以下は個人的な意見ですので参考程度にどうぞ。
ウェルター級 5分3R
WIN ローリー・マクドナルド vs ジェイク・エレンバーガー
(ユナニマス・デシジョンによる判定勝利)
fightmetricによるデータはこちら
二人の闘士がケージに足を踏み入れる理由

試合が始まった直後、「アレス」ローリー・マクドナルドの矛が煌くや「ジャガーノート」ジェイク・エレンバーガーの顔面を貫いた。顔面が後方に弾け飛び、ジャガーノートの表情が苦痛に歪む。もしかしたら、勝負はこの時に決していたのかもしれない。
日本時間2013年7月28日にシアトルで行われた「ザ・ジャガーノート」ジェイク・エレンバーガーと「アレス」ローリー・マクドナルドの決戦は、ジョニー・ヘンドリクスに続く王者挑戦権を賭けた試合と目されていた。激戦区のウェルター級では、一度王座への切符を手放したら次に回ってくるのは22世紀かもしれない。決して負けるわけにはいかないのだ。
ジェイク・エレンバーガーは優れた身体能力と爆発力を持ったファイターだ。高校時代はダイビングとスイミングをやり、その後友人がMMAに参戦したのを見て練習を始めたのがこの世界に入るきっかけとなった。大学でレスリング・チームに参戦し、レスリングのアシスタント・コーチの傍ら心理学を専攻する。
彼には一人の兄がいる。名はジョー・エレンバーガー、高校時代からアメフトとレスリングをやり、大学時代にはディビジョン2で二度にわたりオール・アメリカンになった男だ。心理学で学士と博士の両方を取得したエリートであり、そしてMMA戦績では11勝無敗と文武両道の才覚に溢れた人物だ。弟よりも遥かにMMAに向いていそうなジョーは、今現在闘うことが出来なくなっている。正確にいえば、彼は毎日闘っている。迫り来る死神との終わることのないラウンドをだ。
彼は24歳のとき、PNH(発作性夜間ヘモグロビン尿症)と診断された。世界でも患者数が極めて少ない難病の一つだ。この病気と診断された患者のほぼ半数が10年以内に死亡する。加えて、この病気に処方される薬剤ソリリスは年間にかかる費用が40万9千ドルであり、世界で最も高い薬と言われている。医者は言った、ジョーの余生において格闘技などもっての他だと。兄弟二人でUFC王者になる夢は途絶えた。
ジェイクは言った、私は自分のために戦っているわけじゃないんだ、と。私は兄のため、家族のために闘っているようなものだ。それは自分のため以上のことだ。きっと君は、なんでそんなことをしているんだと思うだろうね、と。兄にも、そして弟のジェイクにもあまり時間は残されていなかった。ジェイクは一秒でも早く、ウェルター級王座に辿り着かなければならなかったのだ。彼のKOをもぎ取ろうと焦っているような戦い方は、もしかしたらそのせいかもしれない。
だがそんな彼がマクドナルド戦を前に豹変した。まずマクドナルドに突然トラッシュ・トークを浴びせたのだ。GSPのおかげで評価を得ただけだ、ランキングが不当に高いのはそのせいさ、彼が第二のGSPだって?冗談はやめてくれよ、不愉快極まりないね。ジョークを交えつつ繰り出す言葉のジャブは鋭く、人々はジェイクが突然披露した才能に驚嘆した。
そして彼はインタビューで答えた、自分はMMAの考え方を変えたのだと。皆はあんまり真剣にMMAを考えすぎだ、それは競技なんだ、ただ楽しんで、皆を楽しませればいいじゃないか。自分はそういう戦いをしたいのだ、と。
だが一方で、MMAで勝つと言うことは忍耐の連続だとも発言している。24時間闘い続けねばならない、それはたまに離れることができるようなものではない。そしてMMAで勝つために必要なこと、それは山盛りのクソとよろしくやっていくことだ、辛いこと、嫌なことと付き合っていかなきゃいけないし、ちょっと離れることが出来るようなものじゃあないんだ、と。
果たしてどちらがジェイクの本音だったのだろうか。それともどちらも真実なのだろうか?ジェイクの兄、ジョーのことを知った今、私は初めてジェイクの言いたかったことがわかったような気がする。つまりこういうことだ、兄ジョーのためにも彼は試合に勝たねばならない、しかしそのために思いつめすぎて負けてしまっては本末転倒だし、何よりも深刻になりすぎれば、兄のことを重荷に感じていると思われてしまうかもしれないのだ。「もう私の人生は十分に深刻さ。」という言葉の意味がようやくわかった。彼の愛する兄は難病に犯され、30歳を超えた後にどれくらい生きられるのかもわからない。PNHは緩慢にだが確実に進行してジョーの身体を蝕んでいくだろう。この世界に愛する兄、憧れである兄の死以上に思い悩むことなどありはしないのだ。
その現実からすれば、MMAでの試合などたかが競技だ。しかしそのMMAで頂点に立つことこそ、エレンバーガー兄弟の悲願でもある。たかが競技さ、そう思わなければもう、彼の逞しい両肩ですら支えきれない重荷が圧し掛かっていたのかもしれない。きっと、彼は何も変わってなどいないのだ。そして彼はこの日も兄のためにケージに足を踏み入れたに違いない。
対するローリー・マクドナルドは恵まれた体格と強靭な精神力、そしてまだ24歳ながら豊富な経験と素晴らしい勝負勘を持った選手だ。彼は6歳のときにUFCを見て以来、ずっとそこで闘うことだけを夢見ていたのだという。これまでの選手のほとんどが別のコンバット・スポーツをバックボーンに持っていたのに対して、最初から総合格闘技のジムに通っていた彼は、選手紹介でスタイル「MMA」と表記される純然たるMMAファイターだ。
無敗のままキャリアを築き上げてUFCに参戦した彼は、その2戦目で「ナチュラル・ボーン・キラー」カーロス・コンディットと対戦する。今から3年前のことだ。殺し屋の距離を制して削る闘い方に対処できず、彼は終盤でとうとう殺し屋に捕まって仕留められてしまう。彼はそれをキッカケにジムを変えた。行き先はトライスター・ジム、カナダはモントリオールにあり、彼と同じ階級の玉座に座す男、「ラッシュ」ジョルジュ・サンピエールが所属しているジムだ。自分に初めて土をつけた男を、王座統
一選で撃破した人物でもある。この移籍により、マクドナルドはいよいよ「軍神」としての才能が花開くことと成った。
特に印象的だったのが直近の試合だ。レジェンドである「プロディジー」BJ・ペンを相手に、打撃で圧倒して彼をサンドバッグにしてしまったのだ。しかしその時、誰が見てもフィニッシュを出来る状態で彼は止めを刺さなかった。安全策か、それとも後日彼が語ったとおり「挑発に腹を立てて痛めつけた」のかはわからない。だが、彼はフィニッシュにこだわっていないのは確かだった。そしてそのことに少なからず違和感も抱いた。では彼が戦いで目指しているものは一体なんだったのだろう?軍神が目的としているものとは?
フィニッシュをすれば評価があがる、ボーナスだって山盛りもらえるはずだ。にも関わらず、彼はそれらをすべて棒に振って意に介した素振りも無い。金でもない、ジェイクのように背負うものがあるわけでもない、それでは彼の目的と、その強さの源は一体-。それが、この試合で少しはっきりとしたような気がした。
軍神鉄壁の篭城戦、闘士の破城槌はわずかに届かず
苦痛に顔を歪めたエレンバーガーは、我に返ると顔の前を払って再び気合を取り戻す。そして距離を計り始めたところにまたしても長く速い軍神の矛が繰り出され、再び顔を貫かれると取り戻した気合が霧散していく。KOを狙うエレンバーガーの気力は少しずつキー・アリーナの中に溶け出していった。
互いの戦略は明確だった。
一撃のあるジャガーノートは、その強大な拳で若造の顔面を砕いてしまえばそれで勝利だ。しかしリーチで大きく劣る。彼はひたすらに距離を詰めてのインファイトを望んだ。
対する軍神が選んだのは篭城戦だ。攻めたがっている、近づきたがっているのは相手のほうなのだから、リーチで勝る自分がわざわざ近づいて危険を冒す必要は無い。どっしりと構え、エレンバーガーの射程外から強烈な左ジャブを的確に当て続け、それで相手が弱ればまた少し戦線を押し上げればいい。彼が出てきたらひたすらに距離を取れば捕まらない。
そして、戦略的に有利だったのは軍神だったのもまた明らかだ。決め手となったのは軍神の矛であり、そしてエレンバーガーがその威力を見誤っていたことだろう。初撃で歪んだジャガーノートの顔は、はっきり「想定外」と語っていたのだ。自分がパンチで負けるとは思ってもみなかったのかもしれない。
エレンバーガーは必死で距離を詰めるも軍神はさっさと外に逃げてしまい、決して打ち合いに付き合おうとはしない。エレンバーガーが足を止めて様子を見ると、自分の距離で的確に速く左のジャブを突き刺していく。そしてまた相手の出方をじっくりと窺う。相手が動き始めたのを見てからでも十分に逃げられる距離だ。エレンバーガーは考え続ける。どうすれば、何をすれば・・・迷う彼の顔に、冷徹無慈悲な矛がまたしても突き刺さり、汗とともに彼の考えと気力は飛び散っていく。エレンバーガーにとって、この日の時計は恐ろしく早く進んだに違いない。
かくて会場は大ブーイングに包まれた。前に出れないジャガーノートを責めるものか、ひたすらに自分に有利な戦いを、決して負けない戦い方をする軍神を批判するものか、それともその両方なのか。セミ・ファイナルは多くのファンを退屈させ、恐らく多くの人を落胆させるものだっただろう。何よりも不満だったのは、このままいけば最悪の判定により軍神が勝利することが確実だったからかもしれない。
戦略の差異と、その行く末
今回の試合に関して、自分は退屈だとは思わなかった。緊張感があったし、それなりに試合が動きそうな気配もあったからだ。もし不満があるとすれば、エレンバーガーが破城槌を打ち込む場所に気づいたのが試合終盤だったことだ。
エレンバーガーがこの試合で有効打を打ち込めたのは、アレスに組み付いたその離れ際だ。その一撃は強力で、当たった数はわずかにも関わらず軍神は鼻血を垂れ流し、顔面にアザのようなものが出来ていた。勝機は間違いなくあったのだ。
軍神は左ジャブを徹底するためにスタンスが完全に打撃に偏っていた。そしてエレンバーガーが組みに来ると、すぐさま体勢を変えてタックルを切る形に変えていた。しかしこの切り替えには隙があった。差しあいのために体勢を起こしたところにエレンバーガーの渾身の一撃は炸裂していたのだ。もっと序盤から、クリンチかタックルのフェイントだけでも使っていれば恐らく試合展開はまったく違ったものになっていたかもしれない。3Rの右フックが1Rに当たれば、彼はUFC王者に一歩近づいていただろうと思う。差しあいのときのマクドナルドは、それくらいあの離れ際のパンチに反応できていなかった。
だから敗因は足を止めて見合いがちだったことと、序盤でのタックルの選択肢を捨てていたことだろう。足を止めずとにかく組み付いて乱戦に持ち込む必要があった。あまりにも自分のパンチを過信しすぎたのか、それともKOを狙いすぎたのだろうか。打撃圧力に屈した軍神がタックルを狙ってくると思ったのかもしれないが、どの道戦略は少し甘かったといわざるを得ない。もっとも、彼はそうしたというよりも、アレスの矛によってそうなるように追い込まれてしまった、というほうが正しいだろう。エレンバーガーは攻めなかったのではなく、攻め手を見失ってしまったのだ。そしてそれは軍神が強かったからだ。
試合前の突然のトラッシュ・トークは、もしかしたら軍神を城からおびき出すための戦略だったのだろうか。確かに軍神が城から打って出てくれば、それを打ち倒すだけの力はエレンバーガーにはあった。だが、そんなことをせずとも彼にはもっと優れた戦い方があったはずだ。グラウンドでも、きっとそこまで不利ではなかったのではないかとも思う。
エレンバーガーは試合前、上位20位以内に入れば選手同士の差はわずかだといった。確かにエレンバーガーの言うとおり、上位選手の差は本当にわずかだ。しかしそのわずかな差が全てであり、そしてその差が永遠に埋まらないのがスポーツなのかもしれない。
そして軍神の勝利は完璧だっただろう。見事なゲーム・プランだ。割れんばかりの大ブーイングを浴びても平然どころか浴びてることにすら気づかないような表情は、恐らくサイボーグのほうがもっと感情豊かだろうと思わせるほどだ。結局エレンバーガーとの舌戦も彼には何ら影響を与えなかった。彼は冷酷無慈悲に己が勝つために必要なことをやり続けた。距離を維持してジャブ、相手が出てきたら打ち合わずにさっさと下がる、タックルが来たらすぐに反応して突き放す。さらに遠い距離で蹴りを使って相手が入れないようにする。そのどれもに無駄がなかった。
彼の勝利目標は極めて単純だ。徹底的に有利な土俵に立ち、一切の危険を冒さずにキャリアに1勝を加えることだ。それは彼の偉大なる先輩であり友人でもある、GSPの哲学をより徹底したものに見える。
皮肉な話だ。軍隊経験があり、難病に侵された兄のために闘うエレンバーガーが試合を競技と捉え、純粋なアスリートとしてMMAのケージが生きる場所だったマクドナルドはMMAを戦争と捉えている。エレンバーガーにはMMAより大事なものがある、しかしマクドナルドにとって一番大事な物はMMAだ。だからこそ、ケージでの勝ち負けはマクドナルドにとっては生き死にと同じなのだ。彼にとって、ケージを失えば彼の生きる場所は失われてしまうのだ。ファンのことも、人気のことも、フィニッシュのことも二の次だ。まず勝たなければ死ぬことに等しいからだ。
MMAで目指すもの、ケージの中で望むこと
私は戦略としてのこの戦い方はあっても構わないと思う。そういう選択肢もあるだろうし、そしてその戦い方は事実強い。フィニッシュに価値を置かないという考え方とそのメリットもわかる。隙を生まなくなるし、無理をしてスタミナをロスすることも無いからだ。しかし彼は、そのデメリットにも気づいているのだろうか?
フィニッシュを狙うというのはリスクを冒すことだ。そしてリスクとは何かといえば、それは自分の意思で危険なところに足を踏み入れることだ。確かにそれは危険だが、その先には完全勝利という最高の宝が眠っている。そしてそこに足を踏み入れて切り抜けた経験というのは、勝利以上に価値があるものではないだろうか。
そしてその経験が生きるのは自分が土壇場に立たされた時だ。もはや手詰まりというところで危機を切り抜けて勝利を奪い返すには、このリスクを冒した経験が大きく物を言うと思っている。死地に立たされたときに自分の身を省みずにただひたすらに相手を打ち倒す意思を持てるかどうか、究極的にはそれが戦いにおいて最も重要だと私は考えている。マクドナルドの闘い方は、混戦になったときに脆いと思うし、今回の試合でも終盤にその気配は見えていたのではないだろうか。
何より、試合において相手を完全に打ち倒すことを考えなければ、それは最後まで相手に逆転の可能性を残してしまうことになる。可能な限り早く相手をフィニッシュしようと考えるよりも、ひたすらに相手を封じ込めて最後まで有利でいようと考えるほうが精神的な負担も大きいのではないだろうか。疲労やダメージで一瞬でも気が抜ければ、もしくは乱戦で少しでも慌ててしまえば、そこから破綻する可能性は高い。GSPはかろうじて殺し屋の弾丸に耐え抜いた、しかしあれで立てなかった可能性も十二分にあるのだ。
そして当然フィニッシュをしなければボーナスはない。加えてこの戦い方を退屈と考える人が増えれば彼の人気は落ち、仮に王者になったとしてもPPV収入などは減るし、ファイトマネーにも影響するだろう。もちろん本人が金などどうでもいいというのであれば構わないが、金について文句を言う権利は失うだろう。UFCのシステムは、相手をフィニッシュすることを目的に闘う選手がより得をするようになっているからだ。
しかしよく言われる、こういう闘い方が格闘技をダメにするというのは違うとも思う。闘い方も、その目標設定も全ては選手の自由だ。どう選ぼうと自由だし、ルールの範囲内であればどんなだろうと文句をつけるべきではない。退屈な試合を全選手がすれば競技の人気が落ちてダメになるという意見もあるが、それはありえないだろう。もしそこまで退屈になるのであればルールを見直すべきだし、現状は十分にKOや一本は生まれているのだからまだその段階ではない。
競技の人気不人気は選手の責任ではない。それは面白さを伝える運営会社や広報、中継の責任だ。ルールに欠陥があるとすればそれを是正するのはコミッションと運営会社だ。何故選手がその戦い方を選ぶのか、何が目的か、そしてその戦いで何を見るべきなのかを見ている人に伝えることにもっと注力するべきだろう。
理想的なのはテニスの緊張感だ。あの息を呑む感じは、静寂と静止から生まれている。そしてかつてあったPRIDEが面白かったのは、この緊張と静寂があったからではないだろうか。もし今回のような戦い方がつまらないなら、それは放送している人間の責任が大きいだろう。エレンバーガーが苦心している様子を見て、まるで動きが無いから退屈だというようなことを放送する人間が喋ってしまえば視聴者は退屈するだろう。しかしエレンバーガーの苦境を仔細に伝えれば、そこに緊張感が生まれるはずだ。
今回のもマクドナルドの闘い方が悪いのではなく、それを突き崩せなかったエレンバーガーが弱かっただけなのだ。勝ったマクドナルドも相応の批判と罵詈雑言を浴びるだろうし、金銭的にもやはりもらえる額が少なくなる。何よりファンを減らし、自分の評価も下げることになるだろう。そして試合で極限まで自分を追い込まなければ、全力にならなければ彼の伸び代も次第に減っていくだろう。彼には相応の結果が待っている。
そしてそれを選んだのは軍神自身なのだ。彼はそれを知った上でこのやり方を選んでいる気がする。それもまた選手の個性であり、特徴の一つなのだ。全員がKO狙いのブルファイトを展開するのであれば見る価値はないのだ。そしてまた、こういう戦い方をする選手をどうやって慌てさせるか、どうやって攻略するのかを見るのがまた面白いと思っている。
最後に、私は思ったことがある。きっとアレスが再びカーロス・コンディットと再戦すれば、彼はまたしても敗れるだろうということだ。
エレンバーガーはフィニッシュを考えていた、しかし余計なことを考えすぎていたし、パンチで打ち倒すことにこだわりすぎた。マクドナルドはフィニッシュを考えなかった。しかし彼はそれによって生まれる危険性と、ゲーム・プランが崩れかけた時の脆さも見せた。そしてカーロス・コンディット、大きな翼を背中に持つ彼は、ケージの中でとにかく相手を打ち倒すことだけを考える。それは自分に打ち克つことでもあり、ただフィニッシュを狙うのとはまた違う、武士道のような考え方だ。彼は決して何かに固執せず、ひたすらに相手の隙をついて相手を終わらせることを望む男だ。かといってフィニッシュに焦ることも、不利な状況で手をこまねくことも無い。鉄火場に進んで足を踏み入れて動じない殺し屋の闘争心は、きっと築き上げた軍神の城を攻め滅ぼすと思っている。
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