2013年10月9日水曜日

チェール・ソネンが「UFCが望むなら誰とでも戦う」と絶対に言わない理由

チェール・ソネンがプロモーションを重視し、「私はUFCが望む誰とでも戦います」とは絶対に言わない理由



MMA Fightingより

UFC Fight Night29というイベントは少しばかりおかしなことになる。2013年までは、ジェイク・シールズの職の安定が揺らぐことなどありはしないと思われて当然だったろう。結局のところ、彼はメイン・イベントで戦うことになる、彼は元ストライクフォース王者であり、そして彼はUFCの試合でここ3戦勝利している(そのうちの一つはその後でノー・コンテストに修正された。)

しかし岡見の唐突な解雇、そしてそれに先立つジョン・フィッチの解雇の後で、それらの状況を比べずにはいられない。3人全員がかつてタイトルに挑戦し届かなかった者達であり、今はただ急成長中のコンテンダーを、その相手を消耗させるスタイルを用いて挫くことに役立つのみだ。彼らは全員とも30代半ばから後半であり、彼らは誰一人としてファンが好むとは考えられないし、そして少なくとも岡見とフィッチは彼らがリリースされた時、UFC公式ランキングでトップ10以内にランクされるという恩恵を受けていた。

これは、決して、もしシールズが水曜日にデミアン・マイアと対戦して敵わなかった場合に、仕事を失うだろうということをほのめかしているわけではない。それは間違いなく私が内々に知っている決定事項でもなければ、他の何かしらを主張しようとしているわけでもない。むしろ逆に、シールズのリリースは現在あり得る結果に思えるというその考え方こそ、本当にわずかでさえ、いくらかの重要性を帯びていなければおかしいはずだ。

今週初めに私はチェール・ソネンと話をした、彼自身かつては削って勝つ選手で、過去4年間の道のりの中で自身のブランドを確立して、堂々たるペイパービュー・スターになった。ソネン、彼もまた、シールズの状況と他二人のUFC犠牲者たちの間に類似性を見出している。彼は、他の選手たちはただ試合をするせいで同じような運命を回避する機会を失っているのだという彼の信念について説明した。その談話の文字起こしは以下で見られる。(このインタビューの一部は簡略化するために編集されている)

ショーン・アルシャッティ:ジェイク・シールズはここ3戦で勝利しています、しかし一方で、岡見勇信も同様でした。今日では解雇はとても予測不可能な形で訪れます、そして彼らには非常に大きな類似性があるのです。選手として、もしあなたがシールズならば、職の安定にどのように気を配るでしょうか、気に病むことなくです。

チェール・ソネン:そこだ。そんなことはないなんて己惚れるんじゃあない。ファイターは問われるだろう;そして彼らは絶えず嘘をつくのさ。私はジェイクがそれを問われているのかはわからない、しかしすべてのファイターはその重圧について問われ、多くの人がそれを前向きに捉えようと嘘をつく。さあ、こう言うことを恐れてはならない、「そうだ、この場所(訳者注:解雇されるかもしれない今のシールズの状況)は不愉快極まりない。このせいで私は夜中まで起きているんだ。私はこの場所にいることが嫌だ。私はこの場所にいることついて狼狽えているのだ。」私が思うに、これはもっとずっと現実的(な反応)なんだ、少なくともジェイクにとってはね。

アルシャッティ:年配の彼らにとって、スターになるか、ファンのお気に入りになるのが今すぐ本当に安堵感を得られる唯一の方法のように見えます。そしてシールズのケースでは、岡見同様、彼はまったくスターではありません、2005年から2試合を除いてすべての試合に勝利したにも関わらずです。もし勝利がそれを実現しないのであれば、何がファイターをそのような価値ある状態にしてくれるのでしょうか。

ソネン:さてどうだろうね。もし君が私に「ようチェール、UFCでスターになるには何が必要なんだい?」こう尋ねていたら、私は君にとても素晴らしい推測を教えてやれただろう、だが果たしてそうはならなかった。私は本当にわからないね。

毎年ファイター・サミットなる何かがある。そして一番最近のものに私たちは出席し、デイナ・ホワイトはこの話題に触れていた、そして私はデイナの言葉を引用しよう、なぜなら彼は正論だったからだ。デイナは言った、「スターになるために必要なものが何かは私にはわからない。それはとても奇妙なお決まりのセリフだ。」君がコナー・マクレガーのような男を選べば、膨大な時間がかかる。君がブロック・レスナーのような男を選べば、彼はもうその場所に足を踏み入れているんだ。

だがスターが持つ不変の要素の一つが、彼らは試合に勝つということだ。君が勝つときはいつだって、君はもう一つの戦いをしているんだ。君が戦う時はいつでも、君はプロモーション、マーケティング、そしてメディア活動をしているんだ。それらがスターを作るものだ。それはフットボールと同じことさ。一番タッチダウン(に繋がるパス)を投げる奴なら誰でもいいってわけじゃあないんだ。ESPNかFOX Sports1でそれを一番やる誰かが一番有名なクォーターバックになるんだ。そいつはまさにそういう仕組みなのさ。

アルシャッティ:それはいい論点です、そしてあなたは基本的に経験に基づいて話しています。では私に質問させてください、あなたはシールズや岡見のようなグラインダー(消耗戦で勝つ選手)はもっと無遠慮に物を言うようになることが必要だと考えますか、彼らの名前にあるレベルの価値を付加するためだけにです、それが彼らの優先してきたことではないかもしれなくてもです。それは全体、彼らがあの運命を避ける手助けとなるのでしょうか?

ソネン:戦いとは表現だ。それはスピーチの一つの形態であり、彼らがそれをマーシャル・アーツと呼ぶのはそのためだ。それはアートなんだ。それはもっとも偉大なる表現の形態だ、それか少なくとも我々が人間として持っている最も共通のものであり、我々を動物から隔てているもの、それは話すこと-伝達する能力だ。それもまた表現であり芸術であり、そしてそれらは相互に作用しあうのだ。

人々は私に持ちかけてくる、「うーん、あなたが唯一あなたのポジションにいられるのは、あなたが上手にお話しできるからですね。」いいだろう、第一に、君は正しいかもしれない。だが二つ目に、何だ、私はこのことに対して謝罪する必要があるのかね?違うな。これは表現行為だ。私は話すことの他に意思疎通を図る方法を知らないね。要するに、たぶん私はモールス信号からそれをくみ取ることができたんだ、だが私がただ言葉を発する時に、人々がそれと同じだけ理解するだろうとは私は思わないね。だからそうだ、私は皆がその仕事をより良くできるだろうと思っている。

私は喧嘩好きではない。もし二人の男がたった今外を歩いていて喧嘩になったとすれば、私は外に出て観戦しにはいかないだろう。だが、私はUFCファンだ、なぜなら私は誰が戦っているのかを知っているからだ。私はなぜそれが彼らにとって重要なのかを知っている、私はそれぞれの奴を少しばかり知っている。そしてUFCはそれら全部をUFC単独でやることはできないんだ。我々はストーリーを語ることをファイターに頼っている。なぜ私は君が勝つのを望んでしまうのだろうか?もしくは、なぜ私は君が負けるのを望んでしまうのだろうか?最も重要なことは、なぜ私はこの試合を気にしてしまうのだろうか?そしてUFCが非常にうまくやっているのがそこだ、彼らはストーリーを語る。彼らを助けている。彼らは君に媒体を与えるだろう。彼らは君にインタビューを与えるだろう。彼らを助けているんだ。彼らがそれをやれば、君は機会を逃さないんだ。

アルシャッティ:率直に言えば、そういう風に自分を出すことに躊躇するか、悪戦苦闘している人が大多数のように見えます。あなたの目から見て、それをやるのに一番簡単な方法はなんでしょうか?

ソネン:私が顔にマイクロフォンをつけた奴を見れば、彼らはそいつに尋ねるだろう、「あなたは誰と戦いたいですか?」彼らは何度も何度も言うだろう、「UFCが私に戦うことを望むのなら誰とでも。」

さあ、我々は皆ほとんど頭を壁に叩き付けんばかりだ、続けよう、「聞けよお利口さん、我々はおまえが戦おうとしてる奴が誰かということを知っている。おまえはUFCが君に戦うことを望む奴と戦わにゃならんことは知っているんだ。その質問はこうだった、お前を誰を望むんだ?そしておまえはまさに自身の機会を失ったんだよ。」これがアメリカだ。この国では、君が求めないのなら君は何も得られないだろうね。恐れることはない、そして求めることを恥ずかしく思ってはならないんだよ。

アルシャッティ:それは実際に究極の例です。その洗練された丁寧な視点は素晴らしい、しかしそれは試合を売りません、そしてあまり性急に梯子を登るのは、間違いなく選手への興味を喚起しません。ただ自身の運命を揺り動かす手助けとして、指名してはどうでしょうか?

ソネン:私が思うに多くの奴が注意を払っていないんだ。彼らはこの産業に注意を払っていない。私が思うに彼らはファンに対してとてもよく気を使っている。

我々もまた思い違いをやらかしているんだ。途方もない誤解がある。君はマーシャル・アーツについてこんなことを聞くだろう-マーシャル・アーツは敬意と栄誉と、こういうこと全部を内包しているんだと。忘れてはならない、ミックスド・マーシャル・アーツとは2001年、ネバダ州議会が法律を通すために作り出した項目にすぎないのだよ。現実のものじゃない。それは我々がやっていることではないんだ。我々はスティールのケージの中で戦っている。それが我々がしていることだ、極めて制限されたルールと共にね。

カメラに映るのを私が最も楽しんでいる奴の一人がニック・ディアズだ。彼はそれを毛嫌いしているけどね。言うなれば、ニック、どうにかしてこれをできる限り嫌う事はできないかね?君はとてもいいよ。彼が言うことはすべて興味深いか愉快なものだ。彼がサンピエールに負けた後のジョー・ローガンとの試合後のスピーチ、これは値千金だ。私はそれを聞くためだけに50ドル払ってしまっただろうね。

伝統的なマーシャル・アーツ・ジムにおいて、空手、カンフー、合気道のどれでも、こういう人たちは彼らの生徒に教えるだろう、「君たちがやっていることはすべて、君たちが絶対喧嘩に巻き込まれないようにするためのものだ。立ち去りなさい。誰とも戦ってはいけない、なぜなら君たちは本当に彼らを傷つけてしまうだろうからだ。」さて彼らが本当に言おうとしていることは、私が君たちに教えていることは役に立たないのを私は知っています、ということだ。私は君にいつかそれを試して欲しくない、なぜならもしそれをしたら、君の父親は君が私の元に毎月50ドル持ってくるのをやめさせてしまうからだ。現実に目を向ける時間だ:これは栄誉と尊厳なんかじゃない。これは貴様の敵を打ち負かすことだ。これは競技じゃない。これは薄汚くて卑劣なスポーツで私たちはそれをやっている、いくつかの理由からだが、君はそれを愛している。そしてそのことに対して申し訳なく思う必要などないのだ。

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MMA学の権威であるチェール・ソネン博士による「MMAにおけるプロモーションの重要性とアメリカという国の特性」についてでした。

今回彼が語るのは、選手のセルフ・プロモーションについてです。そしてその話題が出た理由はもちろん、チェール・ソネンの盟友であり練習パートナーで、遥か東の島国から頂点を目指してアメリカまで旅してきた男、岡見勇信がUFCから解雇されてしまったことが一つ、そしてもうすぐ試合をする予定のウェルター級選手ジェイク・シールズが岡見勇信、そしてジョン・フィッチらと同じタイプで、負けた場合のリリースが噂されているからです。

今回は私が考えるMMAのプロモーションについて、競技と娯楽の兼ね合いについて述べたいと思いますが、その前にまずは教授の講義を簡潔にまとめておきたいと思います。


・選手が解雇されそうな時の心境は?

狼狽えて当然。みんな本心を誤魔化してる。

・勝っても人気が出ないなら、選手はどうやって人気を生み出せばいいの?

スターに必要なのは最低限勝利。そしてただ活躍すればいいわけじゃない。ちゃんと電波にのったところで一番活躍するのがスターを生み出す。

・退屈な選手でも、無遠慮に喋れば人気が出るの?

戦いは表現でスピーチの一種で芸術。それに加えて会話という伝達手段もそう。それらが相互に組み合わさって価値が生まれる。

自分は口がうまいから人気が出たとよくいわれるが、他の伝達手段は知らない。単に人よりもそれが優れていただけ。ほかの人ならもっとうまくできるだろう。

私は喧嘩は好きじゃない。路上で知らない奴らが喧嘩しても野次馬しない。でもUFCが好きなのは、戦うやつらの素性と戦う理由を知っているから。そしてUFCだけでは、この戦う理由、つまり物語を提供できないから選手に頼っている。だからUFCは媒体を提供し、インタビューを提供し、彼らが素性を語る手助けをしているし、UFCが優れているのはその点。

・多くの人がそういう場で自分を出すのに困ってるけど、一番簡単な方法は?

会見で「UFCが望むならだれとでも」という奴、笑わせるな。お前がUFCが組んだ奴と戦わなきゃいけないことはわかってる。質問は「誰がいいのか?」だ、お前は機会を失ったんだ。

それがアメリカだ。アメリカという国では、求めなければ何も得られない。求めることを恐れるな、恥ずかしいと思う必要なんてないんだ。

・でもあまり大物ばかり指名して急いてる奴は興ざめじゃないの?

皆この商売をわかってないし、ファンばかり気にしている。そして自分も含めて誤解しているが、MMAなんてものは法律上の定義にすぎないし、崇高なものではないんだ。スチールの金網の中で戦うこと、それが自分たちがしていることだ。

カメラに映ってるのが一番面白いのはニック・ディアズだ。そして彼が面白いのは、テレビが嫌いで画面に映りたくないから面白いのだ。

武道のような建前はやめようじゃないか。栄誉も尊厳もありはしない、これは薄汚れたスポーツだ。相手の打倒を目的としたものだ。でもそれを愛しているなら、それでいいじゃないか。


ざっくりとまとめました。重要と思う点は色を付けてあります。この中で私が特に重要だと思うのは、アメリカという国について語っているところです。

このメッセージは一体誰に向けられたものなのでしょうか、読者の皆様は極東の、謙虚で慎み深い人間が多く住む国を思い浮かべたのではないでしょうか?いつも笑顔で、物静かなある日本人を思い浮かべたのではないでしょうか?アメリカという国の常識は、他の国では非常識なことがあるのです。そして逆もまた然りです。声を挙げない者は意志無き者なのです。彼はこのことを、盟友の日本人と共に過ごして気づいたのかもしれませんね。

そして最後の武道の比喩は、かなり逆説的な物言いであることに注意してください。あくまでも建前をやめようというだけのことであって、空手やカンフーが実践的でないことを非難するものではない、ということは押さえておいてください。またMMAが尊厳や栄誉がまったくない、ということでもありません(むしろ誰よりもそれをMMAに見出しているのは彼でしょう)。彼が言わんとするのは、「この商売で、みんなが本当に見たがっているもの、みんなを本当に惹きつけているものは何なの?」ということです。「誰とでも戦う」もそうですが、要はファンの目を気にして気取ってんじゃねえよ、ということです。

ニック・ディアズがカメラに映るのが一番面白いと言っていますが、これもつまりそういうことです。彼はカメラが大嫌いで、皮肉なことにカメラに映るのを露骨に嫌がるからこそ面白いのです。もし彼が嫌なのを我慢してまともにコメントしたら今の人気はないかもしれません。彼はたとえ非難されようと本音を言います。みんなが求めているのはその人間性、偽らざる本音なわけです。

それでは以上のことを踏まえて、私の考えを述べたいと思います。

まず私は、競技のエンターテイメント性を否定するものではありません。むしろ土台がある程度しっかりしていれば、プロモーションには可能な限り力を入れるべきだ、という考え方です。

日本のみならず世界で一時代を築き上げ、今日のMMAブームを生み出した一番の原動力がPRIDEであったことは、恐らくだれも否定できないはずです。このイベントがMMA普及に相当貢献したのは間違いありません。他ならぬデイナ・ホワイトが、PRIDEの大ファンで桜庭選手を崇めていたことは有名な話です。

このPRIDEがもっとも優れていたのは選手の見せ方だったと私は考えています。選手がどういう素性で、どういうものを背負って試合に臨んでいるのか、そして対戦相手に対してどう思っているのか、この構図をいわゆる「煽りV」などを使って魅力的に見せ、かつ舞台上で極度の緊張からの緩和を盛大に演出することで、観客に興奮と歓喜をもたらしました。選手の持ち上げ方がうまく、ファンが選手に親近感を感じつつ、敬意を抱くような紹介の仕方をしていたと思います。

演出に秀でる一方で、PRIDEはその陰で様々な問題を孕んでいました。演出は優れていましたが、そのために選手の安全性を蔑ろにしていました。いい加減なレフェリー(アクション大魔王)、ショート・ノーティス、計量やドーピング・チェックの甘さ、医療体制の不備、格差マッチや体重差の放置などです。つまり安全で公平なスポーツとしては、甚だ不完全なものでした。

そしてUFCが優れていたのは、スポーツとしてかなりしっかりしていたという点です。UFCはアメリカにおいて、行政に関与させてその監督を受けることで、競技としての土台を確立したように思います。階級分けや計量の徹底、行政によるドーピング検査、違反者への厳格な罰則、ジャッジやレフェリーがコミッションから派遣されることによる公平性の担保などです。さらには選手の保険費用負担をはじめとした選手への援助もかなり手厚く行われています。

このように競技として安全と公平性が担保され、勝敗に大会開催者の関与がないのであれば、これはいくら宣伝してもいいのだと思っています。逆の場合が問題です。競技としていい加減なのを宣伝でちょろまかしてすごいように見せかけるのは、中身がスカスカですから絶対に破たんします。格差マッチで見かけ倒しのど素人を連れてきてはさも達人のように言いふらし、それを派手に倒させて最強を喧伝するというようなのは安全面からも最悪ですし、またそんなものはすぐに見抜かれてしまいます。選手自身のレベルもどんどんと落ちますから、他の団体で試合をした時にあっさりとボロが出て、浦島太郎状態なのをさらけ出してしまうわけです。

UFCでは負けたら対戦相手のレベルが下がりますし、勝てば容赦なく上位陣とやらされますから基本的にはボクシングのランキングに近い、そこそこの実力主義です。プロテクトとは真逆のことしかやりませんし、幻想が生まれたらすぐにそれが本物かを試されてしまいます。なので選手層も充実するし競技のレベルも下がることはありません。こういう状態であれば、プロモーションにはかなり力を入れていいと思います。

次にプロモーションの在り様について考えてみたいと思います。

私が思うに、プロモーションに必要であり、かつUFCが求めているのはソネンが言う通り「選手の素性」です。これは私が紹介する記事の選定基準と全く同じです。選手がなぜ今ケージにいて、そこで何を求めて戦っているのか、そして彼らには負けられない理由がある。この失うものがあるリスクが緊張感を生み、これが試合を面白くする最大のスパイスになるのです。

昔PRIDEが好きだったけど、UFCがMMAで最大の団体になってからは試合を見ていないという人の中に、選手のことがわからないから試合が面白くないという人はかなり多いのではないでしょうか。それはUFC日本大会でも同様です。自分が知っているかどうかが、面白いかどうかの基準になっていた人は多いのではないでしょうか。そしてこれはMMAに限らずすべての娯楽がそうである、と断言して構わないと思います。

芸能の世界でも同様です。「テレビに出ている人」というもののアドバンテージは凄まじいものがあります。たとえば落語であれば、笑点に出ているメンバーなどは例え落語そのものがたいして巧くないとしても、「あーこの人知ってる」というだけで客は面白く感じるのです。逆に知名度がない人がやったネタを存分に楽しんでもらおうと思えば、枕の部分で相当に客に自分を知ってもらい、話を聞いてもらう土台を作り上げる必要があります。

だからこそUFCは、選手のことをより知ってもらうためにプロモーションにかなりの力を入れています。大会前に選手紹介のかなり長いドキュメンタリー風のPVを流すのはもはや定番ですし、最近では試合前に会見を開いて対戦する選手を同じ舞台に立たせ、さらにはポーズを取らせてメディアが使いやすい絵を提供します。ショートのCMもコミカルだったりシリアスだったりといろいろあって凝っていますし、ことあるごとに選手にインタビューしては彼らに語らせようとします。今ワールド・ツアーなるものやファンエキスポなどを開催して選手と生で会える機会を提供していますし、ツイッターをやらせてファンと交流させるのも、選手を身近に感じてもらうためのものです。そしてこの部分こそ、UFCが優れているとソネンが指摘する点です。

しかしここに、UFCとPRIDEでは決定的に大きな違いがあります。UFCは選手にストーリーを語る機会を頻繁に与えますし、いろいろ調べてPVは作りますが、選手をどういう風に見るかについては一切の視点を視聴者に与えないのです。PRIDEは逆に、大会運営側が選手の「ここが面白い」というのを見出してそこを強調し、それを相手選手と絡めてわかりやすい対立構図を運営者の側から視聴者に提供していたのです。

この違いは非常に重要であり、かつこれまであまり着目されず、さらにはまったく混同して扱われていたように思います。しかしこの点を見逃すことはできません。つまり、ソネンも記事中で指摘する通り、UFCでは視聴者に己を知ってもらえるかどうかは選手次第なのです。機会は与えてもらえます。しかしそこで何を語るかについては、UFCは一切の関与をしません。

だからこそUFCではセルフ・プロモーションが重要になるのです。何も用意していなければ、選手は唐突に自分の素をカメラの前で晒すことになります。そして大概の選手は普通の人間ですから、そういう状況になればとりあえず人目を気にして当たり障りのないことを言います。しかしそれは当然ながら、よく見慣れた事なので何一つ面白くないわけです。

たとえばあなたが選手だったとして、会見で次にあなたは誰と戦いたいですか、と聞かれたとします。さあどう答えるでしょうか?明らかに弱くてネーム・バリューのあるやつと戦って小銭を稼ぎたいなあ、リスクを避けたいなあと思って格下の奴の名前を挙げるでしょうか?それとも大した実績はないけども、うまいこと作戦がはまれば王座が取れるかもしれないからと、とりあえず王者の名前を挙げるでしょうか?それとも今自分が練習しているスキルの上達具合を知るために、同じものが得意な選手を指名して実力を試そうとするでしょうか?理由はいろいろあるでしょう。しかし下手に名前を挙げれば、様々な問題が生じてしまう可能性があります。

チームメイトの名前を挙げれば、彼は今後ジムで気まずい思いをするかもしれません。格下を指名すれば、こいつは雑魚狩りをするチキンだと思われるかもしれません。格上を指名すれば、こいつは自分の実力も把握できない勘違い野郎だと馬鹿にされるかもしれません。同レベルの選手を指名すれば、野心のないヘタレだと言われるかもしれません。

本音を知られて馬鹿にされるのを恐れた時、人は基本的には本音を隠して当たり障りのないことを言います。(皆さんも経験ありますよね?)それがソネン教授が嘲笑う「UFCが望むのなら誰とでも」です。

最後に述べているニック・ディアズの例と合わせて、ソネン教授が指摘するのはこの問題です。カメラの前で姿勢を正し、当たり障りのないことだけをしゃべるのはどういうことかといえば、それはつまり「選手の素性を視聴者に隠す」ことなわけです。そして選手のことを知ることができなければ、ファンはその選手の試合を路上の喧嘩と大差ないものと扱ってしまうことになります。これでは人気を得ることはできません。

皆さんも、選手が練習していたりケージの外でふざけている動画や写真を見て楽しむことなどは多々あるのではないでしょうか?ツイッターで何を呟いているかを見たりしませんか?要はああいうのがないと、選手のことがわからないから応援のしようがないのです。いかにも怖そうなゴリラみたいな選手がオフでとても繊細にレースを編んでいたらどうでしょう?何も知らないゴリラのような選手がどつきあうよりも、普段手芸が趣味で可愛い物好きのゴリラがケージの中でどつきあっているほうが、はるかに応援したくはなりませんか?

そして素性を隠してしまうのはなぜかと言えば、やはり彼らはスポーツ選手であり、カメラのレンズの先にある、自分に注目するファンの目を意識しているからです。自分をカッコいいと思ってみてくれている人の前で、趣味や性格をさらけ出すのは普通の人間ならば抵抗があります。おかしなことや礼儀を欠いたことを言って、ファンを失望させたくないと思うのは当たり前のことです。

ここで勘違いしてはいけないのは、何でもかんでもさらけ出せばいいというのではありません。私生活を犠牲にする必要はないのです。もっと言うなら、面白おかしくしゃべる必要もないのです。私生活を切り売りするのは日本の芸人がよくやっています。面白いですが、それは世間に自分への固定化されたイメージを植え付けてしまい、いつしかそのイメージに自分の生活が縛られて破たんしてしまう可能性があります。私生活の切り売りは容易いですし手っ取り早く大きなリターンを得られますが、その犠牲はかなり大きいことを知っておく必要があります。

会見を例に取ります。ニック・ディアズはカメラが嫌いで、人前でしゃべることも大嫌いです。そのために、彼はカメラを向けられると不機嫌になり、意味不明なことを口走ったり、余計な悪口を言ったり、悪いときには会見をバックれます。大勢が当たり障りのないことを言う中で、ディアズの行動は「ニック・ディアズはどういう人間か」というのを一番雄弁に物語っているのです。弱さを隠さないディアズの行動は、多くの人間に親近感を与えます。それが彼が人気の理由の一つでしょう。

しかし彼のそれは持病の影響もあります。たとえ人気が出ても、本人からすれば極めて不本意で不愉快に思っていることはきちんと理解しておく必要があります。そのうえで、こういう行動をほんの少し出せば、それだけでもう十分なのです。わずかでもいいから自分の素顔を少しでも知ってもらって、名前を覚えてもらうことが必要なのです。

逆に本音を出さないことで、結果的にそいつがどういうやつなのかを物語っているのがチェール・ソネンとアンデウソン・シウバです。チェール・ソネンは「アメリカのストリート・ギャング」というふざけたキャラを作り上げ、人前でトラッシュ・トークを繰り広げて多くの人間の耳目を集め、そして巧みに試合を宣伝します。彼はただ悪口を言うだけでなく、その中に本音を混ぜたり他者を絶賛したり、結果的にMMA全体の利益になるような話にしてしまうのが彼の才能の最も優れた点です。そして試合はいたって正々堂々、負けたらあっさりノーサイドと試合自体はとてもクリーンに行います。それらの行動から、最終的に彼はおかしなキャラを作って本音を隠し、そしてみんなのことを考えているシャイで頭のいい人だということがわかるわけです。

対するアンデウソン・シウバも同様に本音を出しません。何を聞かれてものらりくらりと適当に答え、時としてはセガールに技を教わったなどと嘯き、中々に本心を見せません。彼の行動はすべて嘘くさく、そしてまた本当のようにも見えます。かと思えばワイドマンとの敗戦後に号泣したり、八百長を疑われて涙したりと、突然にその乙女チックな本性をさらけ出して皆をドキッとさせます。これらのことから、アンデウソン・シウバという人間は、結果的にどこまでが本心かわからない神秘的な人間だと皆に思わせるわけです。

やり方はいろいろあります。しかし人気のために必要なのは、どういう人間なのかを知ってもらうことです。それはただ喋るだけでもだめですし、またただ試合をしているだけでもダメなのです。

試合でもある程度選手の素性がわかります。フィニッシュを目指してがむしゃらに戦う選手、遠目からチクチクつつき続けるだけの選手、堅実に相手を削り倒していく選手、それらも雄弁に彼らがどういう人間かを物語っています。しかしそれを試合中に完全にくみ取って知らない選手の試合でも存分に楽しめるのは、私のように頭のおかしいMMAマニアだけなのです。

UFCではPRIDEのように選手のいじり方やキャラ付けを提供してはくれません。売れたかったら機会をやるから努力しろ、というのが基本的な方針です。自分はこのあたりかなり難しく感じています。大会側が選手の宣伝をし、選手は試合に専念するのが正しいとも思うからです。選手の仕事は試合に勝つことであり、勝てば人気が出てPPVが売れるようにするのは大会運営側の仕事のように思います。

一方で、PRIDEのように選手イジリが抜群におもしろすぎてもよくないのかなとは思います。変なキャラ付けが先行しすぎて、選手やファンがそれを不愉快に思ったり、変な束縛を受けたりする恐れがあるからです。ただ基本的には、プロモーションに関しては大会運営側がほとんど全部をやるほうがいいように思います。これといった訓練をしていないスポーツ選手にそういうものを要求しすぎるのはおかしいと思うからです。

またUFCはツイッターなどを選手にやらせて積極的に発言するようにしてはいますが、一方で選手が不穏当な発言をした時の処分はきわめて厳しいです。レイプバン、という言葉を使ったミゲール・トーレスが一発で解雇されたりと、少し気の毒なくらいに厳正な処分をしており、もしそういうのが心配であるならばやはりプロモーションは運営が責任をもって全部やったほうがいいように思います。こういうことがあるから、選手は余計セルフ・プロモーションしにくくなっている状況もあるからです。

そのうえで選手の側で、機会があったらなるべく本音でしゃべるようにすればもっと試合が面白くなるように思います。「自分は誰と、こういう理由で戦いたい」とはっきりというだけで、その選手のことは記憶に残りやすくなるからです。金が欲しいから弱い奴とやりたい、こういう発言もまたその人の個性です。(ファンに人気が出るかどうかは知りませんがw)

あの国では機会は与えられますが、それを掴むかどうかは本人次第です。ソネンは言います、ケージの中で戦う時、広告、宣伝、メディア活動という舞台でも戦っているのだと。大勢の人に自分の試合を見てもらいたいなら、その機会を逃さずに努力をするしかない、というのがソネンの意見です。

MMAがスポーツとして普及するにつれ、UFC側もMMAとは名誉と尊厳を賭けたものだという点を前面に押し出しているように思います。なぜならいまだに野蛮な見世物というイメージが強いからです。しかしそれも度がいけば、結局全員外面を取り繕って見分けがつかなくなる、というのが恐らくソネンが言いたいことなのでしょう。所詮は野蛮な殴り合い、でもそれで面白いのならいいじゃないか。だから選手はもっと利己的になってイメージとかを気にしすぎてはいけないよ、というのをわかりやすく伝えるために彼はここまで踏み込んで話したのでしょう。

私はディアズのように、キャラではなく素でああせざるを得ない人を楽しむのはあまり好きではありません。彼自身はとてつもない苦痛を感じているからです。面白いとは思いますが、それは彼を犠牲にした面白さです。この点に関しては、ソネンに同意することはできません。そしてそれを曝け出せと選手にいうのも酷なように思います。

ただ、選手が自分のことを知ってもらう努力をするのは、これ自体は悪いことではありません。岡見選手はUFCに7年在籍していましたが、試合のスタイル以外で、彼について詳しく知っていたMMAファンはどれくらいいたでしょうか?彼がなぜあのスタイルなのか、なぜUFCに参戦することになったのか、ソネンと生活していてどうだったのか、そういうことを彼が向こうで情報発信することはあまりなかったように思います。そしてその最大の要因が英語です。彼は英語が喋れないために、セルフ・プロモーションの機会を得ても、情報発信ができなかったわけです。そういえばツイッターもやっていなかったですね。あの国では、人気と金が欲しいなら「欲しい」とはっきり言わなければいけないのです。

どのスポーツでも、選手のエピソードを知ることによってぐっと応援する気になったりすると思います。弱さを見せたり、逆に素晴らしい部分を見出したりすれば、その人の見方が180度変わることだってあります。それを私生活を犠牲にせずに広報することは、選手とファンの距離を近づけ、人気を生む要因となります。しかしそのプロモーションをどこまで選手がやり、どこまで運営がやるのか、強くても情報発信できないから人気がない、そのためにリリースされるでは選手にとってはあまりにも負担が大きすぎるように思います。チャンスはやったんだから、あとは掴まないお前が悪い、それがアメリカという国です。要求することは恥ずかしいことではない、とソネンは言います。今となってはもう手遅れですが、岡見勇信はどうするのが正解だったのでしょうか?郷に入りては郷に従うべきだったのか、自分にもわかりません。もしUFCがPRIDEのように選手への見方を提供していれば、こういう結末にはならなかったのでしょうか?

自分の理想を言えば、やはり選手は勝つことだけを考えているのが理想です。日本では野球において、落合監督が勝ちに徹して人気を考えていないとして批判されていましたが、自分はあれをかなり不愉快に感じました。監督の仕事はチームを勝たせることで、その魅力を伝えるのは監督の仕事ではありません。だから本当は選手はひたすら試合のことだけを考えて、その面白さを伝えるのは運営がやるべきだと思います。しかし、今のUFCのように視聴者に選手への見方を委ねるというのは、それは正解だと思います。

最後に、岡見と同じようなリリースをされたジョン・フィッチの名言を引用したいと思います。

「MMAの中心部分はスポーツだが、その周囲を取り巻くすべてはサーカスなんだ。私はすべてをスポーツとして扱いたかったが、それは無理なんだ。」

皆さんは、理想的なプロモーションとはどういうものだと思いますか?

8 件のコメント:

  1. >プロモーションには可能な限り力を入れるべきだ、という考え方です

    仰る通りです
    自分は今はUFCしかチェックしてませんがそれはUFCが好きというよりUFCの選手しかしらないからだし
    逆にプロレスでもないのに勝利以外の努力も強いるというのはプライドと同じ位選手には酷かなとも

    そしてソネンとアンデウソンの考察もその通りかと
    そう考えるとあの二人はある意味最高のコンビですねw

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    1. あの二人はなんだかんだでいいコンビですw伊達に信じられない量のPPVを売ったわけではありません。というかソネン教授のトークでアンデウソンはボロ儲けだったわけですし、ソネン教授は名前を売れたしでWIN-WINの関係ですよね。お互いに才能を認めてもいるし、いつか二人で一緒に稼いだ金でバーベキューする日が来ると信じています。

      >選手に酷
      そうなんです。結局ソネン教授のセルフ・プロデュースのノウハウはまんまWWEで、彼はプロレスにも造詣が深いからできた芸当です。他の選手がもう少しファンサービスを考える程度ならばいいかもしれませんが、あんまり選手にストーリー・テラーとして期待するのは少し負担をかけすぎな気がしますね。

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    2. >伊達に信じられない量のPPVを売ったわけではありません

      やぱそうなんですね
      自分は精々ネット動画を見る程度だったのにソネンアンデウソンはわざわざUFCやってるスポーツバーを探して見に行きました

      やはりあのアングルと試合内容は奇跡としか
      2番目はUFCがエンタメとしてもプライドを越えた瞬間だと
      ・・・ミルコヒョードルがもう一回あれば別だったんですがね…

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    3. 試合前はアングルバリバリの煽りまくり、試合内容は完全にガチというのがソネンさんのいいところです。結果的にひどいやられ方でしたが、完全燃焼だったと思います。ソネンさんを応援してましたが、いつのまにかソネンさんがベビーフェイスでアンデウソンがヒールになってたのも中々にオツでした。計量時の肩パンチは今も腹が立っていますw

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  2. ミルコがPRIDEを「終わりのない連続ドラマ」だと言ってたのが印象的でした

    日本格闘技界にみた煽りVは、セルフプロモーション能力に欠けるファイターや、ランキングやキャリアの低い選手の価値を効果的に高める点から、いかなるプロモーターにとってもリターンの大きい手法だと思います

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    1. そう思います。あの煽りVは映像そのものがかなりの質だったため、どんなに無名の選手でも試合前に見ればほぼ応援ができてしまう優れモノでした。笑いあり涙ありナンセンスありと、その浸透力は常軌を逸したものがあったと思います。

      その一方で、どんなに大したことがない選手でも持ち上げられてしまうという欠点も孕んでおり、それを悪用していたのがPRIDEに続く日本の団体だったと思っています。広告効果がありあすぎる、というのはやはりリスクもありますし、見ている人に選手への視点を提供してしまうのは、本当を言えば好ましくない事でもありました。このあたりはバランスがほんとうに難しいです。

      今思いましたが、日本で海外の選手が試合する場合、結果的に運営側が用意せざるをえない、という事情があの宣伝手法を生んだのかもしれませんね。

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    2. 公平性が商業性に侵食される恐れということですね

      UFCは目先の色物に対してクールですが、日本格闘技界の悪夢は確かにトラウマです

      同時に、広告効果の強度を調整されても見てみたいと言う気持ちもあります

      まぁ、ないんでしょうね。。。

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    3. 私はあの日本格闘技界のトラウマは結構根深いと思っています。行くところまで行っちゃいましたからね。一回転して面白かったです。いつも額に青筋を浮かべて見てました。

      ただUFCはわりとコメディ調のPVとかも作りはしますし、広告効果を増したのは今後も出てくる可能性はあるかもしれませんよ。一回PRIDEのノリまんまのを実験的にやってみてほしい気もしますねw今ならもうUFCがそれでどうこう影響を受けることもないくらいに安定したとも思いますし。

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