2013年5月8日水曜日

フランク・ミア、レスナーの引退を惜しむ

UFConFOX7に出場するミアは語る、彼が戦ったあのブロック・レスナーは憩室炎から元通りに回復することはなかった。



Bloody elobowより
写真はBloody elobowUFC公式より

ちょうど数日後、ミアは井戸の中で年を越してから最初のオクタゴンへの帰還になるだろう。ダニエル・コーミエとの対戦に先立って、彼は以前の敵であったブロック・レスナーが病に臥せていなかったらどうなっていたのかということについて振り返った。



UFC100の開催時、ブロック・レスナーは「この星で最強の男」と見なされていた。彼はUFCのヘビー級王者として3対1で優勢であり、彼のタイトル初防衛は会社の歴史において最も成功を納めたPPVとなった。そのすぐ後に、彼はハード・ヒッティングであり無敗のシェーン・カーウィンとの対戦を組まれた。不幸にも、彼らが対戦する前に、ブロックは憩室炎と診断された。彼は手術を受けなければならなかったし、彼がオクタゴンに再び足を踏み入れることができるようになったのは1年以上後のことだった。



(上 UFC100でのレスナーの計量写真)

彼の病気以前、元チャンピオンのフランク・ミアはレスナーの最大のライバルだった。彼はブロックのキャリアにたった一度の敗北を与えていたし、膨大なトラッシュ・トークをぶつけて彼らの二度目の対面を先導した。今、ミアは言う、病によってレスナーは2009年のポテンシャルに立ち戻ることはできなかったと。(NYポストより)

「実を言えば、あいつは余りにも病気が進行しており、ただそれ以上どうしようもなかっただけなのだと私は思っている。彼は去らなければいけなかったし、そうでなければ彼の人生のクオリティは尋常ならざるものになっていただろう。」

「私が戦ったあのブロックは、もう私達は見ることができなかったんだ。もし彼が病気になっていなかったら、物事はずっと違っていただろうね。」

Lesnar vs. Carwin

レスナーはUFC116で復帰し、彼はとうとうカーウィンを相手に戦った。王者はファースト・ラウンドで散々に殴られたが、セカンド・ラウンドに漕ぎ着けると二度目のタイトル防衛を獲得した。そのわずか数ヵ月後、彼は現王者のケイン・ヴェラスケスを相手にタイトルを失ってしまった、ファースト・ラウンドにTKOされてのことだ。彼はもうあと一試合だけUFCで戦ったが、そこで彼はまたしても最初のラウンドでフィニッシュされてしまった。MMAから引退した後、レスナーはWWEに復帰して、直近のところではレッスルマニア29に登場している。

わずか4日後、ミアは目前に自身のビッグファイトを抱えている。UFC on FOX7で、彼はストライクフォース・ヘビー級グランプリ王者のダニエル・コーミエをUFCに迎えることになる。無敗のファイターで元オリンピック選手として、コーミエは誇大宣伝と高い期待を引っさげて鮮烈なデビューを果たそうとしている。彼の最初の試練はこのスポーツの経験豊富なベテランであり、二度UFCチャンピオンになったフランク・ミアだ。

-----------------------------------------------------
ちょっと前後しちゃいましたがミアさんが振り返るブロック・レスナーでした。なんだか少し寂しそうな感じを受けますね。

自分はブロック・レスナーはとても好きでした。彼はプロレス出身ということで散々に叩かれたりバカにされたりしていましたが、自身の経験の浅さをよくよく熟知しており、その上で彼は自分にできる最高のパフォーマンスをしていたと思っています。

何よりも好きなのはそのファイトスタイルでした。彼は判定など考えず、とにかく自分のレスリングとフィジカルを武器に前に出て必死に戦っており、そのアグレッシブさには目を見張るものがありました。

また打撃を嫌がるといわれていましたが、自分はそこまで酷いとは思いませんでしたし、むしろあれだけ遅くから始めながらパンチそのものはかなりよかったと思っています。根が真面目だからか、非常に奇麗なストレートを打っていて感動した記憶があります。ヒーリングやクートゥア相手にも打撃でかなり善戦をしていました。彼はとても習得が早く、元々センスがあって頭のいい人なのでしょう。

しかし病気後は明らかにシェイプが悪くなり、アリスター戦の時にはもう手術後でまったく絞れず、体のキレもスピードもかなり落ちていたように思います。

レスナーはプロレスラーでありながら、MMAに対しては別種のスポーツとして非常に敬意を払い、熱意を持って練習しているのを感じていました。そして何よりも尊敬したのが、彼はタフな試合を何ひとつ拒まなかったことです。

本当ならばもっとランクが下の相手から対戦して、経験を積んでから上位と当たるところですが、そのネームバリューのせいで彼は最初からトップランカーを次々と当てられるという、最も過酷なマッチメイクを潜り抜けてきました。しかしレスナーはどの試合も拒否しませんでした。手術を受けた後も、彼はほとんど期間を空けずに連戦を重ね、その体を酷使していました。彼は間違いなく戦士だったと思います。

もし本当に殴られるのが嫌ならば、カーウィンにあれだけ殴られた後にヴェラスケス戦を受けたでしょうか?ヴェラスケスにあれだけ殴られた後に、復帰してアリスターと試合をするでしょうか?彼の勇気と熱意を余りにも過小評価している人が多いように思います。あれだけのネームバリューがありながら、彼は負けることも惨めに殴られることも恐れずに、ボロボロの体を抱えて試合を受け続けたのです。これがどうしてバカに出来るでしょうか?

また彼はステロイド検査も全て逃げずに受けており、その全てはクリーンでした。それもまた非常に評価できるところです。

レスナーは残念ながら時代が合わなかったのだと思います。元々レスラーとして非常に優秀で、破格のフィジカルを持っていた彼ですが、彼が若い頃にはまだMMAという選択肢はありませんでした。レスラーはオリンピックを目指すかプロレスに行くかの二択であり、本当はアスリートとして活動したかったレスナーは金のためにプロレスに行く選択をしました。もちろん彼の希望通りプロレスで非常に有名になり、彼は大金を稼ぐ目的は果たしましたが、その心の奥ではアスリートとしての魂が、スポーツへの熱意が燻っていたようです。

もしあと少し若ければ、あと少し遅く生まれていたらと悔やまれてならない逸材だったと思います。しかしそれでも、レスナーはわずかなキャリアの中で懸命に走り抜け、彼ができうる最高の試合をしてくれたのではないでしょうか。フランク・ミアとの再戦は、今もたまに動画を見るくらいに興奮した試合であり、MMAの歴史に残る試合の一つだったでしょう。

寂しいですが、アスリートには怪我や病気はつきものであり、いつかは必ずケージを去らなければいけません。私はプロレスラーとしてではなく、偉大なるMMA選手の一人として、今もレスナーをとても尊敬しています。彼のタックルがもう見れないのは残念ですが、彼の次の世代のレスラーは続々とMMAに参戦しています。彼の活躍のおかげでMMA人気は加速しました。そのおかげで後進レスラーの将来の選択肢が一つ増えたのです。彼はMMAの発展に貢献した、素晴らしいMMA選手だったと今も信じています。

0 件のコメント:

コメントを投稿