画像はUFC® 168 Weidman vs Silva II Event Gallery | UFC ® - Mediaより
ミドル級タイトルマッチ
WIN 王者クリス・ワイドマン vs 挑戦者アンデウソン・シウバ
(2R 足の負傷によるストップ)
王者は初防衛に成功
オクタゴンで一番顔を合わせたくない相手とは
本当に怖い人間とはどういうものだろうか。権威に媚びずに傍若無人に振る舞う人間、誰彼構わず喧嘩を売る血に飢えた人間、それとも加虐に喜びを見出す狂った人間だろうか?いや、こんな連中は底が知れているから大して怖くもないだろう。では本当の恐ろしさを持つ人間、ケージで決して顔を合わせたくない人間とはどういう奴だろうか?
それは純粋な人間だ。ただ一つの純粋な目的に、腹を括って突き進む奴だ。「オールアメリカン」クリス・ワイドマン、如何にも純朴そうな田舎くさいその男は、ケージの中でたった一つの意志の塊となる。「相手を倒す」、ただそれだけの純粋な結晶に。そこには他に何もありはしない。相手の体のことも、相手の未来のことも、彼が引退してしまうかもなどという心配もありはしない。おそらく自分のことに対する心配すらもないだろう。
その男は明確に相手を傷つける意志をもって左足を上げ、そして毒蜘蛛の足はへし折られた。
資本は己の体一つ、「オールアメリカン」の描いた奇跡
クリス・ワイドマンは普段は気のいい青年だ。王者になってから、彼は常にベルトを持ち歩く。ファンがベルトを持ったワイドマンと写真を撮りたいことを知っているからだ。だがそのベルトに執着はない。彼はベルトを着古したジャージのように取り扱う。ある時は事務所のベッドに置きっぱなしにし、またある時は車の中に一週間放置していた。彼はファンが望むから持つだけで、彼自身はそれに大した価値を見出してはいないようだ。
彼は現代のロッキーだ。まるで陳腐な映画のように、彼はどん底から這い上がってきた。大学時代、彼は多額の借金を抱えていた。日本円にして800万近い借金は、20代の若者が背負うにはあまりにも荷が重すぎた。彼は友人とランチに行き、「果たして金が支払えるだろうか」と内心怯えることもあったという。それはどれだけ惨めなことだっただろうか。
UFCの生きる伝説であった「スパイダー」アンデウソン・シウバと戦う前も、彼は極貧の状態だった。ハリケーンによって自分の家を破壊されてしまったからだ。「文字通りホームレスさ」と彼の柔術コーチであるジョン・ダナハー氏は語った。
彼には何もなかった、彼の体を除いては。だがそれで十分だった。彼の体こそが、スパイダーを倒して全てを手に入れる魔法の鍵だったからだ。彼の左拳が毒蜘蛛の顎に差し込まれた時、扉は開き、彼の眼前には夢のような世界が広がった。彼は一夜にしてスターとなった。彼の半生が映画になることはきっとないだろう。使い古されたサクセス・ストーリーでは、今や誰も感動しないからだ。
だがこれは夢ではない。ハッピーエンドの後も物語は続いていく。「マグレ」のレッテルを貼られた青年は、初防衛戦で再び毒蜘蛛と戦うことになった。オッズはスパイダーが有利、世間は彼の成功を実力とは認めていなかった。
慧眼の師レイ・ロンゴの完全なる戦略
だが先の試合は偶然などでも、ましてやアンデウソンの油断などでも断じてない。あれを油断と考えるのならば、全てのKOは偶然の産物だろう。挑発をしているから余裕があるのだ、と思うのはあまりにも浅はかだろう。余裕がないからこそ挑発という手段をすることもあるのだ。そしてあの試合では、あそこまでやってすらワイドマンを揺るがすことはできなかったのだ。私はあれを万策が尽きたと見た。そして今回のオッズを見て、世間がワイドマンをあまりにも過小評価していることに驚いたほどだ。それぞれの要素を並べてみれば、むしろアンデウソンこそが一発に賭けるしかない状況なのは明らかだからだ。
そして今回、その一発すらも読み切った男がいた。レイ・ロンゴ、クリス・ワイドマンのコーチである彼は、愛弟子に毒蜘蛛を仕留める秘策を授けていた。それがローのカットだった。
レイ・ロンゴは先の王座戦でもアンデウソンの欠点を見抜いた。ノーガードで挑発をして顔面を狙わせ、スウェーでかわしてカウンターを狙う毒蜘蛛の手口を見抜いたロンゴは、試合中に「胸を狙え!」とアドバイスをした。スウェーによって頭の位置が下がり、高さがおよそ胸のあたりになることを計算したのだ。果たして、手詰まりのスパイダーがスウェーを連発して足が揃い、フットワークが死んだところにワイドマンが胸の高さで放ったフックが的確にスパイダーの顎を打ち抜き、彼は伝説をKOして全てを手に入れた。
だが前回の試合で、ワイドマンが最も苦しんだものがある。毒蜘蛛の鋭いローキックだ。このローを自由にさせてしまえば試合のペースを持っていかれる。だから彼らはローのカットを仕込んで来たのだ。ワイドマンの師であるロンゴは、過去に脛に膝を当てるカットで幾人かを負傷させてきたのだと言う。試合後にワイドマンは語った。「ローをチェックしに行ったのならば、(負傷するのは)偶然だとは思わない」と。ワイドマンは相手の得意手を潰すために迷わずに相手を傷つける意志を持った。そして彼はそのことを後悔してはいない。
戦いを知り尽くした男の戦略と、それを実行しきる戦う意思の結晶体が合わさった時、その悲劇は訪れた。2013年のMMAを飾る最高最後のメイン・イベントは、歴史に残る凄惨なものとなった。
計量時、ワイドマンのシェイプはこれ以上ないほどに完璧だった。程よく絞られた均整の取れた肉体にはうっすらと脂肪がのり、ヘビー級の獣王、「ブラウンプライド」ケイン・ヴェラスケスを彷彿とさせる。決して無駄な筋肉をつけず、必要以上にカットが出ていない彼らの体は見た目だけならどこか頼りなさげだが、MMAはボディビルではない。自分がもっとも動きやすいフィジカルを選べばああなるのだろう。対するスパイダーは以前よりも絞り込んで、より精悍な印象だった。こちらも体のキレは以前よりもありそうに見えた。ただ、王者のころに比べて表情に少し余裕が無いようにも見えた。
そしてスパイダーはここで大きなミスを犯した。屈託のない、それでいて自信に溢れたワイドマンが求めた握手を拒否したのだ。
「スパイダー」の魔術の真髄とその誤算
彼のマジックの仕込みの一つは試合前にある、そう看破したのはワイドマンだ。毒蜘蛛は試合前、まるで自分は無害であることをアピールするかのように慇懃に振る舞う。そしてその過度な慇懃さの間に、突如として傲慢な振る舞いを混ぜるのだ。対戦相手は困惑する。どこまでが本心なのか、この闘争心の見えないおちゃらけた男が世界最強なのか?彼の態度に、選手は知らずどこか安心してしまう、もしくは必要以上に腹を立ててしまう。そうなれば仕込みは完成だ。そしてケージに入るとこの男は一変する。突如として毒の滴る牙をむき出し、獲物に猛然と襲い掛かってくるのだ。その変化に人は驚き戸惑い、気が付けば喉に牙を突き立てられてしまうのだ。
先の対戦でもスパイダーはトリックを仕掛けた。計量後のステアダウンでキスをしたのは皆も記憶に新しいだろう。だがそれ以外にもあったようだ、ロンゴは語る。計量時、入場するワイドマンのすぐ後ろにぴったりとアンデウソンは立ったのだという。若き勇者に、彼はプレッシャーをかけ続けたのだ。ロンゴは露骨に不快感を示していた。
だがワイドマンにはそんなものは通用しなかった。無一文で、クレジットカードが妻との連名でなければ承認されないような状況であっても、高価な柴犬を買うほどに彼は楽観的な男だ。ハリケーンで家を失っても王座戦を諦めなかったタフな野郎だ。そして彼は大学で心理学を専攻していた。彼は言った、スパイダーは試合前に対戦相手を精神的に破壊してしまうのだと。ホフストラ大学出身のレスリング・エリートは全てを見抜いていた。
今回も同じトリックを使った。握手の拒否だ。最初は一応握手をした。だが二度目にワイドマンが握手を求めた時、スパイダーは相手の顔を上目づかいで見ながらお辞儀をして、それを拒否したのだ。そのわざとらしさに、毒蜘蛛が揺さぶりをかけているのだと理解した瞬間-ほんの一瞬だが-田舎くさい彼の顔に背筋の凍るものが浮かんだ。怒りだ。それもただの怒りではない、大らかで誇り高い男の、礼を失した小賢しい真似に対する高潔な怒りの情が、彼の彫り深い眼窩にありありと浮かんでいた。彼はスポーツマンであり、アメリカン・ヒーローそのままの男だ。互いの健闘を誓おうという自分の素直な気持ちを踏みにじられ、明らかに憤慨していた。すぐさまやれやれという仕草で緊張を解いたが、彼の目には赤い炎が揺らめいていた。
私はアンデウソンが殺されるかもしれないと思った。世の中で最も恐ろしいのは純粋な人間だ。クリス・ワイドマン、常にファンサービスを忘れず、大病の子供に心から同情する心優しい素直な青年は、誰よりも誇り高い戦士であることを知らなければいけない。彼は世界で一番怒らせてはならない人種である。
マジシャンは、一度ネタのばれたトリックを使ってはならないという。それは己の進歩のなさを露見させてしまうからだ。金網の魔術師は、すでにばれた十八番のトリックに縋りついた。それはワイドマンの怒りを買うだけの失策だったと私は思った。
試合が始まると、双方ともにこれ以上ないほどに慎重だった。アンデウソンには聊かの緊張が見られたように思う。必要以上に距離を維持する。お互いが一発でダウンさせる力を持つことを身をもって知っているからだ。
そしてやはり先に仕掛けたのもワイドマンだった。彼の方が選択肢が多いからだ。打撃に付き合う素振りを見せ、スパイダーがいよいよ本格的にスタンドで立ちあおうとした瞬間、素早いタックルで足に組み付く。相手の切り替えを見抜いた仕掛けだ。一発でTDトライは成功した。
だがアンデウソンは素早く金網際で膝を立て、そしてワイドマンの首にするりと細長い腕を回す。タイクリンチだ。アンデウソンが過去に多くの選手から自由を奪ってきた蜘蛛の網だ。彼はこれで相手を動けなくしたところに、鋭利な膝を突き刺して勝利してきた。
今回もスパイダーはいい膝を当てた。だが相手は上背があり、さらには組の力ではアンデウソンを遥かに凌駕する。ワイドマンは上体を起こして膝を返すと、タイクリンチを無理やり解いて彼もまた腕を蜘蛛に巻き付けた。そしてアンデウソンがさらに体勢を変えて膝を打とうとした瞬間だ。ワイドマンは相手の頭を抱え込んだまま、上体の強さを活かして毒蜘蛛の腹に、次いで耳下に拳を叩きつけた。なんと、その一撃でアンデウソンは大地に転がり込んだのだ。
ワイドマンは相手を傷つけることに躊躇わない。彼は倒れ込んだ体勢をそのまますぐに利用して、レジェンドの顔面に空爆を開始する。ここに巻き込む民間人はいない。オールアメリカンは一切の躊躇なく、あたり一面を焼け野原にする。スパイダーの頭がマットとの間でバウンドする。時折肘が飛んできて、蜘蛛の硬い顔の甲殻を砕きに来る。滅多打ちだ。
スパイダーは面の皮が厚いのかカットはしないものの、その多くはクリーンヒットだ。スパイダーはガードの体勢を維持し、時折三角締めを狙う素振りを見せる。
これまではこの技術だけでよかったのだろう。ソネンとの逆転の魔法もこの柔術によるものだった。だが相手はもう旧世代のファイターではない。柔術とレスリングをハイレベルで融合させた「完全体」のファイターだ。柔術においてすら、ワイドマンはアンデウソンを超えていた。
抵抗するアンデウソンの長い足を嫌ったワイドマンは、アンデウソンの首に両手を回すとぐっと力を込めた。彼の腕に筋肉が隆起する。アンデウソンの頭は持ち上げられ、首の筋が浮き出す。ミリミリという音がここまで聞こえてきそうなほどに、ワイドマンはスパイダーの首を前側に引っ張った。カンオープナーだ。煩い蜘蛛の足を引きずりおろそうとしたのだ。アンデウソンの足の位置が下がり、三角締めによる逆転なぞあり得ないのだと言うことをはっきりと示していた。
その後、アンデウソンは打撃に切り替えて下からワイドマンを殴りつけた。理由はわからない、だが毒蜘蛛の牙は寝ていても危険なほどに鋭利だ。そんな体勢からの拳で、ワイドマンは鼻血を噴出した。人体を破壊する術をよく心得ている古の毒蜘蛛は、窮地においても攻撃しつづける。これも彼の強さだろう。そして1Rが終わった。
2R、開始早々にガードを上げてペースを早めたアンデウソンは自分から手を出していく。対するワイドマンも己の優位を確信してか、タックルの素振りを見せずにスタンドで受けて立った。互いに拳が届く距離にはならない。
ここで毒蜘蛛が、前回の試合でも有効だったインローを放った。反応できずにワイドマンは被弾した。これで効果を実感したのだろう、アンデウソンは間をおいて今度はアウトローを蹴った。
ワイドマンはこれを視線を下に下げずにカットした。膝で受け、アンデウソンは少し動きが止まった。後にワイドマンは言った、最初にカットしたときに、アンデウソンがそれで傷ついたことがわかったのだと。
スタンドのパンチはワイドマンが有利なように見えた。そしてロー、ハイを見せたアンデウソンに、ワイドマンは負けじと強烈なミドルを返す。蹴りでもワイドマンは引けを取っていない。彼は「完全体」だ。ムエタイ技術もしっかりと備えている。
アンデウソンの魔術の真髄とは何か。それは究極のギャンブラーであるということだ。彼は一瞬間に己の全てをベットして、あらゆる困難を一点突破する力を持っている。それこそが彼の魔術の本当の種なのだ。彼はほんのわずかな勝機をかぎつけ、そこに全てを賭ける勇気がある。その煌めきが人を魅了し、勝利を彼に齎すのだ。
アンデウソンにはもう突破口は一つしかなかった。この試合でこれまで唯一強烈なダメージを与えたインローだ。すでにアウトのローはカットされている。魔術師はそのわずかな一点に勝機を見出し、そして己の何もかもを賭けて全力で足を繰り出した。
罠だった。ロンゴの授けた罠が、賭けに出た蜘蛛を完全に待ち受けていたのだ。またしてもワイドマンは蜘蛛の顔から視線を微動だにさせずに足を上げ、彼の左膝が乾いた音を立ててアンデウソンのローを受ける。スタンドの攻防でよく見る、大したことのないありがちな光景だ。だがほんの一拍置いて、突如アンデウソンが悲鳴を上げて大地にもんどりうった!
足を抑えて顔面に苦渋の表情を浮かべている。すぐさま駆け出して追撃を狙ったワイドマンは、転げまわる蜘蛛を見て追撃をやめ、両手を高々と掲げて己の勝利を誇示した。観客は何が起こったのかわからない。場内は騒然となり、なぜアンデウソンが倒れたのかを知るためにスロー再生を待ち焦がれた。きっとワイドマンとロンゴだけは、スローVTRなど見ない方がいいことを知っていただろう。これは偶然ではないからだ。彼らは明確に相手を傷つける意志を持っていた。
私がこの記事を書くのに遅れた理由が二つある。一つは先日述べたとおり時間が取れなかったこと、そしてもう一つは、映像を見返す気が起きなかったからだ。骨という芯を失った人体の動きは、人間に本能的な恐怖を与えるものらしい。あの伝説の選手の足が、数多の戦士を屠った彼の自慢の武器が叩き折られ、蹴った勢いを失わない足先が折れた所から本来曲がらない方向に曲がり、ワイドマンの足に巻き付いていた。観客席から悲鳴とも驚嘆ともつかない不思議な歓声があがった。
アンデウソンはそれほどに全力で蹴ったのだ。そしてそうでもしなければ、もう彼に勝つ手段はなかった。アンデウソンの考え方、そしてそこに賭けたところまでは正解だと私は思う。だが相手が一枚上手だった。スパイダーがそこに勝機を見出すことを、ワイドマン陣営は見抜いていたからだ。
戦士に一番大事な資質は「躊躇わないこと」
結果的にアンデウソンは負傷による敗北となった。記録にもそう記されている。だがこれはKOだと私は思っている。今回の勝利もまた、ワイドマンの「マグレ」という評価がされうるものだ。前回の一方的な試合運びを見てすら、アンデウソンの油断による敗北などという人間が大勢いるくらいだ。十分にあることだろう。
だが、どちらの試合でも私はワイドマンが圧勝だったと考える。タックルの選択肢がワイドマンにあり、そしてその成功率の高さ、倒してからの有効な攻撃ができる技術、何よりもスタンドにおいてワイドマンの方が上回っている以上、アンデウソンに勝てる可能性はほぼ残されていないからだ。それこそ「マグレ」による一発でもなければ無理だろう。マグレという言葉はアンデウソンが勝った時に使うべき言葉であり、現王者に使っていい言葉ではないと私は思う。スタンドにおいて、ワイドマンが危うい打撃を貰うことはほぼなかった。そしてクリンチからの一撃でダウンを取れるほどのパンチも持っているのだ。この試合、負傷が無かったとしてもどこかでスパイダーはKOされていたと私は思っている。
ローのカットはスタンドの攻防で学ぶだろう。だがそれを試合時に明確に狙って実行すること、そして相手がここに勝機を見出すだろうことを考えて練習することは、ただ学んでいたというのよりもずっと高次元で難易度の高いものだ。それを伝説的な選手を相手に、大舞台のわずか25分間の間に実行しきるのは奇跡に近い。そしてその奇跡を運ではなく実力で起こしたのがワイドマンだ。これだけでも、ワイドマンの才能はどれくらい称賛しても足りないほどのものがあると私は思う。
2Rにワイドマンの口が開いていたが、動きからキレが落ちたり集中力を欠くことはなかった。むしろ意識自体は1Rよりもさらに明瞭になり、精神的にもかなり落ち着いていた。1Rの優勢でかなりリラックスできていたように思う。スタミナ不足を指摘する声もあるが、動きを見る限りスタミナが無かったようには思わない。攻め疲れは感じられたが、それはすぐに回復していた。またミドル級において、ワイドマンから局面の選択権を奪える人間はほぼいないと思うので、もし攻め疲れがひどくなってもヘビー級王者ケイン・ヴェラスケスのように、局面を変えて巧く休むこともできるだろう。
私が今回何よりも評価したいのは、ワイドマンの躊躇の無さだ。彼はアンデウソンを倒すために、相手を負傷させることに一切の躊躇いを見せなかった。ルールの範囲内である以上、彼には何らの咎もない。彼はこのスポーツに全力なのだ。案外、ニック・ディアズのような選手の方が相手を完全に破壊することを躊躇う弱さがあるかもしれない。必要以上に相手を負傷させるのは、またワイドマンとは質が違う事も知っておかねばならない。ことさらに相手を痛めつけようとするのは臆病だからだ。ワイドマンはローを止めるためにカットを狙った。結果折れたが、その後の追撃はすぐに止めている。あくまでもあれは必要最低限のダメージだったのだ。
そしてそこに相手に対する憎しみはない。彼は試合前からスパイダーに対して紳士的であり、試合後に勝利を誇示した後はすぐさまアンデウソンに駆け寄って怪我の具合を心配している。優しさと残酷さが矛盾なく同居する彼のメンタルは、最高の戦士の資質を備えている。
試合で相手を攻撃することを躊躇うのは優しさではない。それはこのスポーツに対する侮辱だ。そして試合後に相手に対して無礼な振る舞い、例えば握手を拒否するような真似をするのは悪ぶったケツの青いガキの所作であり、やはりこのスポーツに対する侮辱だろう。
アメリカの雄大な大地を吹き渡る風のように、ワイドマンの心は猛々しく、そして大らかだ。試合では相手を倒すことに専念し、得た金と名誉を素直に喜び、試合後には負傷した相手を心から心配する。苦境であってもそれを苦にも思わない楽観的なところがある。そして今得たものも、いつかは失われることを彼は良く知っている。この純粋さ、後腐れのなさには惚れ惚れとしてしまう。これが彼の強さの全てだろう。
対するアンデウソンはよく戦った。ガードをあげて真っ向から挑み、そしてわずかな勝機にすべてを賭けた。彼は今もなお素晴らしい勝利への嗅覚をもっている。だがワイドマンを相手にするには、足りないものが少し多すぎたかもしれない。フィジカル、柔術、スタンド、レスリングとほぼ全てで負けていた以上、この結果は必然だろう。年齢と怪我を考えれば、それらを補うには時間が足りないように思う。生ける伝説は勝ち方も衝撃的であれば、負け方も衝撃的だった。やはり彼はMMAのスターだ。負け方すらも、万人の心に残るものとなった。それもやはり、彼がオクタゴンですべてを賭けることができるからだ。欲を言えば、試合前の小賢しい真似をやめ、真摯な態度で試合に臨むべきだったと思う。そのほうがまだ勝率はあがっただろう。ある意味では、試合前にすでにアンデウソンは精神的に負けていたのかもしれない。
スパイダーは試合後に病院ですぐに手術を行い、無事成功したそうだ。1年ほどで復帰できる見込みだという。引退するかどうかはわからない。しかし、もし可能であればまたオクタゴンに戻ってきてほしいと思う。だが彼はもう十分すぎるほどに事を成した。彼が休みたいと言うのであれば、それを止めるものは誰もいないだろう。今はただ、怪我の治療に専念してほしいと思うばかりだ。
「オールアメリカン」クリス・ワイドマン、彼はその戦士としての資質ゆえに、相手をあまりにも完全に打倒しすぎてしまうのかもしれない。今回の勝利もまた、作戦がはまりすぎ、そしてワイドマンがそれを完璧に実行しすぎてしまったが故の結果だ。出来すぎた勝利は偶然や事故に見えるものなのだろう。それほどに彼は完成しているのだ。
ミドル級に吹き渡った新しい風は、残っていたかつての王者の幻想をも完全に吹き飛ばした。この階級はここから一気に動いていくだろう。哀しくもあるが、嬉しいことでもある。UFCでは、健全な世代交代が行われているからだ。新しいスタイル、新しい技術、新しい考え方の選手が伝説を駆逐し、そして新たな伝説を築いていく。彼らもまたいつか新しい風に吹き飛ばされるのだろう。だが大丈夫、今の王者はそのことを知っている。もし荒れ狂うハリケーンで王座から落とされても、彼は決して挫けはしない。何しろ彼は、ホームレスからのし上がったロッキーなのだから。
現実は映画ではない。映画なんかよりも遥かに予想外だ。映画ならば、元王者の足がへし折れて軟体動物のようになるシーンなど入れはしないだろう。あまりにも非現実的だからだ。映画などを遥かに超えた信じられないストーリーを、これからもこのアメリカン・ヒーローは我々に見せてくれるだろう。来年の彼が歩む王道から、私は決して目が離せない。
Tweet
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。昨年末からエディさんのこの大会のレポを心待ちにしていました。
返信削除ワイドマンは本当に良い選手ですね。GSPが去り、ドミニク・クルーズの復帰も流れた現在のUFCで、新たに模範となるべきオールラウンダーたりうる資質を秘めていると思います。先日、彼が紫帯時代にADCC2009でトップ柔術家のアンドレ・ガウヴァオンと戦った試合を見たのですが、この大会で準優勝し、2年後には階級別&無差別で2冠を達成するガウヴァオンと、ほぼ互角に渡りあっていました。恐らく純粋なグラップリングの試合をしてもアンデウソンは敗れると思います。
今回はセミ前の試合でジョシュ・バーネットもトラヴィス・ブラウンに敗れ去っていますが、両試合とも際の攻防で差が出たなと思いました。ワイドマンは組み合った状態からのパンチでダウンを奪い、ブラウンはタックルをがぶった状態からのエルボーで試合を決めました。こういう打撃と組技の際での能力差が、旧世代と新世代の違いと考えます。年末のこの大会は色々な意味で、MMAの進化を実感する大会だったと思います。
こちらこそ遅れましたがあけましておめでとうございます。記事が遅くなって申し訳ありませんでした。VTRを見返す勇気が湧かなかったのですw
返信削除柔術のセンスに関してはすでにコーチ陣も高く評価してましたね。呑み込みが異常に早いのだとか。極めの強いレスラーとか手に負えません。GSPやヴェラスケスも極めの強さは見せていなかったですから、これはかなり期待できます。次世代のオールラウンダー足り得る選手です。
ダナハー氏の指摘通り、新しい世代は様々な局面の境目を戦場にしますよね。スタンドはスタンド、グラウンドはグラウンドという分け目がない感じです。クリンチで体勢を作っている最中に先に打撃を当てたワイドマンは素晴らしいセンスだったと思います。ハパさんのエルボーはえぐかったですね。その前の膝ですでに終わっていた感もありますが、ただああいう攻撃は許されているとわかっていても積極的に使うのは難しいはずです。よく研究しているんだろうと感じました。
まだ戦場となり得る場所、使うことが許されている有効な攻撃というのはあるんだろうと思います。人体を研究し、どこをどう攻撃すれば相手にダメージを与えられるのかというのは常に考えていくべきだと思っています。
ワイドマンの強さを見せられるとあのアンデウソンがこんなにも弱点を持っているのかと実感させられます。逆に言えば何故ワイドマンじゃないと勝つことができなかったのかということも。
返信削除最もアンデウソンに肉薄したのが旧式も旧式なソネン教授なのも面白い話ですが。
ただワイドマンにはヴェラスケスと違い、幸運にも倒さなければいけない強敵たちが揃っています。VT時代の負の遺産でありミドル級という大陸で破壊行為を続けるビクトー。さらに一撃に磨きをかけたリョート。以前ミドル級転向をほのめかしていたエヴァンス。この一癖も二癖もあるモンスター達とアメリカンヒーローの戦いでミドル級が俄然盛り上がってきましたね。個人的には教授の狂い咲きが観たいのですがw
旧式の一芸選手同士は、相性がかなり物を言うからでしょうwソネン教授のゴリ押しレスリングが、レスリングの苦手なアンデウソンさんにぴたりと嵌った形だったのかなと思います。
削除今のミドルはやりがいがあっていいですね。TRT-REXのビトー、格闘浪漫の体現者リョート、若手のユライア・ホールなどもいますので楽しみです。ユライア・ホールはいいですね。レスリングがどれくらいできるのか次第ですが、第二のアンデウソンとなりそうな気配があります。リョートはどう見てもミドルが適正階級です。あの体のキレは普通じゃないですよね。こちらもすごい面白そうです。
教授はどうでしょうw手口がバレてしまってますからね。それでもストライカー相手にはそこそこ勝てるんじゃないでしょうか。ワイドマンには相性的に絶対に勝てないと思いますが、ビトーとかリョート相手には何とかなる可能性が少しはありそうです。