UFC164の感想です。
以下は個人的な意見ですので参考程度にどうぞ。
画像はUFC® 164 Event Gallery | UFC ® - Mediaより
ライト級 タイトルマッチ 5分5R
WIN 挑戦者アンソニー・ペティス vs 王者ベンソン・ヘンダーソン
(1R 腕ひしぎ十字固め)
挑戦者は王座奪取に成功
記録、それは目指してはならないもの
偉大なる記録を打ち立てた者達は、果たして最初からその記録を目指していたのだろうか?世界新記録を出した短距離走者は、走りながら記録について考えていただろうか?最多安打数を築き上げた打者は、毎日その記録を目指してバットを振るっていたのだろうか?目標は大事だ。しかし偉大なる記録を打ち立てることばかりを見据えていれば、足元にまるで注意がいかず、結果的にその大記録を損なうことになるのではないだろうか?
偉大なる記録を持つものたちの目標は、もっとずっとシンプルだったのではないかと思う。走者ならば0.001秒でも速く走りたい、打者ならば一本でも多く打ってチームを勝たせたい、世界最高峰の山に登る者は、今この場から1センチでも高く登りたい、そう考えていたのではないだろうか。その結果として、気が付いたら偉大なる記録が残っていたのだ、私はそう思っている。
そして「スムース」ベンソン・ヘンダーソン、ライト級王者として3度の防衛に成功した彼は、MMA史上最も偉大な元ミドル級王者「ザ・スパイダー」アンデウソン・シウバの持つ最多防衛記録を超えることを目標としていた。
ベルトの重みが変貌させたスムースのスタイル
ベンソン・ヘンダーソンは元々アグレッシブなファイターとして知られていた。バックボーンにテコンドーとレスリング、そして柔術を持つ彼は、WEC時代には、まるで恐れを知らぬように突進し、長い髪を振り乱しながら拳を振り回し、そして強烈な蹴りを叩き込んでは相手をテイクダウンした。そして上からがむしゃらに殴り、多少強引でもサブミッションを仕掛けるそのファイト・スタイルは多くの名勝負とファンを生んできた。
しかし彼のスタイルは、キャリアを重ねるにつれて判定が多くなる。UFCに移籍してから彼は全勝街道を突き進んだ。元ライト級王者を倒し、そしてベルトを3度防衛した。しかしその全ては判定によるものだ。試合内容も、クレイ・グイダ戦まではアグレッシブでどこか危なっかしいものだった。しかし彼はフランキー・エドガーからベルトを奪ってからそのスタイルを一変させた。全く積極性がないわけではない。だが彼はリスクをより避けるようになった。
彼はパンチがさほど巧くは無いし、ディフェンスもそこまで優れているわけではない。乱打戦で度々ダウンすることもあった。顎も決して強くは無い。だから彼はその長く丸太のように膨れ上がった足を使って遠い距離から蹴りで削り、相手がレスリングが出来ない相手ならばテイクダウンをして上から殴った。エドガーとの2戦目ではひたすらに蹴りで削り続け、グラウンドには一切付き合わなかった。ネイト戦では蹴りで削り、上から散々に殴り、弱って優位になったことを確かめてパンチを使った。パンチが巧いギルバート・メレンデスには、とにかく接近戦を避けてこれもひたすらに蹴りで削り、近づかれすぎれば自分からクリンチして攻撃した。
その闘い方はウェルター級現王者、「ラッシュ」ジョルジュ・サンピエールと比較された。そしてベルトを守るための、より消極的な闘い方だと批判された。しかしそれはGSPの闘い方とは似て非なるものだったように思う。GSPはリスクを避けるどころか、どんな相手にも自分からリスクを背負って仕掛け、その結果として優位な土俵に持ち込んでいくのだ。そしてラウンドの大半で相手の上に乗り、支配しながら圧倒的な数の打撃を放っていく。だから彼の判定は文句のつけようがないくらいに圧倒的だ。
スムースは違う。彼は手数を減らし、相手の仕掛けるのを待つことが多かった。だからこそ、彼は何度も危うい判定を潜り抜けてきたのだ。特に直近の防衛線だった「神の子」ギルバート・メレンデスとの試合はかなりの僅差だった。パンチで分が無いスムースはケージの中を動き回り、徹底して彼のパンチを避けていった。そして彼の反撃を恐れ、得意のテイクダウンもさほど仕掛けず、どこにおいてもフィニッシュを狙っているようには見えなかった。その動きは観客を退屈させ、ジャッジの判断を割れさせた。試合後の彼のプロポーズはひどく滑稽に映った。私は彼を倒し、彼を再び戦士にしてくれる男の登場を願うようになった。
結論を言ってしまえば、彼が目指したのは記録の樹立と栄誉であり、目の前に立つ男とどちらが強いかを完全に証明することではなくなっていたのだ。記録が目的ならばその手段はどうだっていい。手段は目的ではないからだ。彼は一試合でも多く防衛することを望んだ。そして自分の判定勝利に満足していた。レスリングと蹴りを駆使し、相手の攻撃を避け続ければスタミナに絶大の自信があるスムースがまず負けないのも事実だった。25分間相手を抑え続けることは、今のスムースにとって最も安全な闘い方だと彼は思っているようだった。彼の右肩に彫られた「戦士」というハングル文字が空しかった。
そんな彼の前に次に立ちはだかったのは「ショータイム」アンソニー・ペティス、WECの元ライト級王者であり、そして「スムース」からかつてそのベルトを奪い取った男だ。彼はWECでのスムースとの試合において、逃げるスムースの顔面に金網を蹴ってからの飛び蹴りを叩き込んでダウンを奪った。その蹴りは「ショータイム・キック」と呼ばれ、折に触れそのハイライトがあらゆるメディアに流され、そしてWEC以来ペティスへの敗北以外に負けた事の無い王者の脳裏にそのシーンを植えつけ続けた。かつて王者に最大の屈辱を味わわせた男が、今このタイミングで慢心しきった王者の目前に現れたのは、決して偶然ではなかったかもしれない。
戦いを忘れた者、戦いを求め続ける者
王者の顔面は蒼白だった。眠りを妨げられて飛び起きた者のように目を見開き、硬い動きのままゆっくりと後ろに下がった。彼は左のわき腹に強烈な右ミドルを叩き込まれ、脛が腹部にめり込んだのだ。それはまるで、角材で思い切り腹を殴りつけられたかのようだった。練り上げられたスムースの肉体は凍りつき、一個の美しい彫刻と化した。彫刻の左わき腹に再び、今度は足の甲の辺りが突き刺さると、凍りついたスムースの顔面が再び生物に戻り、激しい苦痛に大きく歪む。さらに3発、4発とミドルキックが繰り出され、そしてその全てをスムースは被弾した。
試合が始まると、スムースは最も安全と思われる作戦を取った。遠目からパンチを繰り出し、相手がガードしたところにクリンチを仕掛けてテイクダウンをする。レスラーの常套手段だ。彼は最初からスタンドでの勝負を捨てていた。プレッシャーをかけ、ペティスの蹴りを潰し、そしてケージに押し付けることを望んだ。
だが彼の誤算だったのは、ペティスのスタンド・スキルがこれまでの相手よりも一つ次元が上だったということだ。プレッシャーを掛け、ちょうど良くペティスが金網を背負ったところでパンチを出す。普通の相手ならばこれをガードするか、顔を下げるかするところなのだろう。だが「ショータイム」、相手をフィニッシュすることを目的とする戦士はそんな無様なことはしなかった。彼は適当にばらまいたスムースのパンチに対して、真っ向からカウンターを打ち込んできたのだ。顔を下げて突進するスムースの顔面に、強烈なフックが炸裂する。
それを堪えてスムースはシングルを狙いに行く。しかし打撃を受けて距離は遠い。ペティスは相手にシングルを取らせたまま、倒されないようにぐっと耐える。タックルに完全に対処されたスムースはテイクダウンまで持ち込めない。彼は爪先を使ってショータイムのふくらはぎを突き刺し、踵でペティスの臀部を叩く。筋肉に硬い部位を打ち込んで、なんとかペティスのディフェンスを崩そうというのだ。これは中々にいい攻撃だろう。
しかしペティスは身体を起こしたところで、素早くスムースを突き放す。スムースよりも細く見えたフィジカルは鋼のように鍛えこまれ、その瞬発力とバネはかなりのものだ。一瞬でスムースと距離を取ると、再びスムースは圧力を掛け、先とまったく同じ展開を繰り返す。そしてまたしてもショータイムの右ストレートが、相手を見ない王者の顔面に直撃する。打撃ではもはやかなりの差があるように見える。そしてスムースの戦い方は、完全に5R判定を見据えた消耗戦の様相を呈していた。1Rにフィニッシュすることは、間違いなく考えてもいなかっただろう。
これが王者の驕りだった。「ショータイム」はこんな退屈なショーには絶対に付き合わない。再び王者を突き放すと、その離れた直後にスムースの左わき腹に光速のミドルを打ち込んだ。硬い脛がまったく対応できないスムースの胴に叩き込まれると、あまりの衝撃に弾かれたかのように足がすっと元の位置に戻る。そしてスムースは力なく後ろに下がり始めた。ショータイムはこれを見逃さない。様子を見るようにボディ・ストレートを打ち込み、それに露骨に嫌がるスムースを見るや、彼の身体は躍動して2発、3発、4発と次々に同じ場所にミドルを打ち、そのたびに乾いた音がミルウォーキーの会場に響き渡る。スムースの顔は苦渋に満ちた。なんとかケージ中央に戻った王者に、ショータイムは地に手を着いたカポエイラの上から落とすハイキックを狙っていく。辛うじて反応した王者が足を掴み、そのまま地面に引きずり込んだ。
上になった王者は、ここでまたしても油断をした。恐らく神経が通うわき腹を打たれ、彼の身体はパニックを起こしていたのだろう。トップを維持してなんとか息を整え、このまま上から削りながらラウンドを終えようとしているのが露骨に見えた。彼は安易にショータイムに体重を預け、前のめりになって肘でも打っておこうという素振りを見せる。王者は、ショータイムを舐めきっていた。
燃えた表情のペティスは、自分の前に差し出された両腕を喜んで掴むと軽やかな動きで腰を浮かせ、するりとスムースの腕を絡め取る。その刹那、ショータイムの全身の筋肉は鋼のように力み、スムースの両腕を飲み込んでがっちりと硬くなる。大蛇に身体を巻かれた獣のように、もはやスムースはぴくりとも足掻くことを許されない。ショータイムの足はスムースの身体に密着し、もはやわずかにも動かす隙間はなかった。左腕は右腕の下に巻き込まれて動かせない。彼は右腕を抜こうとし必死で立ち上がった。そしてスムースが倒れかけ、このまま倒れたら王者の腕は完全に破壊されてしまうという瞬間、突如ロックを解いたショータイムが金網際に歓声を上げて走り出す。会場はあっけに取られ、誰一人として状況を把握できない。ハーブ・ディーンが近づき、もはや戦意を失った元王者の顔を見て、両腕をかざして左右に振った。両腕とも動かせなかったスムースは、降参の意を口頭で伝えていたのだ。観客は地元の英雄がベルトを奪還したことに気づき、会場は大歓声に包まれた。この夜、ミルウォーキーで新しい王者が誕生した。
失われたMMAの本質と損なわれたスムースのスタイル
スムースは記録と闘いはじめていた。それは結局のところ、目の前に立つ相手を見ていないということだ。MMAとは何か、誰も助けてくれないケージの中で、たった一人、自分を倒すためだけに貴重な人生の時間を費やして鍛え上げた男と、自分の全てを賭してどちらが強いかをはっきりとさせることだ。それを目指した結果として判定になるのは構わない。だが最初からポイントを稼いで25分間を凌ごうなどという考えは、対戦相手を軽んじた小賢しい考え方だろう。一試合一試合、今目の前にいる相手を倒す、それだけを考えて歩み続け、ふと顔をあげて後ろを振り向いたとき、自分の歩いた道が偉大なる記録となっていることに偶々気づく、記録とはそういうものではないだろうか。スムースはベルトの輝きに目が眩み、大事なことを見失っていたのではないかと思う。
スムースの良さはそのがむしゃらさ、リスクを恐れずに前に進んで相手を倒そうとする戦士の意志にあったはずだ。彼が肩に刻んだ文字も、それを忘れないために身体に彫り込んだのではなかったか。彼は記録を見つめる余り、自分の身体にすら注意を払わなくなったのかもしれない。
5Rを想定した元王者は、たったの1Rでそのベルトを奪われた。右腕を痛め、その腕をシャツの中にすっぽりと隠した元王者の顔は、しかし晴れやかな笑顔だった。ようやく重たい荷物を降ろして、どこか安堵したようにも見えた。表情だけ見れば、まるで彼が勝ったようにも見えるだろう。そして憑き物の落ちたような爽やかな表情で言った、「また戻ってくるよ」と。スムースはきっと、また戦士の心を取り戻してケージに帰ってくるだろう。そのときには、髪を振り乱して獣のように襲い掛かる彼を見ることが出来るに違いない。そして私は、戦士の帰還を今から心待ちにしている。
亡き父のために捧ぐ王者の証
「ショータイム」アンソニー・ペティスは、ベルトを奪ったすぐ後に一枚の写真をネットに上げた。そこには一人の男の墓と、今しがた奪い取ったばかりの王者のベルトが映っていた。墓の男の名前はユージーン・ペティス、アンソニー・ペティスの父親であり、彼は2003年、ショータイムが16歳のときに強盗によって刺殺された。
問題を抱えた青少年のためのクリスチャン・センターで管理人をしていたペティスの父は、友人宅にいるところを恐らく強盗によって殺されたという。警察は若きショータイムの元に訪れ、父の友人関係やらを根掘り葉掘り聞き、傷つきいらだっている彼の前に、救急車の中で目を見開いて絶命した父の写真を突き付けた。「あのイメージは一生忘れないだろう。」とペティスは言った。家族はこの町を去ることを考えた。しかしペティスはそれを望まなかった。彼は、父のいるこの町を離れることを望まなかった。
彼の父は家に不在がちだった。しかしペティスは言う。「彼は素晴らしい男だった。彼の少なめの発言はいつまでも胸に残る。彼はここで若者の相談に乗り、自分達のために懸命に働いたんだ。彼は私に多くのことを教えてくれた。」
父の教えを胸に、家族の愛を支えに、彼はとうとうこの日、MMAの最高峰に到達した。墓前に捧げられた王者のベルトは、一際輝きを増しているように見えた。
試合を「闘うこと」で、選手は戦士であり続ける
試合前のインタビューでショータイムは語った。スムースは「賢くなった」と。そして彼は、ルールを駆使しているだけにすぎないのだ、と。自分はそのスタイルのファンじゃない、見習おうと思わないと彼は言った。彼が目指した者は偉大なるレジェンド「ザ・スパイダー」アンデウソン・シウバだ。王者になると人は皆、ベルトを守るためにルールを駆使し、ラウンドを勝ち取って王座にしがみつこうとしがちだ。しかしスパイダーは違う。彼は試合を「闘う」ことでそこから離れ、常に印象的なフィニッシュでそのベルトを持ち続けたのだと。「私が尊敬しているのはそのことだ、私が成りたいのはそういう人間なんだ」とショータイムは語った。
そしてペティス陣営の方針はこうだった。恐らくスムースはもっとも安全な作戦を選択するだろう、そして勝ちに徹して5Rを全部取りにくるはずだ。だがそれはつまり、ショータイムにとっては25分間も、KOするチャンスがあるということなのだ、と。長引けば長引くほど、ショータイムが華麗なショーをお見せする機会が増えるだけであり、そしてそれこそがジャッジから勝敗を取り返す唯一の選択肢なのだ。彼のキックボクシングのコーチであり友人であるデューク・ルーファスはこう言った、「私ははっきり言って、そのやり方はペティスのスタイルにはまっているとおもうんだ。」
そしてその作戦は、まさに最高の形で達成された。
試合が開始すると、彼らの予測どおりに王者はひたすらにテイクダウンを狙い、クリンチで削る戦いを挑んできた。スタンドに付き合う気が無いのはバレバレだった。打撃のプレッシャーが無ければいかに優れたレスラーといえど、よほど相手がレスリングが苦手でない限りそうそうテイクダウンは極まらない。完全に読んでいたペティス陣営の準備は十分、彼は金網際でスムースの突進をしっかりと食い止め、決して相手にTDを許さない。
TDは粘りすぎれば、仕掛ける側があっという間にガスを使い果たしてしまう攻撃手段だ。ガードをさせようとするスムースの打撃に慌てずパンチをあわせ、そして組まれたらきちんとディフェンスをしていく。ショータイムに突き放されると、少し息を整えるようにスムースは気を抜いた。そしてそこに放ったショータイムの必殺のミドルが、勝敗を決する一撃となった。彼は冷静に的確に追撃し、弱ったスムースが再び息を整えようとしたところに一気にフィニッシュを狙い、そして彼の腕を絡め取って完全なる勝利を遂げた。「ショータイム」にふさわしい、華麗で圧倒的な勝利だった。
全ての攻撃がフィニッシュ・ブロー、「ショータイム」の戦いの流儀
試合はあっけなく終わった。そしてそれをもたらしたのは、ショータイムのスタイルだ。彼の攻撃はその全てが、「目の前に立つこいつを終わらせる」意志に満ち満ちている。
今回勝敗を分けたのは彼のミドルキックだ。削りとして使われることの多いこの技で、ショータイムはこの前の試合でもKOを奪っている。対戦相手はキックボクシングに秀でたドナルド・セローニだ。このときは左ミドルを叩きこみ、セローニは胴がくの字に折れ曲がった後に耐えきれず地面に倒れこんだ。スムースは倒れなかったとはいえ、実質KOに近いダメージだっただろう。
彼が放ったストレートも速く強烈で、あれも選手によってはKOしてもおかしくない打撃だろう。ペティスの攻撃は手数もそこそこ、そしてどれもが一撃必殺の可能性を秘めた、まさにアンデウソン・シウバを目指しているだけのことはある毒針の一撃だ。それも顔面狙いではなく、ボディで効かせるというのがさらに憎いところだ。
ペティスのスタイルこそ、まさに王者に相応しい理想的なものではないだろうか。常にKOを目指し、かといって狙いすぎて顔面ばかりに集めて空回りすることも無く、そしてアンデウソンやディアズのように顔面を狙わせようと相手に敬意を欠いた真似もしない。正面から挑み、そして時間内のフィニッシュを目指して闘い続ける。シンプルであるがゆえに、実現が最も難しいスタイルでもあるだろう。しかしそれを目指した先にあるものは、困難に見合うだけの価値があるだろう。常にフィニッシュを目指してリスクを負うことを考えなければ、いつしかその成長は止まり、窮地において相手の喉笛を食いちぎって勝利を奪い返す嗅覚が鈍っていくのではないだろうか。まさにスムースがいい例だろう。彼は「まさか自分がここでいい一撃を貰うことなんて無いだろう」と油断しきっていたからこその被弾だった。顔面さえ守っておけばなんとかなる、そんな慢心が透けて見えた。彼の嗅覚はベルトの臭いで鈍りきっていたのだ。
再び脚光を浴びる蹴りの有用性
少し前にボクシングがスタンド打撃を席巻したが、ここで再び蹴りの有用性が注目されつつあるように感じる。ボクシングの重要性に気づいて選手全体でパンチのレベルが底上げされ、ディフェンスがある程度確立されたところでこの流れは必然ともいえるだろう。
基本的には蹴りのほうが射程が長く、固い部位を当てられるために相手にダメージを負わせやすい利点がある。ガードをされてもある程度のダメージを与えられる。威力もやはり当たれば蹴りのほうがでかいだろう。相手の身体を痛めつけて徐々に弱らせるには最高の武器だ。足や腕、わき腹などを硬い足で蹴られ続ければどんどん行動不能になっていく。欠点としてキャッチされてTDされたり、足が使えないところにカウンターを合わせられるなどがあげられる。また相手の膝や肘などの硬い部位に当たった場合、蹴った側が負傷する可能性がある。
しかし、最近ではキャッチからTDされるシーンは殆ど無くなった。蹴りを打つ構えも、普通にボクシングのスタンスから打てる選手も多く、必ずしもムエタイの構えからくる弱点を抱えているわけでもない。キックボクシングもまた、MMAに適応してパンチとフットワークが改良され、TDに対しても反応できる形になってきているように思う。
特にここ最近では前蹴りのみでアリスターの腹と顔面を打ち抜いて勝利したトラヴィス・ブロウニ、打撃の雨を降らすようなコンビネーション・ブローでカンプマンを削り倒したカーロス・コンディット、そして今回ミドルの4連打でスムースを行動不能にしたアンソニー・ペティスと、蹴りによって試合が決まるのが多かった。ついこの間は、ボクシング一辺倒だったジュニオール・ドス・サントスがまさかのスピニング・キックを披露してマーク・ハントをKOしている。その中でも、純粋なキックボクシングが特に優れていると感じたのはやはりペティスだ。速く、強く、的確に相手に致命的なダメージを与える質実剛健なミドルキックは、あの一撃にキックボクシングの魅力が全て詰まっているように見えた。あれにはやはりコーチのデューク・ルーファスが貢献している部分は大きいだろう。決して派手ではないこのシンプルで強力な一撃こそ、ショータイムという選手の本質をよく現していると思う。
ベルトを持ってから真価を問われる「ショータイム」
今回は理想的な形でベルトを奪った。彼の攻撃は積極的で、フィニッシュを目指した素晴らしいものだった。しかしそれは、ベルトを取る前のスムースも同じだったことに注意しなければならない。ベルトの重みは、王者の重圧は、選手を容易く保守的にし、退屈なファイターに変えてしまうのだ。守るものが出来てしまえば、リスクを恐れるようになるのは当然だ。
そしてそれを逃れるには、常に適切な目標を据えなければならない。間違っても防衛記録などを目指すべきではないだろう。もし彼がベルトを持ち続けたいのなら、彼は常に試合を「闘う」人間であることを目指すべきだし、常に最後にはケージの中に自分ひとりが立っているようにしなければならないのだ。ポイントをせこせこと稼いだり、相手の攻撃をただ封じるだけだったり、ましてや気軽に勝敗の行方をジャッジに委ねるような真似はしてはならない。そしてそれは、彼が勝利を重ねるほどにどんどん難しくなっていく。「ショータイム」の今のスタイルがどこまで続くか、それによって彼の真の価値が決まっていく。
しかしそれは杞憂だろう。オッズが自分よりも優位だった王者を倒した直後、彼はマイクを向けられるとフェザー級王者「スカーフェイス」ジョゼ・アルドに呼びかけ、ベルトはここにあるぜと挑戦状を叩きつけた。王者となってすぐに、彼は新たな挑戦を求めたのだ。この戦いへの飽くなき情熱がある限り、ショータイムの視聴率が下がることは無いだろう。MMA屈指のファンタジスタとして、彼はこれからもケージの中で素敵なショーを見せてくれるに違いない。彼が戦士であろうとする限り、亡き父の墓前に飾られる供物はどんどんと豪華になっていくだろう。
ペティスは語った。「父が亡くなったとき、私達は引っ越そうと思っていたんだ。」
「その場所を通り過ぎるとき、私は事件を思い出す。だが私の父はここに葬られているし、私は父のいる場所に留まりたいんだ。私には大勢の家族がいるし、彼らの殆どはここに住んでいる。私のジムはここにある。私はここで素晴らしい人生を築きたいんだ。」
願いは叶った。そして彼の王道は、父の眠るこの場所から始まる。
ツイート
0 件のコメント:
コメントを投稿