2013年10月13日日曜日

MMA版あの人は今!喧嘩屋ジェラルド・ゴルドー編

彼らは今どこにいるのか:UFC1のジェラルド・ゴルドー編



MMA Fightingより

ジェラルド・ゴルドーはハーグ出身の空手王者で、彼は理屈の上では18か月に渡るミックスド・マーシャル・アーツのキャリアを持つが、実際には実験的な夜が二回あっただけだった。

最初の夜、1993年11月12日、それは歴史的なものとなった。ゴルドーはコロラドはデンバーに登場した、極真空手の模範として、コンバット・スポーツのメドレーの中で彼のスタイルをテストするためにだ。第一回のUFCは8人の男によるトーナメントで、最も緩いルール一式のみで行われた、その大部分は事態が全体的に重大な何かに陥らないようにするためのものだ。このブラック・マーケットの業務の勝者は-元々は中世の堀とその中を周遊するアリゲーターがいることを想定していたが-5万ドルを受け取ることになっていた。そして規律とあらゆる階級、サイズ、そして国籍の枠組みが次々と緩められた、誰がアルティメット・ファイティング・チャンピオンかを決定するためだ。

それはジャン・クロード・ヴァンダムがこの類のアンダーグラウンドに対するマーケットを有していた時だった。多くの人が空手、それがマスターによってなされた時、比類なきものだと信じていた。その蹴りは、もしマスターによってなされたならば、馬鹿どもを天井の梁にまで吹き飛ばすだろうと。ゴルドーはヴァンダムのようには見えなかったし、指の先をチョップの中に巻き込んで手を握ってはいなかった。彼は8度空手王者になり30勝近くしていたが、彼はほとんどまったく感情がない仏頂面をしていた。彼は6フィート5インチで普通の人の体型をしていた。

そのうえ彼は暴力の権化だった。UFCで史上初の試合において、彼はハワイの相撲レスラーのテイラ・トゥリと戦った、比較して200ポンド以上の差があった。次に起こったことは会社の伝説の一部となった。

試合開始からちょうど20秒というところでゴルドーはトゥリの顔面を蹴った。伝説にある通り、千の歯のような何かが紙ふぶきのように飛散した。それらのいくつかは記者席のテーブルの上に飛んでいった。それらのいくつかはマクニコルズ・アリーナのスタンドに入り込んだ。それらの二つ三つがゴルドーの足に埋まりこんだ、そしてそれはハーグに戻った時に抜き取る必要があっただろう、4500マイルほど離れた時に。トゥリ、それは言葉で表現するならば、君が見る平均的なパク・フィッシュ(人に似た歯を持つ魚、グロい。キ○タマハンターとしても有名)よりもたくさんの歯を持っていた。

いずれにしろ、ゴルドーはその最初のUFCの試合に勝利した、そして歴史に向かうその道筋を定めたのだ。

「私は何か新しいことへの挑戦に招かれていたんだ。」とそのオランダ人、現在54歳の彼はMMA Fightingに通訳を通して語った。「それはエキサイティングなイベントで、その類の最初の一つだった。私たちはその時に我々のスタイルで何ができるのかを見出したかったんだ、それは空手、サバット、柔道、レスリングだ。」

そしてブラジリアン柔術、それはその夜に北米シーンで大ブレイクした、どこをどう見ても普通の人間にしか見えないホイス・グレイシーがそのフィールドで短時間の仕事を成し遂げた時のことだ。ゴルドーがキックボクサーのケヴィン・ロウジアを準決勝で負かした後、彼は黒帯4段のグレイシーと決勝で顔を合わせる予定だった。グレイシーはすでにケン・シャムロックを突破していた、彼は予想では優勝者になると信じられていた男だ。その時点では誰も知らなかったが、グレイシーはVHSの遺物となる過程にいたのだ、そのVHSはUFC選手名簿の半数を奮起させてこのスポーツに関わらせた物だ。

グレイシーは道着を纏えば最高の男で、彼は静かに戦いを再定義していた、そしてゴルドーは彼の行く手に立ちはだかる(トーナメントの)最後の一人となった。運命は最初の交差点で巡り合った。

ゴルドーはわずかに足を引きずってケージに入った、なぜなら(明らかに)彼はトゥリの歯の破片が彼の足に入ったままだからだ。その足には包帯が巻かれていた。グレイシーは一切無駄な時間を使わなかった。彼は飛び込んで、ゴルドーを片足で飛び跳ねてフェンスに行かざるを得ないようにした、そして彼はまっすぐ立った状態を維持するためにすぐさまそのフェンスを掴んだのだ。「ノー・ホールズ・バード(何でもあり)」の戦いの未開な初期の頃でさえ、フェンスを掴むのは厳しく禁止されていた、だからそのレフェリーは遠くからきつく叱り飛ばした。ゴルドーは手を放した。やや遅れて、ホイスは彼を足掛けでテイクダウンした。それからホイスはマウントになり、ヘッド・バットを落としていった。ゴルドーがハーフ・ネルソンの遠い親戚の類を用いたので、グレイシーは冷静にゴルドーのバックを奪った。その時のどこかで、ゴルドーは彼の歯をグレイシーの素敵な道着に食い込ませたのだ。

「もし君が敗れたら、君も彼に、それによって君を思い出すような何かを与えるかもしれないよ。」とゴルドーは今日では笑っている。

グレイシーは素早くリアネイキッド・チョークで圧迫してゴルドーはタップした。そしてグレイシーはそれを手放さず、ゴルドーは再びタップした。彼はタップにタップを繰り返した、レフェリーがそれを見たのだとはっきり示すまでだ。

そして全てが終わった。ゴルドーは極められ、そしてグレイシーは新たなるファイト・ゲーム・ムーブメントの先駆者となった。有名な元NFL選手のジム・ブラウン、彼は第一回UFCで珠玉のコメントをしていた、ビル・ウォレスとケイシー・ロングが一緒に並んでいたが、それは以下のようなものだ、「私は自分のスポーツを見つけた。」

発見したのは彼一人ではない。ブラジリアン柔術は本物だった。

「その時ホイスは最高のファイターだった、さらには当時BJJを誰も知らなかったし、私はグラウンドですべて間違った動きをしていた。」とゴルドーは言う。「我々はグラウンド・ゲームでは柔道とレスリングが使えるのみだった。今日では我々にはyoutubeがあるし、他のあらゆるメディアがすべてあるんだ。もし我々がその頃に戻って知ることができたら、我々は異なった準備をしていただろうね、当たり前のことだが。」

20年後のゴルドーは、彼の兄弟のアルとニコと共に、ハーグにあるドージョー・カマクラという彼が所有するジムを経営している。多くの名を知られたファイターたちがゴルドーの施設に通っている、それはムラッド・ボウジディ、オランダ系チュニジア人のキックボクシング王者を含む。

「我々はマーシャル・アーツを教えている-キックボクシング、空手、MMA、BJJ、etc。-そして私はまだトレーニングしているし、我々の組織に所属するあらゆるレベルの選手の開発に助力をしている。」とゴルドーは言う。「我々には道場や世界中の提携道場があるんだ。」

最近オランダにある彼のジムに訪れた一人の訪問者は、ゴルドーがUFCの歴史においてある場所を分かち合った男だった。

「昨年ホイスがハーグにある我々のジム内に私たちを訪ねて来たんだ。」と彼は言う。「それは我々が話してから20年経って初めてのことだった。何もわだかまりはなかったよ!」

そしてトゥリの歯はどうなったのだろうか?彼は本当にそれらを抜き取らなければならなかったのだろうか?

「ああ、それは本当さ、私はオランダでそれを取り除いてもらったんだ、我々が家に帰った時にね。」と彼は言う。「だから傷跡がある-歯は大したことなかったんだが、感染症にかかってね。人間から噛まれるのは犬の噛み付きよりもずっと危険だね!」

ゴルドーは彼の経歴中にもう一つプロのMMA試合がある、1995年、日本で中井祐樹を相手に行われたヴァーリ・トゥードの試合だ。彼は第4ラウンドにヒール・フックによって敗北し、彼のスポーツヘの参入は幕を閉じることになった、だが参入した時のごく限られた情報は、20年ほど後の歴史の中において今なお比類なき要素だ。

----------------
というわけでMMA版あの人は今!記念すべき第一回はケージに上げてはいけない人第一位、ジェラルド・ゴルドーでした。恐らく日本ではこの人に対する反感は凄まじいと思います。

彼がMMAに参戦したのは、そのネーム・バリューに反してわずかに二試合、それが第一回UFCへの参戦と、1995年、忌まわしきサミング事件が起きた中井選手とのヴァーリ・トゥードの試合です。wikiを見ると試合数に差がありますが、恐らく海外ではこの2試合以外はプロレスと判断されているのだと思います。悪名の高さから、もっとあちこちで試合をしているのだとばかり思っていました。実は自分は世代的に95年時はまだ格闘技を知らなかったので、サミング事件についての詳細は知りません。このあたりは自分より詳しい人も多いでしょうし、折に触れて報道されているでしょうから今回は触れないことをあらかじめご了承ください。

彼はUFCの記念すべき第一回に、空手の代表として招かれました。当時はジャン・クロード・ヴァンダムが人気で、こういう方面にはかなり影響力があったようです。映画の影響か、人々には空手幻想なるものがまだかなりあったみたいですね。空手マスターが蹴れば人は天井の梁まで吹き飛ぶ!と思っていたみたいです。こういう中で呼ばれたゴルドーは、どうもみんなが思う空手マスターとは大分異なる容姿でした。顔は怖い、身長は高いけど体型は普通、いかにも空手家っぽい動きもしていないと、完全に期待外れだったようです。どういう人選で彼に白羽の矢が立ったのかは知りませんが、結果的に彼を呼んだことは良かれ悪しかれその後の総合格闘技の方向性に多大な影響を与えたのは間違いありません。

一方のゴルドーは、「我々」のスタイルを試すために参加したと述べています。この我々というのは彼の格闘技仲間でしょうか。そして驚くべき事実として、ゴルドーは当時の段階ですでにある程度の格闘技をミックスしていたようです。しかもそのバランスはかなりよく、空手、サバット、柔道、レスリングというチョイスは今でもそこそこ通用するスキル・セットです。MMAというはっきりとした定義ができるよりはるか以前に、彼は空手だけでなく、あらゆる状況に備えた武術を複数習得していたことになります。彼がそもそも何を目的としてこれらをミックスしていたのかはわかりませんが、これはとても興味深いことです。

そして彼の記念すべきMMAデビューであり、UFCの記念すべき初試合で、彼はハワイの相撲レスラー、テイラ・トゥリと対戦しました。相撲レスラーってなんだよと思ったのですが、この人は大相撲を引退された人だそうです。四股名は高見州 大吉(たかみくに だいきち)で、幕下の時に引退してしまったとのことです。その後新日本プロレスの練習キャンプなどにも参加していましたが、その翌年にUFCに参戦し、その初試合がこのゴルドーでした。運がなかったですね。

彼らの試合はネットに一杯転がってるので検索すればすぐ見つかります。突進を下がっていなした後、フェンスにぶつかって倒れこんだトゥリの顔面に一切の躊躇いなく回し蹴りを叩き込むゴルドーには背筋が凍ります。何かが飛び散ったかは画質が荒くて確認できませんでした。しかしわずか2発でトゥリの顔面は崩壊しています。歯は明らかに抜けていますね。まだ乳歯であったことを祈るばかりです。

これがUFC初の試合というのは、この後の総合に間違いなく大きな影響を与えたでしょう。表舞台に出てくることのなかったガチンコが、とうとうスポットライトの下に登場した瞬間です。余談ですが、テイラ・トゥリはその後俳優として活躍されているそうです。探したらFacebookがあって驚愕しました。怪我の跡もなく、とても陽気そうな顔をされています。エプロンがめちゃくちゃ似合ってますね、すごく美味しいステーキを焼いてくれそうです。

その後優勝すると目されていたシャムロックを下して、ホイス・グレイシーが決勝まで来てゴルドーと対戦します。この試合もまた伝説として残っているようですが、その伝説の理由はやはりゴルドーのせいです。この試合もネットで検索すればそこらじゅうにあります。今見ても、この時点でホイスはすでにかなり完成されたスタイルを持っていたことがわかります。ホイスはゴルドーを金網まで持っていくと、ゴルドーはテイクダウンを防ごうと咄嗟に金網を掴みます。

ここで驚きなのが、記事中でも指摘されている通り金網つかみは当時から反則であることです。意味が分かりません。トゥリの歯が吹っ飛んでいるわけですし、ゴルドーが噛み付きをしているのですからマウスピースは当然なく、グローブなんて文明的なものもありません。そもそもリングの周りに濠を掘ってワニを放流しようぜ、っていうのが最初の企画なくらいです。なのになぜ金網掴みが反則なのか。金網をはぎ取ってそれで殴るのが反則とかなら武器の使用ですからわかりますが、いまいち理由がわかりません。しかもものすごく厳しく注意されています。膠着を恐れたのか、それとも指が千切れる可能性が当時から判明していたんでしょうか?

ともあれテイクダウンされたゴルドーはマウントを取られます。するとホイスはなんと、パウンドではなく手を押さえつけてヘッドバットをかまします。これは強烈です。強烈ですが、ものすごく真面目な顔をしてヘッドバットをするホイスは腹筋が千切れるほど笑ってしまいます。それを嫌がったゴルドーはハーフネルソンというか腕をホイスの脇に差して、巻き込むように体勢を変えようとします。それをあっさりかわしてそのままホイスはバックを取るのですが、どうもこのときに道着を噛んだみたいですね。ホイスは咄嗟にゴルドーの後頭部にヘッドバットをして、その後追撃しようとして思いとどまります。かなり危険だというのを承知していたのでしょう。その後チョークで締め上げますが、レフェリーが止めないうちは一切離しませんでした。ゴルドーは最初小さくタップ→逆の手ですこし強めにタップ→両手で強くタップしてようやく解放されました。ちょっとゴルドーがかわいく見えました。

この一夜でグレイシー柔術は全米にその名を轟かせ、柔術ブームを巻き起こします。私は詳しくは知らないのですが、この時点で日本では柔術というのはどれくらい普及していたのでしょうか?詳しくご存じの方がいましたら教えてくださいませ。

その後忌まわしき中井戦を経て、彼はMMAの舞台からは去って(追放されて?)しまいます。そんな彼は今、オランダで総合格闘技のジムを経営しているそうです。今ならyoutubeがあるから調べて対策出来たのにとゴルドーは言います、あんたyoutube見てるのか。格闘家は結構研究にyoutube使ってる人多いですね。こういうのを見ると、オンラインMMA講座も意外と馬鹿に出来ないかもしれません。

そんな彼の元には、最近ホイス・グレイシーが訪れたそうです。遺恨はすでになかったようです。今のMMAの起点となった二人はどのような会話をしたのでしょうか。

たった20年前、MMAはまだこんなにも野蛮で未完成でした。死者が出なかったのは本当に幸運だったと思います。その過程で凄惨な怪我や事故などもありました。そして次第にルールが整備され、今日ではようやくスポーツとしての体裁を整えつつあります。その一番始まりの時に、ゴルドーのような暴力の権化が参戦し、かつ柔術を持って破られたのは一つの象徴だったように思います。彼はホイス戦で噛み付きという反則をして負け、さらには中井戦でサミングという反則をしてここでも結局負け、そして彼はMMAの舞台から去ってしまいました。ゴルドーという人間の残した記録と、そして彼がこのスポーツから去ったことは、MMAがその後健全なスポーツに向かって行くことを示す道標だったのかもしれません。

ホジマールが先日制止後にもサブミッションを解かなかったことで追放されました。いささか処分が重すぎるという意見もあります。しかし彼を容認した先にいるのが当時のゴルドーです。勝つために、もしくは勝ちを度外視してまで禁止された行動を取る、取ってしまう選手というのは、ルールによって厳しく排する必要があります。それがスポーツとして洗練されていくということです。

そしてゴルドーとホジマールどちらにも言えるのが、こういうタイプは決して強くないという点です。人を躊躇いなく壊せる人間、そしてルールをあっさり破る人間が頂点に立てることは稀です。ルールを順守できない、というのはつまるところ精神的な弱さです。ゴルドーは追い詰められた時、不利な状況にぐっと耐えて打開策が浮かぶまで待てないから反射的に反則をしてしまうにすぎません。人を躊躇いなく壊せてしまうと言うのも、結局は想像力が欠如しているに過ぎないのです。そして勝敗を最後に分けるのは、精神力とイマジネーションです。

本当の強さとはこういう暴力性には宿りません。そしてただひたすらに野蛮でショッキングなものを求めた先にあるものは、取り返しのつかない悲劇です。MMAは本当にまだたかだか20年程度の歴史しかありません。これから他の歴史あるスポーツが抱えてきた苦悩をMMAは抱えていくことになると思います。そしてもしMMAがこの先迷走することがあれば、その時にはこの始まりの場所に戻って、MMAが何を得て、何を捨てて進化してきたのかをなぞってみるのがいいかもしれませんね。

6 件のコメント:

  1. 文章にして見ると確かにゴルドーはホジマールやアイブルとは
    「試合に出しちゃいけない」レベルが違いますね
    頭に血が上ると何しでかすか分らないではなく
    最初っからネジが飛んでる感じです

    喧嘩屋というか殺し屋ですよね

    こんな物騒な人と試合形式のフルスパーやってくれる相手がいたんでしょうか?
    独習や片スパーでは
    護身術レベルならセンスによっては使えるでしょうが
    同程度の技量をもつ相手同士の試合で使える技術は限られた物になってしまうかと

    タップの件もエディ様の指摘読んでビビりました
    恐らく最初のタップでホイスが緩めたら
    何事もなくホイスに襲いかかっていたんだろうなと

    返信削除
    返信
    1. >こんな物騒な人と試合形式のフルスパーやってくれる相手がいたんでしょうか?

      自分で書いた文に突っ込むのもあれですが最初のルールて目潰しと噛みつき以外以外禁じ手なしだったんですよね

      とても「試合」形式のスパーは物騒で出来ませんね

      削除
    2. レフェリーが制止する前にホイスが技を解いたら、ゴルドーが何事もなかったように試合を続けていた可能性は高かっただろうと私も思います。たぶんそういう人ですw

      そして驚くべきは、ホイスがあの手の輩の手口を知り尽くして慣れていたことです。恐らくホイスもそれを承知で、かなりしつこく締め上げて完全に降参したことをはっきりさせようとしたのでしょう。噛まれたことへの反撃というよりは、そちらを考えての行動のほうが可能性が高そうです。

      ゴルドーはホジマールとは違うタイプの危なさですね。うまく説明できないのですが、全部わかったうえでああいうことをやっているような印象です。

      なので練習では意外にまじめだったのかな、と思ったりします。会ったことがないからわかりませんし、可能ならばこの先なるべく会いたくはありませんがw



      削除
  2.  個人的にはトゥリの現在が分かって嬉しいです。彼は当時24歳の若者だったんですよね。
     パトリックスミスやアボットの現在も知りたいですね。

    返信削除
    返信
    1. 言われて気づきましたが、ずいぶんと若かったんですね。大相撲を引退というので、勝手に結構な年だと思い込んでました。

      確かに初期MMAのファイターが今何をしてるかは、結構興味ありますね。ダン・スバーンなどはUFCの会場にいた記憶があります。

      削除
  3. ホイスは本気でゴルドーに怒っていましたね。
    中井との試合をあえて避けているのに申し訳ないですが、まぁ史上最低の格闘技の試合ですよ。私はビデオで購入して見ました。ビデオですら目潰し(サミング)が見えないように目に指を突っ込んでいたようですね。まぁしつこく延々とやります。本当に目をくりぬくためにやっているじゃないかってくらい長いです。客は、「おまえらホモか」とか「動け」とか、よもや、神聖なリング上で、人間の目をくりぬこうとしているとは夢にも思っていないことがうかがえます。
     ゴルドーは本当の畜生です。
     ただ、私が解せないのが、そのゴルドーをその後何度かリングで一緒に仕事するのが、なんと、その失明させられた中井の師匠である初代タイガーマスクである佐山ということなのです。佐山-猪木-新間ルートだろうと思うのですが、佐山の神経を疑います。

    返信削除