画像はUFC Fight Night: Saffiedine vs Lim Ultimate Event Gallery | UFC ® - Mediaより
フェザー級 5分3R
WIN 川尻達也 vs ショーン・ソリアーノ
(2R リアネイキッド・チョーク)
苦悩の中で蘇った35歳の男の「夢」
私は川尻達也が嫌いになっていた。2005年、PRIDEで「ファイアーボール・キッド」五味隆典と壮絶な打ち合いをしていた時にはとても好きだった。PRIDE消滅後、彼はドリームを選択をした。運営が特定の選手に肩入れをするその団体が、私は好きになれなかった。その団体の、PRIDEの残したものを居抜きで使おうとする、オシャレ気取りのラーメン屋みたいな真似も気に食わなかった。その団体の試合の組み方には継続性が無く、上っ面だけの人気をかすめ取ろうとしていると私は感じていた。だからそこを選んだ川尻達也が嫌いになっていた。それでも彼は、ドリームにおいてハードなマッチメイクを潜り抜け、強豪選手との試合も多く経験していたと思う。しかし私は不満だった。
彼にはもっと大きな舞台があり、もっと強い相手がいるはずだ。そう思っていたファンは私だけではないと確信している。きっと日本だけではない、世界中のファンがそう思っていたはずだ。PRIDE消滅後、続々と日本人の強豪選手がUFCに参戦するのを眺めながら、私は時折「クラッシャー」川尻達也がこの金網の中に登場する場面を想像した。彼の日本人離れした肉体は、きっとこの舞台で映えるだろう。そう思うたびに、川尻達也が嫌いになっていった。彼はここには来ないのだから。
だが2013年、ドリームは一度も大会を開催しなかった。所属選手の予定は宙に浮いた。格闘家は試合をする場所が無くなれば生きてはいけない。次の戦場を探さねばならないのだ。だが川尻達也はドリームの再起を待ち続けた。怪我もあったという、だが義理堅いその男は、世話になった団体が落ち目だからとすぐに見放すことが出来なかったのだ。馬鹿な男だと思う。要領が悪いとも思う。だがだからこそ、この男は人を魅了してやまないのだろう。
2013年の夏、「クラッシャー」川尻達也は感じていた、自分が弱くなりつつある、と。もうこのままではいられないのだ、彼は前に進まなければならなかった。苦悩が彼の身を焦がす中、彼の心の奥底からずっと昔に埋めた宝物が出てきた。「世界で一番強い男になりたい」という夢、幼い子供が抱く馬鹿げたガラクタだ。多くの男がずっと昔に放り投げ、そして時の流れの中で埋もれていくはずのものが、苦悩の波に洗われて突如として土中から姿を現した。
同年10月、川尻達也はUFCと契約したことを発表した。35歳のその男は、胸に多くの苦悩や恐怖と共に、あの馬鹿げた「夢」も抱えていた。
私は、川尻達也が再び好きになった。
立ちふさがる常識、突き破る非常識
彼は一歩を踏み出した。家族への心配、将来への不安、未知の戦場への恐怖、人間関係のしがらみなどをすべて振り切り、彼はついに前に出た。すべては自分の力で切り開く、そう決意した彼はツイッターやブログなどのツールを使い、積極的に自分の売り込みをかけた。プロスポーツは見てくれるファンがいて成り立つものだ。彼は隠すことなく自分の気持ちを世界に発信した。そこには己の実力を勘違いした思い上がりも、自分を大きく見せようとする虚飾もなかった。35歳の男は素直に、あまりにも素直に自分の気持ちを語った。30を超えた男の、経験に裏打ちされた冷静な自己分析があった。
彼は自分が恐怖していることをあっさりと告白した。試合が恐ろしいことを、敗北が己を脅かしていることをありのままに認めた。そしてそのうえで、自分は頂点を目指して挑戦すること、捨てられない夢があることをどこか気恥ずかしそうに語った。私は驚愕した。川尻達也という男は私が思うよりも遥かに頭が冴えており、ずっと熱い魂を持っていた。決して安易にUFCに行くことを決意したわけではなかったのだ。彼は世間からどう思われているかも知っていた。35歳は遅すぎたかもしれない事、チャンピオンまでは辿り着かないだろうと思われていることもわかっていた。常識で考えれば無理な話だ。だがそんなことは百も承知なのだ。そのうえで、彼は己のすべてをあの八角形の金網の中に投じる覚悟をしていたのだ。
だから彼は強い相手を望んだ。自分に残された時間が少ないことを知っているからだ。彼は己の能力や体格をち密に計算し、トップランカーの中で自分に勝機があると判断してカブ・スワンソンを希望した。相手はハード・ヒットを武器にするストライカーだ。そして勝てれば王座も見えてくる絶妙の相手だ。35歳の屈強な肉体を持つ男は、王座を本気で奪取する気だった。
だが希望は通らなかった。彼の元に対戦相手の通知が届いた。ハクラン・ディアス、柔術をベースに持ち、MMAで21勝2敗と好成績の選手だ。UFCは試金石となる中堅選手を用意した。クラッシャーを試すと同時に、ディアスをも試すカードだ。これに勝てば、どちらもランキングで15位以内には入るだろう。そしてこのレベルでも、クラッシャーには十分に厳しい相手だ。クラッシャーは入念に研究を開始した。
しかしそれは無駄になった。ハクラン・ディアズが怪我で欠場したからだ。試合まであと一か月ほどで、クラッシャーは急遽作戦を練り直す羽目になった。UFC初出場での対戦相手の変更は大きな痛手だ。相手が変われば作戦だけでなく、体の仕上げ方も変えねばならないことがある。研究する時間もほとんど残されてはいない。ただでさえ精神的に大きなプレッシャーが掛かっている中で、この変更は大きな影響を与えたに違いない。常識で考えれば、試合にはマイナスの要因だろう。
だが彼のツイッターはどこか楽しげだった。様々な悩みも綴るが、そこにはなんとなく長閑な雰囲気が漂う。己の危機すらも彼は満喫しているようだった。彼の目前には終焉が迫っている。このような苦痛や苦悩も、その時が来ればもう味わうことはできないのだ。
35歳という年齢はアスリートとしては下り坂かもしれない。だが人間としては成熟し、肉体と精神のバランスが最もいい時期だ。そして覚悟を決めた人間は強い。己の引退を意識し、最後の挑戦に向けて全力疾走を始めた男の心には、若者には決して持ちえない心境が訪れていた。彼は間違いなく昔よりも強くなった。そして今も、強くなり続けていると私は思う。
無様でも食らいつけ!「クラッシャー」決死の猛攻
ソリアーノの右ストレートがクラッシャーの顔面を弾き飛ばした。軽く宙を仰いだ後、川尻の目はすぐさま対戦相手の顔に向けられる。焦燥感は感じられない。彼の目はただひたすらに勝利を探っている。川尻達也の頭は冷えていた。熱くなって無謀な打ち合いを挑んでいた頃の彼は鳴りを潜め、そこには修羅場を潜り抜けた熟練の戦士の姿があった。
対戦相手はアメリカ人のショーン・ソリアーノに変更となった。24歳と若く、体格では川尻よりも優っていた。ローカル団体ではいまだ無敗で、これが彼のUFCデビュー戦だった。ソリアーノとしては、クラッシャーは格好の踏み台だ。
試合が始まると、川尻は自分からどんどん前に出て圧力を掛けていく。戦略は明確、自分が有利と確信するクリンチの攻防から、テイクダウンをしてグラウンドで戦うつもりだ。ソリアーノは下がって川尻をいなしながら打撃を打ち込んでいく。クラッシャーは被弾しつつも何とか組み付くが、相手は力が強く技術もあり、中々テイクダウンできない。次いでソリアーノの腰に手をまわして完璧なクラッチを取るがそれでも倒せず、金網まで逃げられるとソリアーノは川尻を振りほどき、さらには離れ際に強烈な膝を叩き込んだ。
打撃の被弾は多かったように思う。それこそぐらついてもおかしくないような打撃を、川尻は次々に被弾した。しかしこの男は挫けなかった。強烈な打撃を貰って動きが止まるたびに、川尻はグローブでさっと顔を撫で上げると、再び意識を集中させて自分から前に出ていく。足を絡めて相手に投げを意識させ、抜群のタイミングで逆に振って投げたがこれもすぐ返されてしまう。再び腰に組み付いた川尻の頭部に、ソリアーノは先日「ハパ」トラヴィス・ブラウンがジョシュ・バーネットを沈めた肘を打ち込んでいく。これも強烈だ。それでも川尻は、殴られても蹴られてもしつこく食らいついていった。
そして35歳のベテランファイターの意地がとうとう実を結んだ。肘に耐えてクラッチを放さなかったクラッシャーは、立ち上がるとそのままソリアーノを引っこ抜いて再び後ろに落とした。しかしこれも立たれると、またしても腰に絡みついた川尻の側頭部にソリアーノが全力の肘を突き刺す。それでもクラッシャーのクラッチは離れない。川尻が今度はバックに回り込むと、ソリアーノは慌てだして必死になって川尻のクラッチを引きはがそうとする。だが川尻の上半身は見かけ倒しではなかった。彼の体はまるで油圧で動いているかのようにびくともしないのだ。どんなにソリアーノが揺さぶっても、そのクラッチが切れることはなかった。
そして勝機が訪れた。川尻はソリアーノを揺さぶって前に倒すと、覆いかぶさって素早く足を絡め、あっという間にバックの奪取に成功した。そして一呼吸置くとすぐに、その丸太のような腕をさっとソリアーノの首に巻き付ける。会場から一気に歓声が起こった。歯を食いしばって力を込める川尻の血に塗れた顔には、鬼気迫る表情が浮かび上がった。これが外れると、川尻はその隙を狙って足を組み替えてボディロックでソリアーノを絡めとる。体勢は完璧だ。ソリアーノが体を反らせて逃げようとするが、それに合わせて巧みに左右の足を組み替えてボディロックを維持していく。このあたりはまさに経験が物を言った場面だろう。
ソリアーノは川尻のグラウンドに対処しきれない。逃れようと足掻いてもボディロックが外れず、次第に消耗したソリアーノは残り時間40秒ほどで、とうとう疲れを見せてうつ伏せになった。ここで川尻が一気に仕掛ける。彼はバックマウントの状態からソリアーノの体を伸ばし、側頭部にパウンドを落としたのだ。
決して体勢が崩れるほどには強く振ってはいないし、そこまで威力があるパウンドには見えなかったが、川尻は手数を出してどんどん殴りつけていく。そして残り10秒、ソリアーノはパウンドを嫌って仰向けになり、川尻には絶好の体勢となった。
この瞬間、これまでの軽めなパウンドとは一線を画した拳が打ち込まれた。体を相手の上半身に巧く乗せた「クラッシャー」は、体重をコントロールして相手を大地に縫いとめ、ソリアーノの顔面を強かに殴りつけたのだ。力の逃げ場をなくしたソリアーノの顔面に、「クラッシャー」の腕が唸りをあげて襲い掛かる。これは強烈だった。あと少し時間があればパウンドアウトしていたかもしれない、そう思わせるほどの猛打だった。そして1R終了のブザーが鳴った。
2R開始前、クラッシャーは大きい呼吸を繰り返して体中に酸素を送り込む。攻め疲れがあったのだろう。だが顔はとても晴れやかだ。1Rを経てずっと落ち着いたように見えた。全力で活動した肉体には血管が浮き出て、今にもはち切れんばかりに筋肉が隆起している。
そして次のラウンドが始まった。川尻は再びジリジリと前に出てプレッシャーをかけていくと、ソリアーノがパンチを放ち、そしてタイクリンチから素早く膝を打ち込みに来る。これに合わせて組み付いた川尻がバックに回り込んで前に倒そうとするが滑り、今度は逆にソリアーノにバックを取られてしまう。金網まで来たところで、ソリアーノは離れてすぐさま打撃を打とうとするが、川尻は素早く相手の脇に左手を差し込んで体を入れ替えた。さらに右手も差してあの万力のようなクラッチを組むと、ソリアーノが体勢を整える隙を与えずにまたしても右側に投げていく。レスリングでは川尻に一日の長があった。
投げが効いたのか、それとも組みでスタミナを消耗したのか、投げられた後にソリアーノの動きが止まると、クラッシャーはまたしても一瞬でバックの体勢を構築した。ソリアーノに息をつかせる隙を与えず、次いで川尻は再びソリアーノの首に太い腕を絡みつかせて締め上げた。流れるような攻めだ。さらには足も効かせて全身でソリアーノを絞り上げる。
その力強さはさながら大蛇のようだ。完璧に極まったクラッシャーのリアネイキッド・チョークには、もはや髪の毛一本すら挟み込む隙間が見当たらない。ソリアーノは残った意識でタップしようとわずかに手を上げるが一瞬それを躊躇った。そして再びタップしようか考える暇もなく、彼の意識は遥か太陽系外まで飛び去ってしまった。クラッシャーの腕が解かれると、完全に脱力したソリアーノの頭が転がり落ちた。
川尻達也、35歳のベテランファイターは、UFCというMMA最高峰の舞台で、デビュー戦を見事な勝利で飾った。
「クラッシャー」今後の課題と展望
素晴らしい勝利だった。しかし問題点も多かったように思う。決して楽勝ではなかっただろう。一番懸念されるのが打撃のディフェンスだ。ぐらつきこそしなかったものの、危うい被弾はかなり多かった。特に相手のストレート、膝、肘には肝が冷えた。クラッシャーはタフだが、ダウンした経験も多い。目はあまりよくない方ではないだろうか。
また打撃は攻撃面でも不安が残る。パンチ、それもストレート系があまり巧くないように感じたし、リーチもさほどない。途中ローなどを混ぜたのはよかったが、それでもそこから連携させたタックルは相手に完全に見切られて足を使って逃げられている。上位になってくればあの隙を狙われるだろう。タックルのプレッシャーは効いているので、それを活かしてもう少しスタンドでも優位に運んでいきたいところだ。スタンドである程度効かせられなければ、相手がタックル対策に集中する余裕を与えてしまうように思う。素早いステップインからのコンパクトなジャブが欲しいと感じた。
だが予想以上にいい点も多かった。まずそのフィジカルだ。日本人としては破格のパワーだろう。ソリアーノをぶっこ抜いて投げたのは素晴らしかった。ソリアーノがクラッチを切れたのは序盤だけで、それ以降はクラッシャーのパワーに振り回されていたと思う。外国人の若手を相手に組み負けしないだけの力強さがあるのは頼もしい限りだ。川尻達也という男が長い年月をかけて練り上げてきた肉体は、その努力に見合うだけの力を秘めている。
スタミナ面では、1R終盤にあれだけ攻め続けた後でも、2Rで怒涛の攻めを見せて一気に試合を極めることが出来たのだから、決して不足してはいないだろう。あの調子で3R、5Rと続けられるかは現時点ではわからないが、そこまで悪いようには思わなかった。体のキレも落ちていなかったように思う。
そして組みの強さは圧巻だった。グラウンドに引きずり込んでからは一方的だった。特に相手の体に吸い付くように密着して、動きを阻害してしまう技術が素晴らしかった。その筋肉質な体と相まって、私にはクラッシャーが大きな蛇のように見えた。彼に巻き付かれたら、それを引きはがすだけでスタミナを全部使い尽くしてしまうかもしれない。ソリアーノは川尻の密着で、みるみるスタミナを吸い取られていった。
最後に今回一番評価したいのが、川尻達也という男のメンタルだ。彼は最初から最後まで自分から仕掛け、自分の得意な土俵に持ち込んで勝利した。この攻める姿勢、己の一番得意な場所に持ち込もうと仕掛ける姿勢こそ、私が理想的と思う戦い方だ。また打撃で不利になった場面でも、彼はムキになって打ち返しはしなかった。昔の彼ならばここで打ち合いを挑んで負けていたかもしれない。本人は動きが硬くて慌てていたと試合後に言っていたが、彼は自分が思っている以上にうまく動けていたと思う。激戦を潜り抜けた経験の賜物だろう。彼の頭はかちわり氷のように冷え、そしてよく回転していたと思う。
クラッシャーはフェザーに落としてから、自分の得意な局面に持ち込んで勝利する流れを完全に構築した。組んで倒せればUFC上位陣を相手にも善戦できるかもしれない。後はそこまでどう持ち込むかであり、そのためにはスタンドでの負けない技術が必要だ。決して勝つ必要はない、あくまでも一方的にやられないだけの技術さえあれば、勝機は十分にあるだろう。
クラッシャーが示した、戦士としてのあるべき姿
ソリアーノはあまり事前情報が無かったが、試合を見る限りいい選手だ。これに勝った川尻はさっそくランキング15位以内に名を連ねた。この評価は妥当なところだろう。しかし正直に言えば、彼が王者になるのは難しいと思っている。王座挑戦まではたどり着けるかもしれないが、王者を打ち倒すことはできないだろう。だがそんなことはもうどうでもいいのだ。
PRIDEが消滅し、UFCが一気にMMAの最高峰として成長し、そしてDREAMが活動を停止した。日本では格闘技ブームが去ったと言われている。だからなんだ?私ははっきり言わせてもらう、だからなんだと言うのだ?むしろ公正でスポーツとしてより洗練された舞台が登場したことを、私は素直に喜んでいる。作られた王者になど興味はない。生き残りを賭けた残酷な戦場でギリギリの戦いをする戦士こそ、私が金を払って見たいと思う者達なのだ。
顔面を何度も殴られながら、必死に腰に組み付いたクラッシャーを見たか?鼻を砕かれて血に塗れながら、歯を食いしばって相手を締め上げたクラッシャーの顔を見たか?彼は攻めた。どんなに無様でも、どんなに強烈な打撃を食らっても、彼は勝利を求めてただひたすらに攻めぬいたのだ。彼の無様さこそが、世界で一番格好いいものだ。恐れを知らない人間は勇敢ではない、頭のねじが外れたただの狂人だ。負ける恐怖、心に吹きすさぶ臆病風、それらをすべて感じた上で、乗り越えていくのが本当の勇気だ。川尻達也は間違いなく勇者だった。
そしてこの姿こそ、私が川尻達也に望み続けたただ一つの物だ。全身全霊、何もかもを賭けて戦う男の背中が観客の心を揺り動かし、儚い人間の命に熱い記憶を刻んでくれる。明日を生き抜く希望をもたらしてくれる。これこそがスポーツの本当の価値だ。魂を燃やして困難に挑むアスリートの熱が私たちの心に火をつけ、全力で生きる大事さを教えてくれるのだ。
35歳、常識で考えれば格闘家としては限界の歳だ。契約をしないという選択肢もあった。無理なことを悟って背を向けたって仕方がない状況だった。誰だって負けるのは嫌だ。打ち倒されるのは恐ろしい。もっと楽な相手がいる団体を選んでもよかったはずだ。しかし彼は立ち向かった。恐れながら、怯えながら、それでも顔を上げて頂点を目指すことを決意したのだ。
引退を目前に見据えた格闘家が死に物狂いで道を拓いた。日本国内にいる若き格闘家たちは、こんな親父に好き勝手されて納得できるのだろうか?彼の勝利が、彼の肉体が、彼の背中が、挑戦することの価値を教えてくれたはずだ。皆が彼の背中を追ってどんどん挑戦していき、世界の頂点を目指していって欲しいと願うばかりだ。
川尻は勝利するとすぐに観客を煽って湧かせ、そして地球に帰還したソリアーノに歩み寄ると深々と一礼した。不満げだったソリアーノは、謙虚な川尻の姿勢に負けを受け入れ、そして川尻と抱き合って健闘を称えた。
スーツをきっちりと着こなしたブライアン・スタンが笑みを浮かべながら川尻に歩み寄り、UFCデビュー戦勝利の感想を聞いた。誰もが当たり障りのないことを言うのだろうと思っていた。しかし川尻達也はもう昔のままではない。己の道は己の力で切り拓くことを覚悟した男だ。彼はスタンの質問を訳そうとする通訳を遮ると、唐突に「ハローアメリカ、ハローUFC!」と叫んだ。ここはシンガポールだった。
やはりこの男はバカだった。いや、右ストレートが効いていたのだろうか?その後も彼のイカれたマイクアピールは続いた。タイトル挑戦権をよこせとねだり、苦笑いしながら次に誰を希望するかを問うたスタンに対し、「もっと強い奴」と適当な英語で要請したのだ。ただこれはソリアーノの気分を害するかもしれないと気づいたクラッシャーは、慌てて「デーモ、ソリアーノもツヨカッター」となぜか片言の日本語でフォローした。ソリアーノには通じていないだろう。
「クラッシャー」は最高にかっこいいはずの場面をも打ち砕いた。彼のどこかピントのずれたパフォーマンスは観客を笑顔にし、世界中のファンがそれを楽しんだ。川尻達也はプロフェッショナルだった。日本のファンで、川尻のアピールをどこか気恥ずかしく感じる人もいただろう。気持ちはわかる。だが、そんなことを気にして黙っているよりは、どんなに笑われても、どんなに無様でも、声を上げて見てくれているファンのために懸命にアピールする方がずっとカッコいいのだ。バカでいるほうがずっと素敵なのだ。
戸惑ったスタンがマイクを取り上げてケージを足早に去ると、暴走したクラッシャーは天を仰いで「俺がドリームだあ!」と叫んだ。彼が今だにドリームという看板を背負っていることには特に思うところはない。だがその言葉は私の心に思いがけない響きを残した。そう、彼の言う通り、彼は「夢」だ。日本の格闘技ファンが願い続けた「夢」なのだ。
「クラッシャー」川尻達也は世界の頂点を目指して駆け出した。笑う人もいるだろう、呆れる人もいるだろう。だがクラッシャーは全てを承知の上でスターティングブロックを蹴ったのだ。一番最初にゴールテープを切るかどうかはもはやどうでもいい、彼はスターティングブロックを蹴った、どんな結末をも覚悟して蹴ったのだ。私は彼の走りを最後まで見届けようと思う。たとえ彼が転んでも、最下位でも、どんなに無様な姿をさらそうと、私は彼を応援し続けよう。
王者など夢のまた夢、そんな世間の常識の壁を打ち砕こうと、今日もクラッシャーは自分の限界に挑み続けている。
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>オシャレ気取りのラーメン屋みたいな真似も気に食わなかった
返信削除酷いw
でもヌルオタの身としては恥ずかしながらUFCはプライド時代>そっから始まったんだよね~
ドリーム時代>金網て暴力的だし下品じゃない程度の印象でした
川尻も暴力的かつ下品な印象を受ける試合内容とマイク
(試合内容は自分の総合に関する無知、マイクは・・・)
で嫌いだったのですが、今回でそれが全て反転しました
やはり選手は試合で全ての雑音を止揚できるからこそ「選」手なんだなと
ただ仰られる様に打撃の反応の甘さと序盤の諸々あってないタックル、それに体のおっさん化は不安要素です
前の2項目は初戦のテンパリなら仕方ないですが
過酷な場所で戦って結果を残せばすべての雑音は黙らせることが出来ます。そういう腕一本でのし上がれるのがスポーツ選手の一番の魅力ですよね。
削除タックルが打撃と連携してないのがもったいなかったですね。あそこがスムーズにつながっていけば、もっと簡単にTDできそうです。
川尻最高でしたね。
返信削除こちらの記事に私も同感です。
強さ、馬鹿さ、勇気を兼ね備えた格闘家が最も魅力的だと思います。
バカさって大事です。川尻さんのあの憎めないノリって大事な才能だと思います。
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