然にも彼は同じ場所で、まるで長期に渡り常に偉大な王者GSPのように試合を操作していた。彼こそはUFC87のタイトルマッチにおいてワンサイドのユナニマス・デシジョンでフィッチが敗れた相手である。

UFCにおいて、13勝1敗1分という戦績なぞ欲しくないというファイターがいるだろうか?答えは間違いなく「誰もいない」だ。

ゴールは必要なあらゆる手段を用いて勝つことであり、それは彼が精密に実行していることである。彼の退屈な、レスリングベースのスタイルは必ずしも絵的に大衆を喜ばせるようなものではなかったが、効果的だった。

UFCには彼を扱う独自のユニークな方法があった。それはこういうような方法だ。彼を誰も見ないプレリミナリーカードに配置したり、その戦いに負ければ全てを失い、勝ってもなんら得るものが無い相手を彼にオファーしたり、それが約束されたような場合でさえ、彼には二度目のタイトル・ショットの機会を認めないというものだった。

最近になって、フィッチは完全に新しい見解を持っている。

「この数年を通して私が学んできたことの一つは、戦いはそれ自体はスポーツだが、それを取り巻くすべてのことは大きなサーカスだということだ。」と彼はMMAjunkie.comに語った。「もし君がサーカスの中心の輪になれるようなら、彼らは君にこのスポーツで地位を得るチャンスをくれるだろう。」

「私は戦いをスポーツのように扱いたい、でもそうじゃない。ほとんどエンターテイメントなんだ。私は戦いの中で、ファンの人たちが自分を見たいと思わせることに十分な時間を費やしてこなかった。それは私が受け入れねばならないことの一つだった。もしビッグ・ファイトを得たいのなら、金を稼ぎたいのなら、ファンに試合を見たいと思わせていくんだ。」

UFC141、ジョニー・ヘンドリックスとの試合の中で、12秒のシングル・レフト・クロスは彼がかつて飛んでくるのを見たことが無いモンキー・レンチ(めちゃくちゃに崩壊させる物の比喩)だった。

それはここ3年半の中でフィッチ初の敗北だった。9年前、フックンシュートでの初々しいライトヘビー級の試合の時、ウィルソン・グーヴェイアが彼を膝で捉えて以来初めてのノック・アウトだった。

二ヵ月後、2012年2月の彼の34歳の誕生日が間近に迫ったころ、メディアやファンの間での話はどうして嫌な予感がするのか、ということについてだった。ジョン・フィッチ1.0は公式に自分の仕事を失っていた。

たちまちのうちに、彼は頑丈から「チンニー(ボクシング用語で顎が弱いこと)」になり、上層に位置するコンテンダーから新進気鋭のファイター達をテストする男になり、そしてスターのためのゲートキーパーになろうとしていた。彼にはタイトルにたどり着くための他の現実的な方法など取れそうも無かった、そうだろ?このステージじゃない。彼が30代半ばに差し掛かっている間は無理だ。それは終わりの始まりだ、と彼らは言った。

UFC153、エリック・シウバとの試合への賭けの傾向はそれを全て物語っていた。フィッチはチーム・ノゲイラとX-Gymからやってきた最新の大物に対してアンダードッグだった。

試合そのものは猛烈な一進一退の展開だった。フィッチは1と3ラウンドの要所でグラップリングを用いてより巧くコントロールしたが、打撃とサブミッションの試みにおいて遥かに積極的に見えたし、リスクを恐れずに行こうと望んでいるようだった、言うまでもなくこれまでの彼よりもだ。彼が一度だけ本当に危なかった時はラウンド2に訪れた。彼はトリップにいこうとして失敗し、バックを取られてしまった。シウバはリアネイキッドチョークで締め上げようとしていたようだが、タイミングよく、フィッチは危機から逃れる方法を見つけ出してしまった。

彼に新たに見られたリスクへの欲求は、以前よりずっとよく見える彼のパフォーマンスとなって現れた。

「思うに私はより自信がついたんだ。もし思い切ってやってミスを犯しても、自分はミスを乗り越えていけるし戻ってこれるし事態を好転させるだけの実力が十分あるんだということにね。」とフィッチは説明した。

消耗しきった若きライオンは頭を抑えられた。そして年季の入ったベテランは自身を然るべきコンテンダーに再建する。ジョン・フィッチ2.0が誕生したのだ。

「私は本当に(シウバとの)試合でこれまでと違ったことなど何もしてないんだよ、二回、特別に賭けに出たほかにはね。それは二つのミスに繋がった。」と彼は言う。「でも未だに同じタイプのゲーム・プランだし、同じタイプの試合だよ。大きな違いは私が早く仕掛けるようになったことだね。他の試合では自分は仕掛け始めるのがちょっと遅かった。試合を見比べてもらえばそれがわかるだろうし、思うにそれが主に変わったところじゃないかな。」

きっと、ジョン・フィッチ1.0は昔のままだ。

彼は私たちが思っていた通りの人で、私たちは彼を窮地から救い出した

セミナーに三つの質問を持っていった、そして生徒の一人が目の前の目標に挑みかかった。私は知っていた。彼がフィッチにバック・ディフェンスに関わる様々なテクニックと戦略を実演して欲しいと望むまでにそう時間は掛からないであろうことを。

私は衝撃を受けた。フィッチがわずか数分の間に話した本当に様々な紆余曲折によって。彼がデイブ・カマリロとレンドゥロ・ヴィエイラの指導の下、数年に渡りどれほどこの不利なポジションに置かれていたのか、私には想像することしかできない。

フィッチはハイとローに抜けるバック・エスケープを始めた。彼は上に登るかわりに下を潜り抜けるほうを好む。「私はあんなふうに奇麗にはできない(上に登ることを)」と、彼は皆に言った。彼は手首のコントロール、手の取り合いなどの重要性を強調する話に移った。

それはオクタゴンの中で何度も何度も行われ、私たちがディスプレイ上で見てきたものだ。シウバやBJ・ペンからのリアネイキッドチョークであっても、パウロ・チアゴによるブラボーチョークであっても、弘中国義の三角締めであっても、彼はいつもカウンターを取ってきた。彼は出口を見つけてそれを一蹴した。

長年の試行錯誤は彼の熟達を導いてきた。しかし私が伝えられる限りにおいて、彼はいまだ人間だ。そして人間は自然によって躓かされるものだ。AKA内での日々の戦いを見れば一目瞭然だ。

「今年の夏は三度三角締めを極められたよ。」とフィッチは認めた。「一度だけ(違った形の)チョークでタップしたのはたぶん、わからないけど、たぶん10年前だ。久しぶりだよ。時々だけど、背の高い奴に捕まったりする、自分が忙しかったりするとね-(ルーク)ロックホールドに時々、あとウェイン・フィリップスにも時々ね。」

だから皆これはチャンスだと言う・・・。

フィッチは様々なサブミッションへの防御に優れているが、実際は、彼はその戦術を直接的に攻撃の口火を切るために、そしてポジションを改善するために使う。彼はそれをこう呼ぶ、「疑似餌」と。

「多くの奴らにこれをやってきたよ。」とフィッチは言う。「ディエゴ・サンチェスにも散々やったね。首を突き出したり、手を放り出したりして餌を撒いてね。相手に尻の位置を変えて欲しそうにする。相手に腕を取って欲しそうにする。そしてそれこそは次の攻撃の準備なんだよ。相手が腕を取ろうとすると、私は腕を引っ込めてハンマーフィストを打てるポジションに入って、それから殴って腕を取りながら後ろに回るんだ。」

「私は相手にサブミッションにいけるか考えさせるような方法をたくさん持っている。そして相手は最初のときよりも悪いポジションにいるだろう。」

そういうイジメを歓迎するだろう男がいる:デミアン・マイアだ。

チョーカー、アンチョーカブルと出会う

芝は緑で、空は青い。そしてデミアン・マイアは朝食に黒帯を食べる。複雑な時が絡み合い、鉄壁のサブミッション・ディフェンスで知られる男の前に柔術世界チャンピオンが立ちはだかったことは、全ての格闘技ファンが陶酔してしかるべきオツなマッチメイキングの一つである。

「(UFCが)電話でオファーしてきたんだ(マイア戦を)。そのことについて話しているのは知っていた。その話は(UFC153の)戦いの後のプレス・カンファレンスで持ち上がってた。それは筋が通ってて十分なステップのように見えた。皆はそれを見たいと思ってるし、自分もそれはいい試合だと思う。彼は170パウンドでは完全に別の獣だ。」

マイア、元ミドル級タイトル挑戦者はウェルター級に落としてドン・ヒョン・キムとリック・ストーリーを連続で破って2勝0敗である。

フィッチはいつも彼の能力に感心していた、階級など関係なしにだ。

「彼は他の奴らが練習でしかできないようなことを出来る男の一人だ。」と彼は言う。「最近の選手を極めるのは難しい。簡単じゃない。そして彼はチェール(UFC95でのソネン)にやったような卓越した動きができる―上からも下からもスイープして三角絞めに行くようなね。彼は次のレベルにいる。」

私はフィッチにお願いした。スーパーボウル・ウィークエンドでマイアと対戦する際に、勝利を見出すために必要な三つのことを明らかにしてくれと。

「自分の背後を遠ざける必要がある。」と彼は言った。「それは言うのはとても簡単だ。私はクリンチを支配できなければいけない。そこから彼はテイクダウンを狙ってくる。彼は実際クリンチが非常に巧い。それに心肺機能、でもそれはどの試合でも自分は必要だろうと思う。それは主要因だ。どの試合でも少なくともそれが三分の一を占める、いや、そこまでじゃないか。」

フィッチアはすでにキャンプに備えてアイデアを練っている、さながら米兵の特別任務のように。「わざと遅く動くようにするんだ。」そして「他の人に自分の上でもっとコントロールさせるんだよ。」

マイアの向こうで、何が店に並んでいるか誰も知らない。まだ土俵の上にいる上昇中の他の多くのコンテンダーとともに、この情勢について考えるのも悪くない。未知のこと、可能性があまりにも多すぎる。

「出来ることは、目の前にある正解に注意を向けることだけなんだよ。」とフィッチは語った。「それが今自分が集中してることだ。ある試合で、あるファイターはその状況にすら注意を払わない。」

昔のジョン・フィッチは自身を病的に熟慮されたシナリオに沿って運転した、そしていつも安全にプレイしていた。アップグレード・バージョンはノリノリだ。

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以上、マイア戦の決まった最近のジョン・フィッチさんの取材でした。長かった・・・。海外でもファンが急増中のフィッチさんですが、これまでと何が違うかといえば「リスクを恐れなくなった」ということですね。もし勝機に飛びついて失敗しても、また挽回すればいいんだ、過剰に恐れなくていいんだ、という気持ちを持てるようになったとのこと。本人は以前と戦略では変わらないよ、と言っていますがこれは大きな違いです。常に自分からリスクを負って攻めることで、確実にフィニッシュに近づきますし、結果的に勝利も得やすくなるのではないかと思います。

MMAをスポーツとして扱いたい、だが一方でスポーツは娯楽である、という狭間で悩んでいたというフィッチさんが下した結論もまた「リスクを負って攻める」ということなのでしょう。これは派手な試合をしようとすることとは似て非なる要素だと思います。積極的に攻めることはスポーツでは重要なことであり、またこれを維持できる選手が強いのです。そしてその強い気持ちこそが、名勝負を生み出してファンを虜にする源となります。MMAファイターとして理想的な心構えでしょう。今まで見た中で一番バランスの取れたMMAへの考え方と思います。

さあ、マイア戦では果たして「アンチョーカブル」が勝つのか?それとも「チョーカー」が締め上げるのか?最強の矛と最強の盾、どちらが強いのか!?今から楽しみですね。


余談ですが、MMAjunkieの人はいい文章書く人が多いですね。訳しやすいというか、文章が比較的奇麗な感じです。MMAweeklyの文章は訳しにくい・・・w