ヘビー級タイトルマッチ 5分5R
WIN 王者ケイン・ヴェラスケス vs 挑戦者ジュニオール・ドス・サントス
拳で綴る戦士たちの三部作、堂々の完結
三度目の正直という言葉がある。仏の顔は三度までともいう。三顧の礼で頑なな者も心を開くらしい。そして物語は三部作がもっとも理想的な構成とも言われている。「3」という数字は一つの区切りをつけるのにもっとも適した数字なのだろう。区切りをつけることで一つの物語は完結する。それはとても清々しくもあり、そして残酷でもある。テキサスはヒューストンで、日本時間10月20日に行われたある男たちの三度目の対戦によって、一つの物語が幕を閉じた。遥かブラジルの地から、身一つで夢を追ってアメリカに渡り、そして一度はすべてを手に入れた青年が、この日変わり果てた姿でケージを後にした。彼の夢は、彼の思いは、彼の物語はここで一度終わりを迎えた。それはあまりにも残酷だった。そしてその残酷さは、彼の勝ちへの思いと、そのために鍛え上げた肉体こそが演出したものだった。
「シガーノ」ジュニオール・ドス・サントス、この29歳のブラジル人は、ベルトを奪った相手と戦うことをひどく喜んでいた。そしてこれから彼と何度も王座を争うことを、まるで恋人との未来予想図を語るように話していた。人生で一番嬉しいことは決して成功することではない。本気になれる何かを見つけ、そして燃え尽きることだ。だから命を懸けるに値する仕事を見つけ、そして全身全霊でぶつかり合える相手がいることは、もしかしたら何よりも嬉しいことなのかもしれない。そして「シガーノ」は、事実その愛するもののために、これまでも己の命を削り続けていた。
彼らの一度目の対戦の時、シガーノは強烈なオーバーハンド一撃で現王者ケイン・ヴェラスケスをマットに沈めた。FOXという放送局と契約したことを記念しての、大々的に宣伝された大会でのことだ。わずか一分余りの決着は視聴者に大きな驚きと、そしてわずかな落胆をもたらした。誰もがジュニオール・ドス・サントスという男は万全だったのだと思った。しかし彼の膝は、本来ならば欠場してしかるべきものだったという。彼は周囲の反対を押し切って出場し、そしてすべてを手に入れた。
二度目の時、シガーノは勝ちを求めて懸命に練習した。そしてその必死さは、彼に人間の限界をたやすく越えさせてしまった。彼の肉体は試合の15日前にピークを迎えた。その体でケージに入った彼は、地獄の美容整形外科医によってSF映画に出てくる異世界の住人になって出てきた。総数200発近くの殴打と試合前の過度な運動は、彼の筋肉を融解させて翌日の便器をギネス・ビールの色をした液体で満たした。もしかしたら、気づかぬうちに彼の後ろを死神がよぎっていたかもしれない。
三度目の対戦前、彼はこれまでの反省からブラジルの生理学者をサポートにつけて、練習中に頻繁に採血を繰り返して疲労度を測り、肉体を酷使しないように徹底的に管理した。夢を叶えるために、彼は投資を惜しまない。
彼の夢はいくつかある。一つは言うまでもなくベルトを奪うこと、そしてもう一つはランディ・クートゥアのような男になることだ。彼は本当にMMAを愛している。彼は何もかもを犠牲にしてこのスポーツに参加している。そして可能であれば、肉体が衰え始める30代を超えて40を過ぎてもケージの中にいたいと願う。
「私は本当にこいつを愛しているのさ。」と彼は晴れやかに笑った。そして彼の夢を叶えるためにはもう一つ必要なことがある。それはケージの中で、あまりにも手ひどく痛めつけられないことだ。
限界を超えた死闘、無意識の中に残った勝利への一途な思い
私は無意識に胸のあたりを鷲掴みにしていた。5Rに入る前、椅子に座るシガーノを見たせいだ。左目は腫れてふさがり、右の瞼の上は大きく開いて赤黒い血が溢れ出ている。唇は腫れ、耳の付け根からも血が流れ出す。汗にまみれた額を撫で上げ、どこか上の空な表情でセコンドを見回す彼は、まるで幼い子供のように無垢に感じた。一体何故だ?彼のMMAへの愛が彼をここに連れてきたのか?彼の鍛え上げた強靭な体、顔の幅よりも太い首の筋肉と彼のベルトに賭ける気持ちが、彼に意識を失うことを許さなかった。彼のこの競技への愛が、ケージの中を地獄に変えた。私が祈るような気持ちでこのブラジル人を応援していたことに気づいたのは、試合を見終わった翌日のことだった。
シガーノの名前がコールされるや、彼はメキシカンを鋭く見据えながらずかずかと前に歩み出る。マットの中央を指さして相手を倒すという決意を見せる、彼のお決まりの仕草のためだ。だがメキシカンは険しい表情でそれに歩み寄ると、指さそうとする彼の顔を視線で射抜いた。前に出てきた王者の気迫に当てられて、シガーノは中央を遥かに超えたところで地面を指をさした。もしかしたら、この中央よりも多く進み出た分だけ、シガーノは気負っていたのかもしれない。
試合開始の合図と同時に、二人とも様子を見ずに一気にケージの中央に進み出る。ファースト・コンタクトをカメラが取り損ねるほどに、彼らは一秒でも早く互いに拳を交えたがっていた。ワンツーで押し込んだ王者の顔面に、まず1発シガーノの左フックが炸裂する。しかし王者にはまったく効いた素振りがない。すぐに視線をシガーノの顔面に戻すと、再び頭を振って前進する。サントスは近づく王者に猛烈な強打を振り回す。しかしそれらを掻い潜り、王者はシガーノの片足を捕まえるとそのまま足を引き上げ、一気に押し込んでテイクダウンした。恐ろしい膂力だ。必死に立ち上がるシガーノの首を、王者は素早く巻き込んでフロント・チョークを探る。王者は隙あらば試合を終わらせる気でいた。王者の顔を突き放してクリンチを解いた離れ際、力強い右アッパーが王者の顔面を削ぎ飛ばす。すこし王者の顔が宙を仰ぐや、すぐさま目に力が戻って距離を取るシガーノを追尾する。序盤にいい打撃を当てたシガーノだが、王者を下がらせるには足りなかった。
前進する王者を止めようと右ボディから左フックのコンビネーションを狙うサントスは、いいボディをヒットさせた。しかし返す左フックの合間に、コンパクトな王者のワンツーがヒットする。右ストレートを被弾して後ろに下がるシガーノに、またしても王者の異常なスピードのステップ・ジャブが先にヒットし、シガーノの剛腕から繰り出される左フックは空を切った。サントスは王者のプレッシャーに押され、倒そうとするあまりに強振しすぎていた。気が付けば、シガーノはケージに縫いとめられていた。
それでもまだスタミナがあるうちは、ケージ際から何度か脱出した。そして距離を取ってにじり寄るヴェラスケスに一撃を当てようとする。しかし、腰以下の高さでタックルに来る王者はパンチでは捉えられない。左ジャブを当てたとしても、ツーを打つときにはすでに王者は遥か下に潜り込んでいるのだ。そして組み付くたびにあらゆる攻撃を仕掛けてくる。足を膝で打ち、脇を差して空いた手で顔面を殴り、膝を腹に入れ、そして突然拘束を解除しては強打を繰り出す。シガーノが膝を当ててもすぐに倍になって返ってくる。
そしてシガーノは完全に両脇を差された状態から振り回すように投げられて地面に叩き付けられた。ほぼマウントの状態だったところから、シガーノは素早くハーフガードに戻し、そして額を押し付ける王者の顔面をぐぐっと押してその腕を素早く畳んで肘を当てる。しかしこれが引き金となったか、すぐさま王者はヴェラスケスにその3倍の肘を繰り出すと、シガーノはすぐに立ち上がる選択をした。体を捻って王者を落とすと、王者はバックマウントに移行する。それをガードしながら金網際まで這いより、彼はケージを頼りに立ち上がった。見事な脱出だ。しかし逃げた先は金網を背負った場所だ。もはやそこは第二のトップ・ポジションだ。シガーノに自由はない。王者はジュニオール・ドス・サントスに対して、圧倒的に有利なポジションを二つ持っていた。
そして1Rが終了した。本来ジュニオール・ドス・サントスはスタンドで距離を取り、じっくりと様子を見ながら戦うスタイルだ。だが狂戦士と化してどんな痛みや疲労も感じないかのように群がる王者に、すでにシガーノのペースは完全に乱され、彼は息を整える時間すら与えてもらえなかった。椅子に座るシガーノの肩が大きく上下している。シガーノの足は魔王に捕まれ、泥沼の中に引きずり込まれ始めていた。そして1Rのグラウンドを境に、その後シガーノは第二のトップ・ポジションから脱出することがかなり難しくなり始めていた。
2Rが始まると、またしても王者は急接近する。それに合わせて一撃を狙うシガーノだが、前に出る王者の左ジャブが先にシガーノの顔面に直撃する。下がってお返しとばかりにフリッカー気味のジャブを軽く繰り出すシガーノだが、王者は顔を背けただけでその足を止めることは決してない。あっという間にケージまで追い込まれたシガーノが再び左ジャブを出すが、下がりながらの手打ちではもはやそのメキシカンには何の意味もなさなかった。
王者はジャブを食らいながら左ジャブを放ち、返す刀で繰り出した右の打ち下ろしがシガーノの首を強制的に右にぐるんと回す。さらにスリーの左フックがシガーノの側頭部をかすめると、シガーノは上体を前に倒しながらふらつきつつ横に逃げる。そこに追撃の飛び上がるような左フックが直撃し、頭を下げたシガーノを抑え込んで王者が膝を突き上げる。これは辛うじてかわしたシガーノが王者を突き飛ばし、両者は再び距離を取った。開始わずか10秒ほどのことだ。恐らくこの一連の打撃はシガーノにかなり深刻なダメージを与えていたと思う。
もはやスタンドでのアドバンテージもシガーノは失いつつあった。再び接近する王者にタックルを予見したシガーノがカウンターを狙った膝を繰り出すが、王者はローを選択していた。軸足にローを当てた王者は、目の前に差し出された膝を有難く受け取ると、そのままシングル・レッグにトライする。そして再びシガーノは第二のグラウンドで磔にされ、暴君からの拷問を受けることになった。
だが2R終盤、あがくシガーノがわずかな光明を見出す。狂ったように顔を押し付けて殴りつける王者の顔面を、シガーノはぐいぐいと押し退け続けた。嫌がる王者が顔を左右に振りつつそれを回避しようとしていた時だ。王者が顔を押して来る相手の右手をどかそうと顔を右に動かした瞬間、きちんと畳み込んだシガーノの丸太のような左腕が繰り出され、その肘が王者の顔面に直撃した。王者の腰はわずかに崩れ落ちた。手での押し込みに対して王者が強靭な足腰で力を加えたことで、それが外れた瞬間に当たった肘がほぼ密着状態でありながら凄まじい威力となったのだ。ごまかすように足に組み付きにくる王者をかわすと、シガーノはケージ際で体勢不十分な王者の顔面を左手で触って狙いを定め、かぶせるような右ストレートを叩き込む。いい一撃だが序盤と比べて威力がない。スタミナを根こそぎ奪われダメージもかなり負わされたせいで、相手を倒し切るには至らなかったのだ。体勢をすぐに立て直した王者にはまだダメージがありそうだったが、この決定的なチャンスを無情にも時が奪い去った。2Rとシガーノの勝機は終わりを告げた。
そして運命の3Rが訪れる。開始直後シガーノは自分から前に出る。しかしやはり強振で、素早く左ジャブを差し込まれてすぐに後ろに下がってしまう。そしてタックルを匂わせつつ前に出る王者に対して、シガーノは嫌でもガードを下げて相手の出方を見ざるを得ない。それでもこのラウンドは、金網に押し込まれつつもシガーノがかなり善戦した。少し疲れてきた王者が組み付く際を狙って強打を当て、押し込まれた状態で膝をボディに繰り出し、さらには2Rで効かせた左ひじを再び狙っていく。さらに離れ際で空を切るも右フックを繰り出し、さらにその後追ってくる王者に万全の右フックを当てた。だが王者が反応して体を沈めて首をすくめたこと、そしてシガーノが明らかに疲れていたせいでこれも王者を止め切れない。この打撃こそ、本当は1Rに望まれていたものだった。
良い打撃をもらった王者は、危機感を強めたのか下がるどころかさらに前に進み出る。そして先に先にと左ジャブを当て、さらにはクリンチで押し込んで相手の攻撃を封じ、あっという間にシガーノのわずかな勢いを叩き潰した。そして下がるシガーノに王者が左ジャブを差し込み、ワンテンポおいて二人同時に放った一打によって、とうとう一人がマットに倒れた。その技は二人の初戦で決め手となった右のオーバーハンド、そして大地に転がったのは-シガーノだった。
ナックルの部分がシガーノの耳の下に叩き付けられ、あまった勢いで手首が彼の首の横を滑り込んでいく。倒れたシガーノに駆け寄った王者は、ここぞとばかりに凄まじい勢いでパウンドを繰り出す。頭が拳で殴りつけられてバウンドする。逃れようとうつぶせになり、必死で立とうとするシガーノの首に王者は腕を巻き付けて、弱ったシガーノの意識を絶とうとした。わずかな静止の後、辛うじて押し退けたシガーノはそのまま糸の切れた人形のように大地に倒れこんだ。彼の意識はもはや遥か太陽系外に旅立ちかけていたのだ。その倒れ方を見て、ハーブ・ディーンは反射的に飛び出した。彼のレフェリーとしての本能が、彼らの試合の終焉を告げていたのだ。
鍛え上げた肉体が奪う、彼の将来の可能性
だが、試合は終わらなかった。もはや超人の域にあるシガーノの肉体は、その倒れ方をした直後に身体のバランスを取り戻し、すぐさま片膝をついて立ってしまったからだ。駆け寄ったハーブ・ディーンは慌てて止まった。そして迷っていた。彼は選手に悔いを残させたくないという思いと、選手を必要以上に傷つけさせてはならないという使命感の間で明らかに動揺していた。そして彼は-選手たちに悔いを残させない方を選択した。そしてそう判断させたのはシガーノの常軌を逸した肉体の強さと、勝利に賭ける凄まじい執念のためだ。私はハーブ・ディーンを責めることはできない。彼もまたケージで戦っていたからだ。そして次に同じケースがあった場合には、これを教訓として確実に止めてほしいと思う。立っていてももはや意識がないケースは多々ある。打たれ強い選手はなおさらだ。だからこそ少しでも危険だと思ったら早めに止めてほしい。試合に負けてもまだ次がある。だが脳が深刻なダメージを負ってしまえばその選手にはもう、次はないのだから。
シガーノのディフェンスは崩壊した。元からタックルを意識してガードが低すぎた彼だが、前回の試合と同様に彼はダメージを受けて完全にノーガードとなった。もはや立つことにすべてのエネルギーを使っているように見えた。どこか遠いところを眺めるような表情のシガーノに、王者は全身を浴びせかけるようなストレートを次々と繰り出し、棒立ちになるシガーノの顔面に王者の拳が何度も吸い込まれていく。そして3Rがようやく終了してくれた。
4R、開幕直後にまたしても飛び込むような王者の右ストレートが炸裂すると、あれだけ攻めたにも関わらず王者はさらにギアをあげてラッシュをかける。ハーブ・ディーンがすぐに止められるようにと寄ってくるほどにシガーノを拳で殴りつけると、息を整えかつ相手の反撃を封じるためにすかさず王者はクリンチに行く。シガーノはクリンチで殴られながら左目をしきりに気にする。このラッシュで彼は左目の下を負傷したのだ。左目の下に血の瘤ができ、青黒く変色している。そしてそこを、王者はクリンチをしながら執拗に打ち続けた。
その後は凄惨なものだった。時折肘やパンチで無意識に反撃を繰り出すサントスの打撃を、意識のはっきりした王者はボディワークで容易くかわし、その合間に強烈な連打を繰り出していく。そして打ち終わればすぐに組み付き、息を整えては再び殴りつける。本能で肘やアッパーを繰り出すシガーノの拳にはまだ力があった。だが相手の打撃に反応できず、ひたすらに王者の攻撃を被弾していた。肘に腹を立てたのか、王者はクリンチしてからのエルボー・スマッシュでシガーノの顔面を切り裂くと、満身創痍のシガーノの右瞼がザックリと裂け、そこからも鮮血が滴り始める。
それでもシガーノは諦めなかった。試合中にその有効性を見出した左肘を使い、彼は終盤何度も王者の顔面を肘で叩き付けると、あの王者が何度か下がったのだ。さらには素晴らしいボディへの膝を放ち、彼は王者をわずかに失速させた。シガーノの戦士の本能が、試合中に王者への突破口を見出しつつあったのだ。彼は王者の鼻梁を断ち割った。だがそれは無意識の中であり、その解決法を完全に活かしきるのはやはり無理なことだった。
5Rに入る前、もはやシガーノの顔面は続行不可能に見えた。両目は流血と腫れでふさがっているように見える。しかしドクターは試合続行を許可した。そしてサントスもそれを望んでいた。
どこかぼんやりした表情のシガーノは、意識を遥か彼方の宇宙に置き去りにしたまま体の命ずるままに攻撃を繰り出したが、これらがなぜかまだ活きていて、疲れてきた王者に最後の抵抗を繰り広げた。人生を捧げて修練を積んだ彼の体は、今何を為すべきかを知っていた。戦い方はもはや本能のレベルにまで刷り込まれていたのだ。
苦しくなった王者が彼をテイクダウンすると、一発逆転を狙うシガーノの肉体は三角締めを狙いに行く。お返しにと腕を狙いに行った王者を防いで、シガーノの肉体は立ち上がって脱出する。驚異的なフィジカルだ。もはや二人とも化け物の域に達している。
そしてしつこくクリンチを繰り返しては打撃を打つ展開が続いて残り2分を切った時だ。顔を下げた王者の首に上背のあるシガーノがするりと左腕を下からあてがうと、そのまま右手を組んで頭を押しつけ、ヴェラスケスをがっちりとニンジャ・チョークで捕まえたのだ!なんという勝利への執念だろうか。明らかに王者は慌てた、そしてその直後に王者が取った解決策はあまりにも乱暴だった。高速で体を捻りながら沈み込み、巻投げのようにシガーノを振り落そうとしたのだ。その強引な解決策によって、ロックしたままのシガーノは受け身を取れずに額からマットに突き刺さった。腕から力が抜けてロックが外れ、シガーノはそのまま正座で座り込んで動かなくなった。そこに逃れた王者が襲い掛かると、もはやシガーノは力なく頭を抱え込んでうずくまるしかなかった。戦意は完全に失われ、彼の肉体はもはやほぼ制御を失っていた。これまでのダメージで朦朧としていたところに王者のDDTで頭をマットに激しく打ち付けられたシガーノは、とうとう意識のほとんどすべてが地球外に向かって飛び立ったのだ。
ハーブ・ディーンは試合を止め、観客は呆気にとられた。何がシガーノの動きを止めたのかが理解できなかったからだろう。そしてハーブ・ディーンはよく見ていた。彼は急いでシガーノのそばに駆け寄って両手を振った。この長い死闘にようやく幕が下ろされたのだ。見終わった私の肉体はすっかり疲弊し、内臓がひどく重く感じた。
慌てて駆け込んでくるスタッフ達に、シガーノは不思議そうな表情を見せて座り込んでいた、まるで大好きなおもちゃを取り上げられた少年のように。
シガーノの敗因とその分析
ブラウンプライドは試合開始と同時に前に出て自分の高速なペースに相手を巻き込み、あっという間に主導権を握ってしまう。普通の選手ならばスタミナが切れてしまうところだろう。だが王者は自分のカーディオを、ひょっとしたら神よりも信じているかもしれない男だ。その勝負を挑めば、先に息が上がるのは必ず自分の前に立つ男だと思っている。そしてそれは事実だ。だからこそ、彼のペースに付き合わないためにも彼の猛進をなんらかの手で食い止めなければいけない。
そしてシガーノは、自分のパンチでそれが十分に可能だと信じていた。実際に可能だったとは思う。だが彼の打撃は、ハイペースな王者につられてその大部分が大振りになっていた。そして王者のきちんとステップインするストレート系の打撃に距離、速度共に劣っていた。しかしこの展開は前回の試合で経験していたはずではなかったか。シガーノとシガーノ陣営には、明らかにパンチに対する過信があった。加えて速さと正確性、そして射程距離において、彼らは王者の打撃を見誤っていたところがあるように思う。
もう一つシガーノが見誤っていたのは、王者の打たれ強さに関してだ。彼らの初戦で、ブラウンプライドはシガーノのオーバーハンド一発でダウンした。それによって世間では彼の顎が弱いのだという評価が流れた。そしてシガーノ陣営もいまだにそう思っている節はなかっただろうか?二度目の対戦では、初戦と同じくらいのハード・ヒットを王者は潜り抜けていたのだ。そのことからも、パンチだけでは王者を止め切れないと考えるべきだったはずだ。今回の試合でも、ダウンしてもおかしくないようなシガーノのパンチはいくつかあった。だが王者はそれに動じず、動じてもすぐにタックルで誤魔化して回復を計っていた。シガーノ陣営は、ブラウンプライドはハンマーで殴りつけても気絶しないのだ、という前提に立って戦う必要があったように思う。
シガーノは王者を止めようと序盤は前に出ていた。それは正解だったし、事実良い打撃もあった。クリンチを解いた離れ際のアッパーも、あれを続けられれば完璧だっただろう。だが、もっとコンパクトに、もっと速くストレート系の打撃で戦うことが必要だった。気負って大きいアッパーや体の泳ぐフックが多く、先に左ジャブを当てられたところに組み付かれてパンチの距離を潰され続けた。ヴェラスケスの打撃はすべてその後にタックルに繋げてくるのだから、突進の出鼻を挫くか、もしくはそれをいなしきってから前に出る方がよかっただろう。相手が出てきてから打ち合いではもう遅いし、それならばいっそきちんとサークリングで逃げ切ったほうがよかったと思う。同時の打ち合いでは回転が速く、打った後にタックルで腰の下にまで頭を移動させるヴェラスケスを捉えることはできない。
そして今回もシガーノのTDディフェンスは相変わらずよかった。しかしもう一つ必須のスキルがあった。それは金網際でのクリンチ対策だ。AKAで共に練習するヴェラスケスとコーミエは、研鑽の末にここを第二のグラウンドにしてしまった。彼ら二人に金網に押し付けられるのは、グラウンドでトップ・ポジションを取られるのに等しいだろう。
自分の考えでは、たぶん脇を差されて額を首の根元に押し付けられてからではもう遅いのだ。押し込まれたほうは、足の力を使えなくなってしまうからだ。ヴェラスケスは自分の顔や額を相手の胸元に押し付けて、それを両足の力を用いて押し込んでいく。金網と頭に胸の部分を挟まれた選手は、必然背中を金網に預け、そしてバランスを取るために足が腰の真下か前に出てしまう。そしてこの状態は足が浮いたような状態であり、相手に対して足で押し返すことが不可能になっているのだ。押し返すにはスペースを作って、足を腰よりも後ろに持っていかねばならない。だから押し込まれた選手は上体を動かして胸にかかる圧力をずらして横に逃げるか、腕の力で頭を押し返してスペースを作る必要がある。だが相手は足の力で押しているのだ。これに上半身の力のみで対抗するのは至難の業だ。ましてや相手は、押し込むことを専門に鍛えてきたレスリング・エリートだ。その足腰に対抗するだけで、その選手のスタミナはあっという間に空っぽになってしまうだろう。
そして彼は必ずどちらかの脇を差してくる。そしてこっそりと金網を掴んでいる。これでフットワークで逃げられる方向は一方に限られた。そして逃げる方向からは、しつこく拳が飛んできて顔面を打ち据える。空いた手でガードをすれば、彼は膝を突き上げてボディや足を痛めつけるだろう。それを防ごうと足を上げれば、彼の大好物であるシングル・レッグに移行できる。その状態でガスが切れたり打撃が効いたら、彼はあっさりと本当のグラウンドに引きずり込んで、悠々とパウンドを落としてくるだろう。完全に詰み、である。
だから必要なのはその体勢になる前に対処すること、そしてなってしまったら一刻も早く逃れることだ。時間の経過とともにどんどんと不利になっていく。途中からシガーノは息を整えようと様子を見ていたが、多少苦しくてもあそこで脱出する必要があったと思う。もっともそうやろうとしていたができなくなった、というほうが正しいだろう。1Rのうちはクリンチをほどいて足を使って逃げることができていたからだ。
理想的なのは距離を維持することだ。徹底的にフットワークを駆使して、出てくる王者の顔面を速く鋭く打ち続け、下がったり前に出たりを調節しながら確実に削る方法がひとつ、これはフェザー級王者、「スカーフェイス」ジョゼ・アルドが長けている。彼は下がりながらも鋭くしなやかなパンチを繰り出し、多くの選手達を失速させ、前に出ることを防ぎ続けた。一撃でKOは奪えないかもしれないが、確実に相手の顔面を破壊して相手の気力を根こそぎ奪うことができる。
今回シガーノは大振りが多く、またフックやアッパーなどの曲線軌道のパンチが多すぎたのも問題だと思う。特に距離を詰めて飛び込んで来るヴェラスケスを相手にフックなどは空を切りやすいし、またストレート系を使うヴェラスケスに先に当てられてしまうことが多かった。もっとコンパクトで速いストレート系の打撃を、飛び込む王者にカウンターで軽くでいいから数を当てていくべきだっただろう。またあまりにもガードを疎かにしすぎた。TD対策とはいえ限度を超えていたと思う。もう少しガードに頼っても大丈夫だろう。
もう一つが蹴りを使うことだ。タックルに対してリスクがあるとはいえ、その射程と高さの自在さはかなりの魅力だ。パンチで捉えきれない範囲も射程に捉えることができる。今回シガーノも途中でハイキックを打った。ガードされてバランスを崩したものの決して悪い判断ではない。相手にガードをさせる、というのは重要なことだ。相手はその分一手遅くなるし、対処するべきことが一つ増えるのだから。膝蹴りに長けたストライカーなら、腰の位置あたりに来た顔面を狙い撃つこともできるだろう。シガーノも狙いはしたが、うまく当てることはできなかった。だが狙い自体は悪くはないと思う。
だが相手がヴェラスケスではそこまでの蹴りを身に着けるのは難しい。なぜなら蹴りを使ったらたぶん王者は蹴り返してくるし、それに打ち勝てるだけのムエタイ技術はまず身につかないだろうからだ。フットワークを使って逃げるにも、ずっと逃げ続けるのは難しいだろう。そうなれば大事なのはやはりクリンチでの打撃だ。そして今回、シガーノはその解決策を試合中に発見していた。
戦士の本能がシガーノに教えたクリンチの打開策
それは肘と膝だ。中盤以降、シガーノは肘と膝を使って組みつく王者にかなりのダメージを負わせていた。特に肘の威力は素晴らしく、一度は頑丈な王者の腰を砕けさせ、そしてその後も鼻のブリッジを叩き割り、王者の顔面を傷つけた。その威力は試合後の王者の顔からも明らかだ。ヴェラスケスはボディに強烈な膝を浴びたり、肘を振り回された時にはそれを嫌って何度か自分からクリンチを解いていることがあった。つまり、あのクリンチにとってはそれほどに厄介なことなのだ。
もっと余力があるときからクリンチ際で肘を振り回していれば、展開は違ったかもしれない。そこで相手を下がらせれば、一撃を打ち込む余裕がまだあったからだ。ボクシングで鍛えたサントスの肘の威力は強烈だった。あの腕の質量や背中の筋肉を見ればそれも当然だろう。しかしその必要性に試合前に気付けなかったことがすべてだ。最初からあれを狙う気で練習していれば、彼は自分の望む打ち合いに持ち込めたかもしれない。もちろん押し込む側からも肘の反撃が出るだろうし、実際にそれでシガーノは瞼の上を切り裂かれた。だが王者がリスクを避けるならばそう安易にはクリンチに持ち込めなくなるはずだろう。
試合中にそれに気づき、すぐにそれを多用しだすあたりにはサントスのずば抜けたセンスを感じさせたが遅きに失した。だがその有効性を見せたことは決して無駄ではない。これで彼らのクリンチ技術に対策を立てることのできる選手が増えた事だろうし、そしてシガーノも次は同じ手は食わないだろう。特にコーミエと対戦するライトヘビー級の選手には喜ばしいデータだ。
見当たらない必勝法とスタイル改革の必要性
ただ、上記のことを全部やっていたとしても勝てたかは難しい。王者はグラウンドでのトップ・ポジションをのみ望む男ではない。相手が金網を背負ったクリンチの状態でも、そしてタックルと打撃の選択肢を持つスタンドでも彼が有利だからだ。打撃がだめでもタックル、タックルがだめでもクリンチ、そしてすべての場所で王者が優位だ。対するシガーノはクリンチの組み際と離れ際、そしてスタンドでしか優位に運べる可能性が無かったし、スタンドではタックルの選択肢をヴェラスケスのみが持つためにどうしても後手になった。スタンドのみを想定して前に出れば、王者は容易く視界から消えて足元に絡みついてくるからだ。
またスタミナの差もかなり厳しい。クリンチで優位な王者のほうが自然スタミナのロスは少ないし、回復を一方的にすることができる。対してシガーノは常に不利なポジションに置かれていたのだ。彼が息を整えるだけの距離を維持できたことはたぶん一度もなかっただろう。そしてシガーノは1Rですでに息が上がっていた。
正直、シガーノがどうやれば勝てたのかをずっと考えていたがいまいち思いつかない。もっと足を使ってコンパクトなストレート系の打撃を繰り出し続けて先に数を多く当てる、もう少しガードに頼る、そしてスタミナを信じられないくらいに強化するくらいしか解決策が見当たらないのだ。そして今回でも良い打撃はあった。あれで倒れたり下がってくれないのであれば、もう武器を持ち込ませるしか対処法が浮かばない。結局ぐらついたのは肘打ちの一発だけで、序盤の左フックや右アッパーも、ヴェラスケスを一瞬止める程度の効果しかなかった。何よりもパンチの土俵で同じかそれ以上にヴェラスケスが強いせいで、シガーノの勝っている部分がほぼないのだ。付け焼刃の蹴りはリスクが高いし、グラウンドではやはり下から攻めるのは難しく、結局上から肘で削られたために慌ててシガーノはスタンドに戻ったくらいだ。金網際は王者の処刑場だ。1R序盤の動きでヴェラスケスをかわしては打撃を打つ、接近されたら早めに肘を狙って脱出し、離れ際でまた一撃を狙う、組んだら時折足払いや払い腰などの柔道系の技にトライする、くらいが関の山だ。
ここにきて、シガーノはスタイルを新たに組みなおす必要があるだろう。
愛することができる者は世界で一番幸せな者
彼らのライバル・ストーリーは終わった。史上最強のMMAヘビー級王者の座はメキシコの血を継ぐ戦士に与えられた。ブラジルの青年は、自分が一生を捧げたもののために目を覆うほどの惨状となった。彼の愛するものは、彼の愛に報いてはくれなかった。
しかし彼は幸せそうだった。想像以上にしっかりとした足取りで王者の元に歩み寄った青年は、王者の腕を高々と掲げると王者と抱擁した。顔面は腫れあがり、もはや表情はほぼ失われていた。それでも彼はどこか清々しそうに見えた。彼は心から対戦相手の勝利を祝福しているようだった。
その後のインタビューでマイクを向けられると、彼は血まみれの顔で笑顔を見せた。そして王者を褒め称え、手ひどくやられたことを楽しげに語った。さらにこれだけの目にあわされてもなお、彼は家に帰り、そして一生懸命練習し、また戻ってくることを力強く誓ったのだ。最後に彼は、両手を挙げてやれやれとおどけてまで見せてくれた。彼は最後の最後まで力を出し切ったことに満足していた。そして自分をここまで連れて来てくれた「ブラウンプライド」を心の底から尊敬し、そして愛していた。彼はライバルが強いことを、恐らく本人よりも喜んでいるのだ。
彼は戦いを、ファンを、ライバルを、そしてMMAを心の底から愛している。たとえ振り向いてもらえなくても、彼は一途に愛し続ける。それは殉教者のような心持なのかもしれない。彼にとっては結果よりも、好きなものに本気で取り組み、そして自分のすべてを出し尽くすことの方が大事なのだろう。そしてそんなものを見つけた彼は、たとえどんな目に遭おうともきっと世界で一番幸せな男なのだ。私は彼の熱い想いが彼をここまで追い込んだことを悲しく思った。だがそれは何一つ彼のことをわかっていない、見当違いの憐れみだった。彼は自分がここまでやれたことが幸せなのだ。そしてその気持ちがある限り、彼には再び王座への道が開かれることになるだろう。私はいつまでも待っている、彼がケージに現れ、その拳で再びブラウンプライドを打ち倒す瞬間を。
一つの物語は終わった。だがそれは次の物語の始まりでもある。彼らの続編はいつになるかわからない。だがきっとその続編は、MMAへの愛と残酷さに満ちた壮大な叙事詩となるだろう。
戦士にとって玉座は己の退路を断つ障壁
王者とは相手の挑戦を受けて立つ者のはずだ。彼にはもうベルトがあり、王座があり、そして名誉がある。全てが満たされているはずだ。そして満たされていれば、ハングリーになることもないはずである。ではこの王者は何に飢えているのだろうか?挑戦者よりも飢えた王者はゴングと同時に挑戦者に飛びかかった。それは王者の立居振舞ではない、飢えた獣の在り方だ。彼の後ろには玉座が控えている。その荘厳な背もたれによって、メキシコの血が流れる獣は退路を断たれたと思っているのかもしれない。
「ブラウンプライド」ケイン・ヴェラスケスは、3度目の対戦ですべてを終わらせるつもりでいた。彼とのライバル関係を解消し、自分が歴史上最強であることを証明するためだ。
1戦目、彼は怪我明けから間もなかった。膝の調子も悪く、十分な練習はできなかった。そのために自身がベストと語る240ポンドよりも8ポンド重い状態で試合に臨み、そして史上最も多くの人間が視聴したFOXの記念すべき第一大会で、彼はケージの中で1分余り姿を見せた後にケージを後にした。ブロック・レスナーを手ひどく痛めつけて奪い取ったベルトは、たった一発の右のオーバーハンドで強奪された。ケイン・ヴェラスケスはベルトを失って、初めてそれが現実のものだったことを知った。彼は無くしてからその重みを理解した。彼はひどく後悔した。
2戦目、彼は反省した。そして自分が納得いくコンディションにまで戻してから試合をすることを決意した。巷では彼の顎は弱いから、どうせすぐに倒れるだろうと思われていた。あれでけの屈辱を受けながら、彼は一切の動揺を見せずに再びシガーノの前に現れた。彼は何度も痛打を受けながらも前進を繰り返し、わずか1Rでシガーノからお返しのダウンを奪った。そして25分が過ぎるまで、一方的にシガーノを痛めつけた。ブラウンプライドは己の誇りを取り戻した。だが一勝一敗、まだどちらが強いのか、本当の決着はついていなかった。
だからこの3戦目で彼はすべてを終わらせたがった。彼は同じ階級のランキング2位、元オリンピック・レスラーのダニエル・コーミエと日課のようにスパーを繰り替えした。AKAのジム内には小さな擬似ケージがあり、彼らはそこでほぼ実戦形式でやっていたのだという。唯一の違いは防具の装着のみだ。ケイン・ヴェラスケスとダニエル・コーミエの試合が見たければジムに来い、かつてコーミエとの同門対決の可能性を問われたヴェラスケスはそう答えた。そしてそれはジョークだと思われていた。だが、王者は彼らの真実をそのまま述べただけだったのだ。
ヘビー級は人材が少なく、またトップ・コンテンダーと下位の差が激しい階級だ。まともに練習する相手を見つけるのも困難な中で、王者は同レベルのチームメイトと研鑽できるというアドバンテージを持っていた。彼はコーミエと5Rに渡るスパーを日常的に行っており、さらにそこからもう2R可能なほどにスタミナがあると自負した。それが見栄やハッタリ、自惚れなどではないことは、この日の試合で証明されることになる。
机上の空論を実行しきる王者のポテンシャル
彼はかつてシガーノに敗れた際に敗因を聞かれてこう答えた。「ゲーム・プランを遂行しなかったからだ」と。皆は体調不良を言い訳にしたくないからだと思い、その潔さに感心した。だがこれもまた偽らざる本心だったのだ。戦士は何一つ嘘を言わない。そして彼の言葉通り、ゲーム・プランを遂行したケイン・ヴェラスケスに一切の隙は無かった。
ゴングが鳴る前、眉間に皺を刻み込んで何度も強く息を吐く王者の姿は突進をする前の猛牛に酷似していた。体の具合を確かめながら呼気を強め、そして己の角を相手の柔肌に突き立てようと身を震わせる。これほどに気合というものを有効に使える人間はきわめて稀だ。気負いとそれは紙一重であり、そしてケイン・ヴェラスケスのそれは間違いなく気合だった。彼は一切の迷いなく前に出る勇敢さと、そして前に出続けながら完全に作戦を遂行する冷静さを同居させていた。彼の心技体は、今回も最高のバランスを実現していた。
試合開始と同時に王者は飛び出し、オクタゴンの中央で真っ先にワンツーを繰り出す。負けじと駆け寄ったシガーノの左フックを早々に被弾するも、彼はそんなことを歯牙にもかけずに突進した。王者の体は歓喜していた。最高の相手と、最高の状態で戦うことに喜びで身を震わせ、そして彼の体中を駆け巡る血潮が全身を滾らせる。
王者の作戦は完璧だった。遠目から一気に距離を潰して接近し、相手にタックルと打撃の選択肢で迷わせ、その綻びたところを狙っていく作戦だ。シガーノが打ち合うそぶりを見せた瞬間、彼の体は一瞬で沈み込んでシガーノの足に食らいつく。これがヘビー級のスピードだろうか?そのタックルに入る動きの速さはミドル級に匹敵するかもしれない。
ヴェラスケスは必ず顎をきちんと引き、ガードを上げて体を振り、フェイントを織り交ぜて急接近する。判断に迷って後手に回るシガーノに、打撃で入るときにほぼ確実に素早いステップインからの一切の無駄のない左のリードジャブをねじりこみ、そして間髪入れずにツーの右ストレートを返してくる。この左のステップ・ジャブが前回以上に鋭さを増してシガーノとの打撃戦を制した。彼の打撃への反応速度ときちんと引いた顎が、彼に驚異的な打たれ強さを提供した。ヴェラスケスは打たれるにしても反応して食らうことが多かったし、どんな状況でも恐れずに相手を見ていた。KOされるのは打撃に反応できない時だ。どういうわけかはわからないが、王者の反応は同門のダニエル・コーミエと同様に異常なレベルにあった。やはりコーミエとのスパーに慣れてしまえば、ほとんどの打撃が見えるようになるのかもしれない。
また彼のステップインや右ストレートがバランスを崩しかねないほどに踏み込めるのは、彼はそのまま組み付くことを狙っているからだ。そして打撃のみではありえないその踏み込みで、シガーノは的を何度も絞り損ねた。本来止まるべき位置で頭が止まらず、自分の胸元に飛び込んできてしまうからだ。彼のパンチは王者の頭より後ろか、逆に手前過ぎるところを何度も空振りした。距離の設定ができないのだ。
さらに恐ろしいことに、王者は左ジャブから2種類のコンビネーションを使った。一つはワンツーであり、もう一つが左ジャブからの低空タックルだ。それもかなりギリギリのところまで、シガーノの攻撃を見てから判断している。シガーノが反撃を狙うとみるや、ツーで一気に視界から消えて腰のあたりに手を回し、そして凄まじい力でケージ際まで押し込んでしまう。このスピードにシガーノがついていけない今、同門のダニエル・コーミエ以外で対抗するのは不可能に近いだろう。彼はこれでシガーノのパンチを完全に回避し、そしてケージ際まで来てから獲物をゆっくりと捕食するように上にせり上がり、額でシガーノを金網にくぎ付けにして何度も何度も削り続けた。
ブラウンプライドは自分が一方的に打撃を打ち、打ったらすぐに組み付いて相手の反撃を封じ、そしてクリンチという自分に有利なポジションに持っていく。攻守を兼ね備えたこの一連の攻撃は完成しすぎるあまりに、何やらひどく残酷なものを感じさせた。あまりにもシガーノを封じすぎてどこか味気なくすらあった。観客からブーイングが出るのも仕方ない、それくらいにシガーノを無力化させすぎたのだ。
ただ、これは言うほどに簡単なことではない。並の選手ならばクリンチで相手を制しきれずに反撃を受けるだろう。タックルに入る速度が遅いために、簡単に切られてしまうだろう。スタミナ切れを起こして、前に出ることが不可能になるかもしれない。何よりも打撃戦でシガーノに勝つこと自体、タックルの選択肢があっても難しい話だ。
王者は試合前に240ポンドがベストだと言った。それ以上重いとスピードが落ちる。だが240ならば速いままで、かつ力強さも残っているのだと。その通りだった。ミドル級に匹敵するスピードとヘビー級を凌駕するパワー、そしてフライ級に匹敵しうる無尽蔵のスタミナを兼ね備えた王者は、格闘ゲームのキャラクターならば真っ先に使用不可の申し合わせが行われることだろう。
地獄への入り口は背中を預けた金網に開く
そして今回ケイン・ヴェラスケスが主戦場に選んだのは、前回同様の金網際だ。しかしその完成度は前回以上だ。今後王者は自分と匹敵するレベルのストライカーが現れた時には、迷わずこの場所に持ち込むだろう。その場所での王者の優位はグラウンドでのトップ・ポジションに次ぐものであり、第二のトップ・ポジションと呼ぶべき場所だ。相手の得意手を封じ、相手に一方的にダメージを与えてスタミナを奪い、そして自分はダメージを回復できる。たとえその見た目がジリジリと焦れる退屈なものに見えたとしても、その効果は凄まじいものがある。打たれ弱い選手ならば、ここでの打撃で沈みかねないだろう。
しかもこの金網際からの脱出もまた危険だ。前回シガーノがダウンを奪われ、今回もいい打撃を貰ったのがこの逃げ際だ。ケージ伝いに横に逃げるのを、獰猛な王者はしつこく追尾して飛びかかるような打撃を放ってくるのだ。ケージを背負って下がりにくいせいもあって、ここで逃げ損なうことは多かった。
また今回は積極的なサブミッション・トライが見られたのも特徴的だ。彼は試合開始直後早々にフロント・チョークを狙っていったが、その後もダウンを奪ってすぐにギロチンを狙い、終盤ではトライアングル・チョークを模索したシガーノに反撃で腕を取りに行っている。王者はただ判定を狙うだけでなく、可能な限り早く相手を終わらせる方法を常に研究しているようだ。今回はどれもフィニッシュには至らなかったが、チョークはなかなかに惜しかった。これでサブミッションの極めの強さが備われば、ますます手が付けられないだろう。
唯一気がかりなのがサブミッション・ディフェンスだ。スタミナもかなりロスした最終回、安心しきって頭を押し付けに行ったところをシガーノにかなりいい形でニンジャ・チョークに捕えられた。チェール・ソネンの悲劇が一瞬脳裏をよぎった。その後人間とは思えない獣じみた動きで逆にシガーノをマットに突き刺して結果的にTKOを奪ったが、かなり危ないところだったようにも思う。あの外し方はシガーノがグロッキーだからできたのであって、相手によってはあの逃れ方はできない可能性が高い。おそらく疲労と油断だろうが、あれはきちんと反省しておくべき点だろう。
余談だが、ヴェラスケスやコーミエがMMAレジェンドのエメリヤーエンコ・フョードルに似るところがあるとすれば、あの一瞬の獰猛な体裁きだ。瞬間体中のエネルギーを爆発させて、ヘビーとは思えない速度で体を震わせて弾かれたように動くその動作が、ロシアの皇帝を彷彿とさせるように思う。あの体裁きを真似てあれができているのなら、それは練習して身に付くものなのかもしれない。
そして試合の決め手となったオーバーハンドは、恐らく王者は狙っていたのだろう。散々にタックルを仕掛けたところに、上体を倒してのオーバーハンドにシガーノはまったく反応できなかった。王者は相手の反撃を予測し、左腕で自身の右顎のあたりを覆ってから飛び込む周到さだった。その予測通りに低い位置を狙ったシガーノの左フックは王者の首のあたりをかすめた。王者はあまりにも冷酷に復讐する機会を窺っていたのだ。ブラウンプライドの執念は深く、そして刻まれた屈辱を決して忘れないのだろう。
王者が今も飢えつづけるもの、それは対戦相手の完全なる制圧
力なくうずくまったライバルの側頭部に容赦のないパウンドを数発振り落すと、ハーブ・ディーンがとうとう試合を止めた。ブラウンプライドは雄たけびをあげてその場を離れ、どよめく観衆を歩きながら眺め回した。そして己の鼻梁から噴き出た血を手ですくって一舐めし、分厚い胸板を激しく叩いた。その姿は己の興奮を持て余して身もだえする獣そのものだ。自らの強さを見せつけたことを誇ると同時に、完全にシガーノの意識を奪えなかった自分に不満であるようにも見えた。
試合後のマイクで彼は語った、一撃で倒そうと思ったができなかった、申し訳ないと。彼はあまりにも一方的に対戦相手を殴り続けた。それは立派なTKO勝利だ。しかし王者はまだ自分のパフォーマンスに納得はしていないようだった。戦士の望むレベルはまだこんなものではないのだ。シガーノはストップ直前まで足掻き続け、そして王者を脅かしていた。我々が思う以上に、王者にとって厳しい戦いだったのだ。そして王者は、そんなシガーノをさらに制圧することを考えて試合をし続けていた。彼にすれば相手が完全に動かなくなるまでは本当の勝利とは言えないのかもしれない。ブラウンプライドの誇りと信念に背筋が凍る。そしてこの怖さこそ、MMAの頂点に立つものに必要な才能なのだ。
いつかまた彼と戦うかもしれないが、しばらくの間はないだろうと戦士は試合後の会見で語った。彼の顔面には二か所にテープが貼られ、そして右の眉のあたりの骨が赤く異常に腫れあがっていた。試合中はずっと王者優位に見えたが、シガーノもまたその牙を深く王者の体に食い込ませていたのだ。彼は攻撃が効いていなかったのではない、気力ですべてを耐えて前に出ていたのだ。彼は新たな対戦相手を望む。恐らくは柔術の名手、シガーノと同じブラジル人のファブリシオ・ヴェウドゥムになるだろう。
彼はシガーノとのライバル関係に終止符を打ち、偉大なる王道を開くために新しい物語を紡ぎ始める。だが彼の戦い方はきっと変わらないだろう。誰が相手でも前に出て、そして打ち倒して屍を乗り越えるだけだ。彼にとって王座はゴールではなくスタート地点だ。なぜなら玉座の背もたれが彼の後ろを遮っているからだ。彼は玉座から立ち上がってひたすらに前に進み、そしていつか城を飛び出して荒野をどこまで駆けていくだろう。そしてその先に、いつかまたMMAを愛するブラジル人の青年と出会うかもしれない。いや、王者はきっと出会うだろう。そして次に会った時には今度こそ確実に、シガーノの喉笛を食い千切って指ひとつ動かなくしてやることを夢見ているに違いない。それが彼の愛の在り様なのだ。血に塗れた獣の安住の地は華麗なる王座にはない。冷たい金属に囲まれた、戦士たちの血潮に薄汚れた青いマットの上だけだ。それはどんなに飾りたてた場所よりも美しい。そして最も残酷な場所で育まれたものだからこそ、そこにある愛は真実なのだ、私はそう思っている。二人の戦士が長い旅路の果てに、いつかまたこの戦場で出会うことを私は心から待ち望んでいる。
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「シガーノ」ジュニオール・ドス・サントス、この29歳のブラジル人は、ベルトを奪った相手と戦うことをひどく喜んでいた。そしてこれから彼と何度も王座を争うことを、まるで恋人との未来予想図を語るように話していた。人生で一番嬉しいことは決して成功することではない。本気になれる何かを見つけ、そして燃え尽きることだ。だから命を懸けるに値する仕事を見つけ、そして全身全霊でぶつかり合える相手がいることは、もしかしたら何よりも嬉しいことなのかもしれない。そして「シガーノ」は、事実その愛するもののために、これまでも己の命を削り続けていた。
彼らの一度目の対戦の時、シガーノは強烈なオーバーハンド一撃で現王者ケイン・ヴェラスケスをマットに沈めた。FOXという放送局と契約したことを記念しての、大々的に宣伝された大会でのことだ。わずか一分余りの決着は視聴者に大きな驚きと、そしてわずかな落胆をもたらした。誰もがジュニオール・ドス・サントスという男は万全だったのだと思った。しかし彼の膝は、本来ならば欠場してしかるべきものだったという。彼は周囲の反対を押し切って出場し、そしてすべてを手に入れた。
二度目の時、シガーノは勝ちを求めて懸命に練習した。そしてその必死さは、彼に人間の限界をたやすく越えさせてしまった。彼の肉体は試合の15日前にピークを迎えた。その体でケージに入った彼は、地獄の美容整形外科医によってSF映画に出てくる異世界の住人になって出てきた。総数200発近くの殴打と試合前の過度な運動は、彼の筋肉を融解させて翌日の便器をギネス・ビールの色をした液体で満たした。もしかしたら、気づかぬうちに彼の後ろを死神がよぎっていたかもしれない。
三度目の対戦前、彼はこれまでの反省からブラジルの生理学者をサポートにつけて、練習中に頻繁に採血を繰り返して疲労度を測り、肉体を酷使しないように徹底的に管理した。夢を叶えるために、彼は投資を惜しまない。
彼の夢はいくつかある。一つは言うまでもなくベルトを奪うこと、そしてもう一つはランディ・クートゥアのような男になることだ。彼は本当にMMAを愛している。彼は何もかもを犠牲にしてこのスポーツに参加している。そして可能であれば、肉体が衰え始める30代を超えて40を過ぎてもケージの中にいたいと願う。
「私は本当にこいつを愛しているのさ。」と彼は晴れやかに笑った。そして彼の夢を叶えるためにはもう一つ必要なことがある。それはケージの中で、あまりにも手ひどく痛めつけられないことだ。
限界を超えた死闘、無意識の中に残った勝利への一途な思い
私は無意識に胸のあたりを鷲掴みにしていた。5Rに入る前、椅子に座るシガーノを見たせいだ。左目は腫れてふさがり、右の瞼の上は大きく開いて赤黒い血が溢れ出ている。唇は腫れ、耳の付け根からも血が流れ出す。汗にまみれた額を撫で上げ、どこか上の空な表情でセコンドを見回す彼は、まるで幼い子供のように無垢に感じた。一体何故だ?彼のMMAへの愛が彼をここに連れてきたのか?彼の鍛え上げた強靭な体、顔の幅よりも太い首の筋肉と彼のベルトに賭ける気持ちが、彼に意識を失うことを許さなかった。彼のこの競技への愛が、ケージの中を地獄に変えた。私が祈るような気持ちでこのブラジル人を応援していたことに気づいたのは、試合を見終わった翌日のことだった。
シガーノの名前がコールされるや、彼はメキシカンを鋭く見据えながらずかずかと前に歩み出る。マットの中央を指さして相手を倒すという決意を見せる、彼のお決まりの仕草のためだ。だがメキシカンは険しい表情でそれに歩み寄ると、指さそうとする彼の顔を視線で射抜いた。前に出てきた王者の気迫に当てられて、シガーノは中央を遥かに超えたところで地面を指をさした。もしかしたら、この中央よりも多く進み出た分だけ、シガーノは気負っていたのかもしれない。
試合開始の合図と同時に、二人とも様子を見ずに一気にケージの中央に進み出る。ファースト・コンタクトをカメラが取り損ねるほどに、彼らは一秒でも早く互いに拳を交えたがっていた。ワンツーで押し込んだ王者の顔面に、まず1発シガーノの左フックが炸裂する。しかし王者にはまったく効いた素振りがない。すぐに視線をシガーノの顔面に戻すと、再び頭を振って前進する。サントスは近づく王者に猛烈な強打を振り回す。しかしそれらを掻い潜り、王者はシガーノの片足を捕まえるとそのまま足を引き上げ、一気に押し込んでテイクダウンした。恐ろしい膂力だ。必死に立ち上がるシガーノの首を、王者は素早く巻き込んでフロント・チョークを探る。王者は隙あらば試合を終わらせる気でいた。王者の顔を突き放してクリンチを解いた離れ際、力強い右アッパーが王者の顔面を削ぎ飛ばす。すこし王者の顔が宙を仰ぐや、すぐさま目に力が戻って距離を取るシガーノを追尾する。序盤にいい打撃を当てたシガーノだが、王者を下がらせるには足りなかった。
前進する王者を止めようと右ボディから左フックのコンビネーションを狙うサントスは、いいボディをヒットさせた。しかし返す左フックの合間に、コンパクトな王者のワンツーがヒットする。右ストレートを被弾して後ろに下がるシガーノに、またしても王者の異常なスピードのステップ・ジャブが先にヒットし、シガーノの剛腕から繰り出される左フックは空を切った。サントスは王者のプレッシャーに押され、倒そうとするあまりに強振しすぎていた。気が付けば、シガーノはケージに縫いとめられていた。
それでもまだスタミナがあるうちは、ケージ際から何度か脱出した。そして距離を取ってにじり寄るヴェラスケスに一撃を当てようとする。しかし、腰以下の高さでタックルに来る王者はパンチでは捉えられない。左ジャブを当てたとしても、ツーを打つときにはすでに王者は遥か下に潜り込んでいるのだ。そして組み付くたびにあらゆる攻撃を仕掛けてくる。足を膝で打ち、脇を差して空いた手で顔面を殴り、膝を腹に入れ、そして突然拘束を解除しては強打を繰り出す。シガーノが膝を当ててもすぐに倍になって返ってくる。
そしてシガーノは完全に両脇を差された状態から振り回すように投げられて地面に叩き付けられた。ほぼマウントの状態だったところから、シガーノは素早くハーフガードに戻し、そして額を押し付ける王者の顔面をぐぐっと押してその腕を素早く畳んで肘を当てる。しかしこれが引き金となったか、すぐさま王者はヴェラスケスにその3倍の肘を繰り出すと、シガーノはすぐに立ち上がる選択をした。体を捻って王者を落とすと、王者はバックマウントに移行する。それをガードしながら金網際まで這いより、彼はケージを頼りに立ち上がった。見事な脱出だ。しかし逃げた先は金網を背負った場所だ。もはやそこは第二のトップ・ポジションだ。シガーノに自由はない。王者はジュニオール・ドス・サントスに対して、圧倒的に有利なポジションを二つ持っていた。
そして1Rが終了した。本来ジュニオール・ドス・サントスはスタンドで距離を取り、じっくりと様子を見ながら戦うスタイルだ。だが狂戦士と化してどんな痛みや疲労も感じないかのように群がる王者に、すでにシガーノのペースは完全に乱され、彼は息を整える時間すら与えてもらえなかった。椅子に座るシガーノの肩が大きく上下している。シガーノの足は魔王に捕まれ、泥沼の中に引きずり込まれ始めていた。そして1Rのグラウンドを境に、その後シガーノは第二のトップ・ポジションから脱出することがかなり難しくなり始めていた。
2Rが始まると、またしても王者は急接近する。それに合わせて一撃を狙うシガーノだが、前に出る王者の左ジャブが先にシガーノの顔面に直撃する。下がってお返しとばかりにフリッカー気味のジャブを軽く繰り出すシガーノだが、王者は顔を背けただけでその足を止めることは決してない。あっという間にケージまで追い込まれたシガーノが再び左ジャブを出すが、下がりながらの手打ちではもはやそのメキシカンには何の意味もなさなかった。
王者はジャブを食らいながら左ジャブを放ち、返す刀で繰り出した右の打ち下ろしがシガーノの首を強制的に右にぐるんと回す。さらにスリーの左フックがシガーノの側頭部をかすめると、シガーノは上体を前に倒しながらふらつきつつ横に逃げる。そこに追撃の飛び上がるような左フックが直撃し、頭を下げたシガーノを抑え込んで王者が膝を突き上げる。これは辛うじてかわしたシガーノが王者を突き飛ばし、両者は再び距離を取った。開始わずか10秒ほどのことだ。恐らくこの一連の打撃はシガーノにかなり深刻なダメージを与えていたと思う。
もはやスタンドでのアドバンテージもシガーノは失いつつあった。再び接近する王者にタックルを予見したシガーノがカウンターを狙った膝を繰り出すが、王者はローを選択していた。軸足にローを当てた王者は、目の前に差し出された膝を有難く受け取ると、そのままシングル・レッグにトライする。そして再びシガーノは第二のグラウンドで磔にされ、暴君からの拷問を受けることになった。
だが2R終盤、あがくシガーノがわずかな光明を見出す。狂ったように顔を押し付けて殴りつける王者の顔面を、シガーノはぐいぐいと押し退け続けた。嫌がる王者が顔を左右に振りつつそれを回避しようとしていた時だ。王者が顔を押して来る相手の右手をどかそうと顔を右に動かした瞬間、きちんと畳み込んだシガーノの丸太のような左腕が繰り出され、その肘が王者の顔面に直撃した。王者の腰はわずかに崩れ落ちた。手での押し込みに対して王者が強靭な足腰で力を加えたことで、それが外れた瞬間に当たった肘がほぼ密着状態でありながら凄まじい威力となったのだ。ごまかすように足に組み付きにくる王者をかわすと、シガーノはケージ際で体勢不十分な王者の顔面を左手で触って狙いを定め、かぶせるような右ストレートを叩き込む。いい一撃だが序盤と比べて威力がない。スタミナを根こそぎ奪われダメージもかなり負わされたせいで、相手を倒し切るには至らなかったのだ。体勢をすぐに立て直した王者にはまだダメージがありそうだったが、この決定的なチャンスを無情にも時が奪い去った。2Rとシガーノの勝機は終わりを告げた。
そして運命の3Rが訪れる。開始直後シガーノは自分から前に出る。しかしやはり強振で、素早く左ジャブを差し込まれてすぐに後ろに下がってしまう。そしてタックルを匂わせつつ前に出る王者に対して、シガーノは嫌でもガードを下げて相手の出方を見ざるを得ない。それでもこのラウンドは、金網に押し込まれつつもシガーノがかなり善戦した。少し疲れてきた王者が組み付く際を狙って強打を当て、押し込まれた状態で膝をボディに繰り出し、さらには2Rで効かせた左ひじを再び狙っていく。さらに離れ際で空を切るも右フックを繰り出し、さらにその後追ってくる王者に万全の右フックを当てた。だが王者が反応して体を沈めて首をすくめたこと、そしてシガーノが明らかに疲れていたせいでこれも王者を止め切れない。この打撃こそ、本当は1Rに望まれていたものだった。
良い打撃をもらった王者は、危機感を強めたのか下がるどころかさらに前に進み出る。そして先に先にと左ジャブを当て、さらにはクリンチで押し込んで相手の攻撃を封じ、あっという間にシガーノのわずかな勢いを叩き潰した。そして下がるシガーノに王者が左ジャブを差し込み、ワンテンポおいて二人同時に放った一打によって、とうとう一人がマットに倒れた。その技は二人の初戦で決め手となった右のオーバーハンド、そして大地に転がったのは-シガーノだった。
ナックルの部分がシガーノの耳の下に叩き付けられ、あまった勢いで手首が彼の首の横を滑り込んでいく。倒れたシガーノに駆け寄った王者は、ここぞとばかりに凄まじい勢いでパウンドを繰り出す。頭が拳で殴りつけられてバウンドする。逃れようとうつぶせになり、必死で立とうとするシガーノの首に王者は腕を巻き付けて、弱ったシガーノの意識を絶とうとした。わずかな静止の後、辛うじて押し退けたシガーノはそのまま糸の切れた人形のように大地に倒れこんだ。彼の意識はもはや遥か太陽系外に旅立ちかけていたのだ。その倒れ方を見て、ハーブ・ディーンは反射的に飛び出した。彼のレフェリーとしての本能が、彼らの試合の終焉を告げていたのだ。
鍛え上げた肉体が奪う、彼の将来の可能性
だが、試合は終わらなかった。もはや超人の域にあるシガーノの肉体は、その倒れ方をした直後に身体のバランスを取り戻し、すぐさま片膝をついて立ってしまったからだ。駆け寄ったハーブ・ディーンは慌てて止まった。そして迷っていた。彼は選手に悔いを残させたくないという思いと、選手を必要以上に傷つけさせてはならないという使命感の間で明らかに動揺していた。そして彼は-選手たちに悔いを残させない方を選択した。そしてそう判断させたのはシガーノの常軌を逸した肉体の強さと、勝利に賭ける凄まじい執念のためだ。私はハーブ・ディーンを責めることはできない。彼もまたケージで戦っていたからだ。そして次に同じケースがあった場合には、これを教訓として確実に止めてほしいと思う。立っていてももはや意識がないケースは多々ある。打たれ強い選手はなおさらだ。だからこそ少しでも危険だと思ったら早めに止めてほしい。試合に負けてもまだ次がある。だが脳が深刻なダメージを負ってしまえばその選手にはもう、次はないのだから。
シガーノのディフェンスは崩壊した。元からタックルを意識してガードが低すぎた彼だが、前回の試合と同様に彼はダメージを受けて完全にノーガードとなった。もはや立つことにすべてのエネルギーを使っているように見えた。どこか遠いところを眺めるような表情のシガーノに、王者は全身を浴びせかけるようなストレートを次々と繰り出し、棒立ちになるシガーノの顔面に王者の拳が何度も吸い込まれていく。そして3Rがようやく終了してくれた。
4R、開幕直後にまたしても飛び込むような王者の右ストレートが炸裂すると、あれだけ攻めたにも関わらず王者はさらにギアをあげてラッシュをかける。ハーブ・ディーンがすぐに止められるようにと寄ってくるほどにシガーノを拳で殴りつけると、息を整えかつ相手の反撃を封じるためにすかさず王者はクリンチに行く。シガーノはクリンチで殴られながら左目をしきりに気にする。このラッシュで彼は左目の下を負傷したのだ。左目の下に血の瘤ができ、青黒く変色している。そしてそこを、王者はクリンチをしながら執拗に打ち続けた。
その後は凄惨なものだった。時折肘やパンチで無意識に反撃を繰り出すサントスの打撃を、意識のはっきりした王者はボディワークで容易くかわし、その合間に強烈な連打を繰り出していく。そして打ち終わればすぐに組み付き、息を整えては再び殴りつける。本能で肘やアッパーを繰り出すシガーノの拳にはまだ力があった。だが相手の打撃に反応できず、ひたすらに王者の攻撃を被弾していた。肘に腹を立てたのか、王者はクリンチしてからのエルボー・スマッシュでシガーノの顔面を切り裂くと、満身創痍のシガーノの右瞼がザックリと裂け、そこからも鮮血が滴り始める。
それでもシガーノは諦めなかった。試合中にその有効性を見出した左肘を使い、彼は終盤何度も王者の顔面を肘で叩き付けると、あの王者が何度か下がったのだ。さらには素晴らしいボディへの膝を放ち、彼は王者をわずかに失速させた。シガーノの戦士の本能が、試合中に王者への突破口を見出しつつあったのだ。彼は王者の鼻梁を断ち割った。だがそれは無意識の中であり、その解決法を完全に活かしきるのはやはり無理なことだった。
5Rに入る前、もはやシガーノの顔面は続行不可能に見えた。両目は流血と腫れでふさがっているように見える。しかしドクターは試合続行を許可した。そしてサントスもそれを望んでいた。
どこかぼんやりした表情のシガーノは、意識を遥か彼方の宇宙に置き去りにしたまま体の命ずるままに攻撃を繰り出したが、これらがなぜかまだ活きていて、疲れてきた王者に最後の抵抗を繰り広げた。人生を捧げて修練を積んだ彼の体は、今何を為すべきかを知っていた。戦い方はもはや本能のレベルにまで刷り込まれていたのだ。
苦しくなった王者が彼をテイクダウンすると、一発逆転を狙うシガーノの肉体は三角締めを狙いに行く。お返しにと腕を狙いに行った王者を防いで、シガーノの肉体は立ち上がって脱出する。驚異的なフィジカルだ。もはや二人とも化け物の域に達している。
そしてしつこくクリンチを繰り返しては打撃を打つ展開が続いて残り2分を切った時だ。顔を下げた王者の首に上背のあるシガーノがするりと左腕を下からあてがうと、そのまま右手を組んで頭を押しつけ、ヴェラスケスをがっちりとニンジャ・チョークで捕まえたのだ!なんという勝利への執念だろうか。明らかに王者は慌てた、そしてその直後に王者が取った解決策はあまりにも乱暴だった。高速で体を捻りながら沈み込み、巻投げのようにシガーノを振り落そうとしたのだ。その強引な解決策によって、ロックしたままのシガーノは受け身を取れずに額からマットに突き刺さった。腕から力が抜けてロックが外れ、シガーノはそのまま正座で座り込んで動かなくなった。そこに逃れた王者が襲い掛かると、もはやシガーノは力なく頭を抱え込んでうずくまるしかなかった。戦意は完全に失われ、彼の肉体はもはやほぼ制御を失っていた。これまでのダメージで朦朧としていたところに王者のDDTで頭をマットに激しく打ち付けられたシガーノは、とうとう意識のほとんどすべてが地球外に向かって飛び立ったのだ。
ハーブ・ディーンは試合を止め、観客は呆気にとられた。何がシガーノの動きを止めたのかが理解できなかったからだろう。そしてハーブ・ディーンはよく見ていた。彼は急いでシガーノのそばに駆け寄って両手を振った。この長い死闘にようやく幕が下ろされたのだ。見終わった私の肉体はすっかり疲弊し、内臓がひどく重く感じた。
慌てて駆け込んでくるスタッフ達に、シガーノは不思議そうな表情を見せて座り込んでいた、まるで大好きなおもちゃを取り上げられた少年のように。
シガーノの敗因とその分析
ブラウンプライドは試合開始と同時に前に出て自分の高速なペースに相手を巻き込み、あっという間に主導権を握ってしまう。普通の選手ならばスタミナが切れてしまうところだろう。だが王者は自分のカーディオを、ひょっとしたら神よりも信じているかもしれない男だ。その勝負を挑めば、先に息が上がるのは必ず自分の前に立つ男だと思っている。そしてそれは事実だ。だからこそ、彼のペースに付き合わないためにも彼の猛進をなんらかの手で食い止めなければいけない。
そしてシガーノは、自分のパンチでそれが十分に可能だと信じていた。実際に可能だったとは思う。だが彼の打撃は、ハイペースな王者につられてその大部分が大振りになっていた。そして王者のきちんとステップインするストレート系の打撃に距離、速度共に劣っていた。しかしこの展開は前回の試合で経験していたはずではなかったか。シガーノとシガーノ陣営には、明らかにパンチに対する過信があった。加えて速さと正確性、そして射程距離において、彼らは王者の打撃を見誤っていたところがあるように思う。
もう一つシガーノが見誤っていたのは、王者の打たれ強さに関してだ。彼らの初戦で、ブラウンプライドはシガーノのオーバーハンド一発でダウンした。それによって世間では彼の顎が弱いのだという評価が流れた。そしてシガーノ陣営もいまだにそう思っている節はなかっただろうか?二度目の対戦では、初戦と同じくらいのハード・ヒットを王者は潜り抜けていたのだ。そのことからも、パンチだけでは王者を止め切れないと考えるべきだったはずだ。今回の試合でも、ダウンしてもおかしくないようなシガーノのパンチはいくつかあった。だが王者はそれに動じず、動じてもすぐにタックルで誤魔化して回復を計っていた。シガーノ陣営は、ブラウンプライドはハンマーで殴りつけても気絶しないのだ、という前提に立って戦う必要があったように思う。
シガーノは王者を止めようと序盤は前に出ていた。それは正解だったし、事実良い打撃もあった。クリンチを解いた離れ際のアッパーも、あれを続けられれば完璧だっただろう。だが、もっとコンパクトに、もっと速くストレート系の打撃で戦うことが必要だった。気負って大きいアッパーや体の泳ぐフックが多く、先に左ジャブを当てられたところに組み付かれてパンチの距離を潰され続けた。ヴェラスケスの打撃はすべてその後にタックルに繋げてくるのだから、突進の出鼻を挫くか、もしくはそれをいなしきってから前に出る方がよかっただろう。相手が出てきてから打ち合いではもう遅いし、それならばいっそきちんとサークリングで逃げ切ったほうがよかったと思う。同時の打ち合いでは回転が速く、打った後にタックルで腰の下にまで頭を移動させるヴェラスケスを捉えることはできない。
そして今回もシガーノのTDディフェンスは相変わらずよかった。しかしもう一つ必須のスキルがあった。それは金網際でのクリンチ対策だ。AKAで共に練習するヴェラスケスとコーミエは、研鑽の末にここを第二のグラウンドにしてしまった。彼ら二人に金網に押し付けられるのは、グラウンドでトップ・ポジションを取られるのに等しいだろう。
自分の考えでは、たぶん脇を差されて額を首の根元に押し付けられてからではもう遅いのだ。押し込まれたほうは、足の力を使えなくなってしまうからだ。ヴェラスケスは自分の顔や額を相手の胸元に押し付けて、それを両足の力を用いて押し込んでいく。金網と頭に胸の部分を挟まれた選手は、必然背中を金網に預け、そしてバランスを取るために足が腰の真下か前に出てしまう。そしてこの状態は足が浮いたような状態であり、相手に対して足で押し返すことが不可能になっているのだ。押し返すにはスペースを作って、足を腰よりも後ろに持っていかねばならない。だから押し込まれた選手は上体を動かして胸にかかる圧力をずらして横に逃げるか、腕の力で頭を押し返してスペースを作る必要がある。だが相手は足の力で押しているのだ。これに上半身の力のみで対抗するのは至難の業だ。ましてや相手は、押し込むことを専門に鍛えてきたレスリング・エリートだ。その足腰に対抗するだけで、その選手のスタミナはあっという間に空っぽになってしまうだろう。
そして彼は必ずどちらかの脇を差してくる。そしてこっそりと金網を掴んでいる。これでフットワークで逃げられる方向は一方に限られた。そして逃げる方向からは、しつこく拳が飛んできて顔面を打ち据える。空いた手でガードをすれば、彼は膝を突き上げてボディや足を痛めつけるだろう。それを防ごうと足を上げれば、彼の大好物であるシングル・レッグに移行できる。その状態でガスが切れたり打撃が効いたら、彼はあっさりと本当のグラウンドに引きずり込んで、悠々とパウンドを落としてくるだろう。完全に詰み、である。
だから必要なのはその体勢になる前に対処すること、そしてなってしまったら一刻も早く逃れることだ。時間の経過とともにどんどんと不利になっていく。途中からシガーノは息を整えようと様子を見ていたが、多少苦しくてもあそこで脱出する必要があったと思う。もっともそうやろうとしていたができなくなった、というほうが正しいだろう。1Rのうちはクリンチをほどいて足を使って逃げることができていたからだ。
理想的なのは距離を維持することだ。徹底的にフットワークを駆使して、出てくる王者の顔面を速く鋭く打ち続け、下がったり前に出たりを調節しながら確実に削る方法がひとつ、これはフェザー級王者、「スカーフェイス」ジョゼ・アルドが長けている。彼は下がりながらも鋭くしなやかなパンチを繰り出し、多くの選手達を失速させ、前に出ることを防ぎ続けた。一撃でKOは奪えないかもしれないが、確実に相手の顔面を破壊して相手の気力を根こそぎ奪うことができる。
今回シガーノは大振りが多く、またフックやアッパーなどの曲線軌道のパンチが多すぎたのも問題だと思う。特に距離を詰めて飛び込んで来るヴェラスケスを相手にフックなどは空を切りやすいし、またストレート系を使うヴェラスケスに先に当てられてしまうことが多かった。もっとコンパクトで速いストレート系の打撃を、飛び込む王者にカウンターで軽くでいいから数を当てていくべきだっただろう。またあまりにもガードを疎かにしすぎた。TD対策とはいえ限度を超えていたと思う。もう少しガードに頼っても大丈夫だろう。
もう一つが蹴りを使うことだ。タックルに対してリスクがあるとはいえ、その射程と高さの自在さはかなりの魅力だ。パンチで捉えきれない範囲も射程に捉えることができる。今回シガーノも途中でハイキックを打った。ガードされてバランスを崩したものの決して悪い判断ではない。相手にガードをさせる、というのは重要なことだ。相手はその分一手遅くなるし、対処するべきことが一つ増えるのだから。膝蹴りに長けたストライカーなら、腰の位置あたりに来た顔面を狙い撃つこともできるだろう。シガーノも狙いはしたが、うまく当てることはできなかった。だが狙い自体は悪くはないと思う。
だが相手がヴェラスケスではそこまでの蹴りを身に着けるのは難しい。なぜなら蹴りを使ったらたぶん王者は蹴り返してくるし、それに打ち勝てるだけのムエタイ技術はまず身につかないだろうからだ。フットワークを使って逃げるにも、ずっと逃げ続けるのは難しいだろう。そうなれば大事なのはやはりクリンチでの打撃だ。そして今回、シガーノはその解決策を試合中に発見していた。
戦士の本能がシガーノに教えたクリンチの打開策
それは肘と膝だ。中盤以降、シガーノは肘と膝を使って組みつく王者にかなりのダメージを負わせていた。特に肘の威力は素晴らしく、一度は頑丈な王者の腰を砕けさせ、そしてその後も鼻のブリッジを叩き割り、王者の顔面を傷つけた。その威力は試合後の王者の顔からも明らかだ。ヴェラスケスはボディに強烈な膝を浴びたり、肘を振り回された時にはそれを嫌って何度か自分からクリンチを解いていることがあった。つまり、あのクリンチにとってはそれほどに厄介なことなのだ。
もっと余力があるときからクリンチ際で肘を振り回していれば、展開は違ったかもしれない。そこで相手を下がらせれば、一撃を打ち込む余裕がまだあったからだ。ボクシングで鍛えたサントスの肘の威力は強烈だった。あの腕の質量や背中の筋肉を見ればそれも当然だろう。しかしその必要性に試合前に気付けなかったことがすべてだ。最初からあれを狙う気で練習していれば、彼は自分の望む打ち合いに持ち込めたかもしれない。もちろん押し込む側からも肘の反撃が出るだろうし、実際にそれでシガーノは瞼の上を切り裂かれた。だが王者がリスクを避けるならばそう安易にはクリンチに持ち込めなくなるはずだろう。
試合中にそれに気づき、すぐにそれを多用しだすあたりにはサントスのずば抜けたセンスを感じさせたが遅きに失した。だがその有効性を見せたことは決して無駄ではない。これで彼らのクリンチ技術に対策を立てることのできる選手が増えた事だろうし、そしてシガーノも次は同じ手は食わないだろう。特にコーミエと対戦するライトヘビー級の選手には喜ばしいデータだ。
見当たらない必勝法とスタイル改革の必要性
ただ、上記のことを全部やっていたとしても勝てたかは難しい。王者はグラウンドでのトップ・ポジションをのみ望む男ではない。相手が金網を背負ったクリンチの状態でも、そしてタックルと打撃の選択肢を持つスタンドでも彼が有利だからだ。打撃がだめでもタックル、タックルがだめでもクリンチ、そしてすべての場所で王者が優位だ。対するシガーノはクリンチの組み際と離れ際、そしてスタンドでしか優位に運べる可能性が無かったし、スタンドではタックルの選択肢をヴェラスケスのみが持つためにどうしても後手になった。スタンドのみを想定して前に出れば、王者は容易く視界から消えて足元に絡みついてくるからだ。
またスタミナの差もかなり厳しい。クリンチで優位な王者のほうが自然スタミナのロスは少ないし、回復を一方的にすることができる。対してシガーノは常に不利なポジションに置かれていたのだ。彼が息を整えるだけの距離を維持できたことはたぶん一度もなかっただろう。そしてシガーノは1Rですでに息が上がっていた。
正直、シガーノがどうやれば勝てたのかをずっと考えていたがいまいち思いつかない。もっと足を使ってコンパクトなストレート系の打撃を繰り出し続けて先に数を多く当てる、もう少しガードに頼る、そしてスタミナを信じられないくらいに強化するくらいしか解決策が見当たらないのだ。そして今回でも良い打撃はあった。あれで倒れたり下がってくれないのであれば、もう武器を持ち込ませるしか対処法が浮かばない。結局ぐらついたのは肘打ちの一発だけで、序盤の左フックや右アッパーも、ヴェラスケスを一瞬止める程度の効果しかなかった。何よりもパンチの土俵で同じかそれ以上にヴェラスケスが強いせいで、シガーノの勝っている部分がほぼないのだ。付け焼刃の蹴りはリスクが高いし、グラウンドではやはり下から攻めるのは難しく、結局上から肘で削られたために慌ててシガーノはスタンドに戻ったくらいだ。金網際は王者の処刑場だ。1R序盤の動きでヴェラスケスをかわしては打撃を打つ、接近されたら早めに肘を狙って脱出し、離れ際でまた一撃を狙う、組んだら時折足払いや払い腰などの柔道系の技にトライする、くらいが関の山だ。
ここにきて、シガーノはスタイルを新たに組みなおす必要があるだろう。
愛することができる者は世界で一番幸せな者
彼らのライバル・ストーリーは終わった。史上最強のMMAヘビー級王者の座はメキシコの血を継ぐ戦士に与えられた。ブラジルの青年は、自分が一生を捧げたもののために目を覆うほどの惨状となった。彼の愛するものは、彼の愛に報いてはくれなかった。
しかし彼は幸せそうだった。想像以上にしっかりとした足取りで王者の元に歩み寄った青年は、王者の腕を高々と掲げると王者と抱擁した。顔面は腫れあがり、もはや表情はほぼ失われていた。それでも彼はどこか清々しそうに見えた。彼は心から対戦相手の勝利を祝福しているようだった。
その後のインタビューでマイクを向けられると、彼は血まみれの顔で笑顔を見せた。そして王者を褒め称え、手ひどくやられたことを楽しげに語った。さらにこれだけの目にあわされてもなお、彼は家に帰り、そして一生懸命練習し、また戻ってくることを力強く誓ったのだ。最後に彼は、両手を挙げてやれやれとおどけてまで見せてくれた。彼は最後の最後まで力を出し切ったことに満足していた。そして自分をここまで連れて来てくれた「ブラウンプライド」を心の底から尊敬し、そして愛していた。彼はライバルが強いことを、恐らく本人よりも喜んでいるのだ。
彼は戦いを、ファンを、ライバルを、そしてMMAを心の底から愛している。たとえ振り向いてもらえなくても、彼は一途に愛し続ける。それは殉教者のような心持なのかもしれない。彼にとっては結果よりも、好きなものに本気で取り組み、そして自分のすべてを出し尽くすことの方が大事なのだろう。そしてそんなものを見つけた彼は、たとえどんな目に遭おうともきっと世界で一番幸せな男なのだ。私は彼の熱い想いが彼をここまで追い込んだことを悲しく思った。だがそれは何一つ彼のことをわかっていない、見当違いの憐れみだった。彼は自分がここまでやれたことが幸せなのだ。そしてその気持ちがある限り、彼には再び王座への道が開かれることになるだろう。私はいつまでも待っている、彼がケージに現れ、その拳で再びブラウンプライドを打ち倒す瞬間を。
一つの物語は終わった。だがそれは次の物語の始まりでもある。彼らの続編はいつになるかわからない。だがきっとその続編は、MMAへの愛と残酷さに満ちた壮大な叙事詩となるだろう。
戦士にとって玉座は己の退路を断つ障壁
王者とは相手の挑戦を受けて立つ者のはずだ。彼にはもうベルトがあり、王座があり、そして名誉がある。全てが満たされているはずだ。そして満たされていれば、ハングリーになることもないはずである。ではこの王者は何に飢えているのだろうか?挑戦者よりも飢えた王者はゴングと同時に挑戦者に飛びかかった。それは王者の立居振舞ではない、飢えた獣の在り方だ。彼の後ろには玉座が控えている。その荘厳な背もたれによって、メキシコの血が流れる獣は退路を断たれたと思っているのかもしれない。
「ブラウンプライド」ケイン・ヴェラスケスは、3度目の対戦ですべてを終わらせるつもりでいた。彼とのライバル関係を解消し、自分が歴史上最強であることを証明するためだ。
1戦目、彼は怪我明けから間もなかった。膝の調子も悪く、十分な練習はできなかった。そのために自身がベストと語る240ポンドよりも8ポンド重い状態で試合に臨み、そして史上最も多くの人間が視聴したFOXの記念すべき第一大会で、彼はケージの中で1分余り姿を見せた後にケージを後にした。ブロック・レスナーを手ひどく痛めつけて奪い取ったベルトは、たった一発の右のオーバーハンドで強奪された。ケイン・ヴェラスケスはベルトを失って、初めてそれが現実のものだったことを知った。彼は無くしてからその重みを理解した。彼はひどく後悔した。
2戦目、彼は反省した。そして自分が納得いくコンディションにまで戻してから試合をすることを決意した。巷では彼の顎は弱いから、どうせすぐに倒れるだろうと思われていた。あれでけの屈辱を受けながら、彼は一切の動揺を見せずに再びシガーノの前に現れた。彼は何度も痛打を受けながらも前進を繰り返し、わずか1Rでシガーノからお返しのダウンを奪った。そして25分が過ぎるまで、一方的にシガーノを痛めつけた。ブラウンプライドは己の誇りを取り戻した。だが一勝一敗、まだどちらが強いのか、本当の決着はついていなかった。
だからこの3戦目で彼はすべてを終わらせたがった。彼は同じ階級のランキング2位、元オリンピック・レスラーのダニエル・コーミエと日課のようにスパーを繰り替えした。AKAのジム内には小さな擬似ケージがあり、彼らはそこでほぼ実戦形式でやっていたのだという。唯一の違いは防具の装着のみだ。ケイン・ヴェラスケスとダニエル・コーミエの試合が見たければジムに来い、かつてコーミエとの同門対決の可能性を問われたヴェラスケスはそう答えた。そしてそれはジョークだと思われていた。だが、王者は彼らの真実をそのまま述べただけだったのだ。
ヘビー級は人材が少なく、またトップ・コンテンダーと下位の差が激しい階級だ。まともに練習する相手を見つけるのも困難な中で、王者は同レベルのチームメイトと研鑽できるというアドバンテージを持っていた。彼はコーミエと5Rに渡るスパーを日常的に行っており、さらにそこからもう2R可能なほどにスタミナがあると自負した。それが見栄やハッタリ、自惚れなどではないことは、この日の試合で証明されることになる。
机上の空論を実行しきる王者のポテンシャル
彼はかつてシガーノに敗れた際に敗因を聞かれてこう答えた。「ゲーム・プランを遂行しなかったからだ」と。皆は体調不良を言い訳にしたくないからだと思い、その潔さに感心した。だがこれもまた偽らざる本心だったのだ。戦士は何一つ嘘を言わない。そして彼の言葉通り、ゲーム・プランを遂行したケイン・ヴェラスケスに一切の隙は無かった。
ゴングが鳴る前、眉間に皺を刻み込んで何度も強く息を吐く王者の姿は突進をする前の猛牛に酷似していた。体の具合を確かめながら呼気を強め、そして己の角を相手の柔肌に突き立てようと身を震わせる。これほどに気合というものを有効に使える人間はきわめて稀だ。気負いとそれは紙一重であり、そしてケイン・ヴェラスケスのそれは間違いなく気合だった。彼は一切の迷いなく前に出る勇敢さと、そして前に出続けながら完全に作戦を遂行する冷静さを同居させていた。彼の心技体は、今回も最高のバランスを実現していた。
試合開始と同時に王者は飛び出し、オクタゴンの中央で真っ先にワンツーを繰り出す。負けじと駆け寄ったシガーノの左フックを早々に被弾するも、彼はそんなことを歯牙にもかけずに突進した。王者の体は歓喜していた。最高の相手と、最高の状態で戦うことに喜びで身を震わせ、そして彼の体中を駆け巡る血潮が全身を滾らせる。
王者の作戦は完璧だった。遠目から一気に距離を潰して接近し、相手にタックルと打撃の選択肢で迷わせ、その綻びたところを狙っていく作戦だ。シガーノが打ち合うそぶりを見せた瞬間、彼の体は一瞬で沈み込んでシガーノの足に食らいつく。これがヘビー級のスピードだろうか?そのタックルに入る動きの速さはミドル級に匹敵するかもしれない。
ヴェラスケスは必ず顎をきちんと引き、ガードを上げて体を振り、フェイントを織り交ぜて急接近する。判断に迷って後手に回るシガーノに、打撃で入るときにほぼ確実に素早いステップインからの一切の無駄のない左のリードジャブをねじりこみ、そして間髪入れずにツーの右ストレートを返してくる。この左のステップ・ジャブが前回以上に鋭さを増してシガーノとの打撃戦を制した。彼の打撃への反応速度ときちんと引いた顎が、彼に驚異的な打たれ強さを提供した。ヴェラスケスは打たれるにしても反応して食らうことが多かったし、どんな状況でも恐れずに相手を見ていた。KOされるのは打撃に反応できない時だ。どういうわけかはわからないが、王者の反応は同門のダニエル・コーミエと同様に異常なレベルにあった。やはりコーミエとのスパーに慣れてしまえば、ほとんどの打撃が見えるようになるのかもしれない。
また彼のステップインや右ストレートがバランスを崩しかねないほどに踏み込めるのは、彼はそのまま組み付くことを狙っているからだ。そして打撃のみではありえないその踏み込みで、シガーノは的を何度も絞り損ねた。本来止まるべき位置で頭が止まらず、自分の胸元に飛び込んできてしまうからだ。彼のパンチは王者の頭より後ろか、逆に手前過ぎるところを何度も空振りした。距離の設定ができないのだ。
さらに恐ろしいことに、王者は左ジャブから2種類のコンビネーションを使った。一つはワンツーであり、もう一つが左ジャブからの低空タックルだ。それもかなりギリギリのところまで、シガーノの攻撃を見てから判断している。シガーノが反撃を狙うとみるや、ツーで一気に視界から消えて腰のあたりに手を回し、そして凄まじい力でケージ際まで押し込んでしまう。このスピードにシガーノがついていけない今、同門のダニエル・コーミエ以外で対抗するのは不可能に近いだろう。彼はこれでシガーノのパンチを完全に回避し、そしてケージ際まで来てから獲物をゆっくりと捕食するように上にせり上がり、額でシガーノを金網にくぎ付けにして何度も何度も削り続けた。
ブラウンプライドは自分が一方的に打撃を打ち、打ったらすぐに組み付いて相手の反撃を封じ、そしてクリンチという自分に有利なポジションに持っていく。攻守を兼ね備えたこの一連の攻撃は完成しすぎるあまりに、何やらひどく残酷なものを感じさせた。あまりにもシガーノを封じすぎてどこか味気なくすらあった。観客からブーイングが出るのも仕方ない、それくらいにシガーノを無力化させすぎたのだ。
ただ、これは言うほどに簡単なことではない。並の選手ならばクリンチで相手を制しきれずに反撃を受けるだろう。タックルに入る速度が遅いために、簡単に切られてしまうだろう。スタミナ切れを起こして、前に出ることが不可能になるかもしれない。何よりも打撃戦でシガーノに勝つこと自体、タックルの選択肢があっても難しい話だ。
王者は試合前に240ポンドがベストだと言った。それ以上重いとスピードが落ちる。だが240ならば速いままで、かつ力強さも残っているのだと。その通りだった。ミドル級に匹敵するスピードとヘビー級を凌駕するパワー、そしてフライ級に匹敵しうる無尽蔵のスタミナを兼ね備えた王者は、格闘ゲームのキャラクターならば真っ先に使用不可の申し合わせが行われることだろう。
地獄への入り口は背中を預けた金網に開く
そして今回ケイン・ヴェラスケスが主戦場に選んだのは、前回同様の金網際だ。しかしその完成度は前回以上だ。今後王者は自分と匹敵するレベルのストライカーが現れた時には、迷わずこの場所に持ち込むだろう。その場所での王者の優位はグラウンドでのトップ・ポジションに次ぐものであり、第二のトップ・ポジションと呼ぶべき場所だ。相手の得意手を封じ、相手に一方的にダメージを与えてスタミナを奪い、そして自分はダメージを回復できる。たとえその見た目がジリジリと焦れる退屈なものに見えたとしても、その効果は凄まじいものがある。打たれ弱い選手ならば、ここでの打撃で沈みかねないだろう。
しかもこの金網際からの脱出もまた危険だ。前回シガーノがダウンを奪われ、今回もいい打撃を貰ったのがこの逃げ際だ。ケージ伝いに横に逃げるのを、獰猛な王者はしつこく追尾して飛びかかるような打撃を放ってくるのだ。ケージを背負って下がりにくいせいもあって、ここで逃げ損なうことは多かった。
また今回は積極的なサブミッション・トライが見られたのも特徴的だ。彼は試合開始直後早々にフロント・チョークを狙っていったが、その後もダウンを奪ってすぐにギロチンを狙い、終盤ではトライアングル・チョークを模索したシガーノに反撃で腕を取りに行っている。王者はただ判定を狙うだけでなく、可能な限り早く相手を終わらせる方法を常に研究しているようだ。今回はどれもフィニッシュには至らなかったが、チョークはなかなかに惜しかった。これでサブミッションの極めの強さが備われば、ますます手が付けられないだろう。
唯一気がかりなのがサブミッション・ディフェンスだ。スタミナもかなりロスした最終回、安心しきって頭を押し付けに行ったところをシガーノにかなりいい形でニンジャ・チョークに捕えられた。チェール・ソネンの悲劇が一瞬脳裏をよぎった。その後人間とは思えない獣じみた動きで逆にシガーノをマットに突き刺して結果的にTKOを奪ったが、かなり危ないところだったようにも思う。あの外し方はシガーノがグロッキーだからできたのであって、相手によってはあの逃れ方はできない可能性が高い。おそらく疲労と油断だろうが、あれはきちんと反省しておくべき点だろう。
余談だが、ヴェラスケスやコーミエがMMAレジェンドのエメリヤーエンコ・フョードルに似るところがあるとすれば、あの一瞬の獰猛な体裁きだ。瞬間体中のエネルギーを爆発させて、ヘビーとは思えない速度で体を震わせて弾かれたように動くその動作が、ロシアの皇帝を彷彿とさせるように思う。あの体裁きを真似てあれができているのなら、それは練習して身に付くものなのかもしれない。
そして試合の決め手となったオーバーハンドは、恐らく王者は狙っていたのだろう。散々にタックルを仕掛けたところに、上体を倒してのオーバーハンドにシガーノはまったく反応できなかった。王者は相手の反撃を予測し、左腕で自身の右顎のあたりを覆ってから飛び込む周到さだった。その予測通りに低い位置を狙ったシガーノの左フックは王者の首のあたりをかすめた。王者はあまりにも冷酷に復讐する機会を窺っていたのだ。ブラウンプライドの執念は深く、そして刻まれた屈辱を決して忘れないのだろう。
王者が今も飢えつづけるもの、それは対戦相手の完全なる制圧
力なくうずくまったライバルの側頭部に容赦のないパウンドを数発振り落すと、ハーブ・ディーンがとうとう試合を止めた。ブラウンプライドは雄たけびをあげてその場を離れ、どよめく観衆を歩きながら眺め回した。そして己の鼻梁から噴き出た血を手ですくって一舐めし、分厚い胸板を激しく叩いた。その姿は己の興奮を持て余して身もだえする獣そのものだ。自らの強さを見せつけたことを誇ると同時に、完全にシガーノの意識を奪えなかった自分に不満であるようにも見えた。
試合後のマイクで彼は語った、一撃で倒そうと思ったができなかった、申し訳ないと。彼はあまりにも一方的に対戦相手を殴り続けた。それは立派なTKO勝利だ。しかし王者はまだ自分のパフォーマンスに納得はしていないようだった。戦士の望むレベルはまだこんなものではないのだ。シガーノはストップ直前まで足掻き続け、そして王者を脅かしていた。我々が思う以上に、王者にとって厳しい戦いだったのだ。そして王者は、そんなシガーノをさらに制圧することを考えて試合をし続けていた。彼にすれば相手が完全に動かなくなるまでは本当の勝利とは言えないのかもしれない。ブラウンプライドの誇りと信念に背筋が凍る。そしてこの怖さこそ、MMAの頂点に立つものに必要な才能なのだ。
いつかまた彼と戦うかもしれないが、しばらくの間はないだろうと戦士は試合後の会見で語った。彼の顔面には二か所にテープが貼られ、そして右の眉のあたりの骨が赤く異常に腫れあがっていた。試合中はずっと王者優位に見えたが、シガーノもまたその牙を深く王者の体に食い込ませていたのだ。彼は攻撃が効いていなかったのではない、気力ですべてを耐えて前に出ていたのだ。彼は新たな対戦相手を望む。恐らくは柔術の名手、シガーノと同じブラジル人のファブリシオ・ヴェウドゥムになるだろう。
彼はシガーノとのライバル関係に終止符を打ち、偉大なる王道を開くために新しい物語を紡ぎ始める。だが彼の戦い方はきっと変わらないだろう。誰が相手でも前に出て、そして打ち倒して屍を乗り越えるだけだ。彼にとって王座はゴールではなくスタート地点だ。なぜなら玉座の背もたれが彼の後ろを遮っているからだ。彼は玉座から立ち上がってひたすらに前に進み、そしていつか城を飛び出して荒野をどこまで駆けていくだろう。そしてその先に、いつかまたMMAを愛するブラジル人の青年と出会うかもしれない。いや、王者はきっと出会うだろう。そして次に会った時には今度こそ確実に、シガーノの喉笛を食い千切って指ひとつ動かなくしてやることを夢見ているに違いない。それが彼の愛の在り様なのだ。血に塗れた獣の安住の地は華麗なる王座にはない。冷たい金属に囲まれた、戦士たちの血潮に薄汚れた青いマットの上だけだ。それはどんなに飾りたてた場所よりも美しい。そして最も残酷な場所で育まれたものだからこそ、そこにある愛は真実なのだ、私はそう思っている。二人の戦士が長い旅路の果てに、いつかまたこの戦場で出会うことを私は心から待ち望んでいる。
>もう武器を持ち込ませるしか
返信削除これにつきますねw
試合後はもう現代MMAにおいて特化型は厳しいのかなと思いましたが
別にスタイル云々ではなくケインが強過ぎるだけですかね
今回の勝利に貢献したDCも世界最地味強の名に恥じない試合をやってのけ
彼ならJJと互角に戦えるのは間違いないですね
きつい2連戦となるグスさんが可哀想過ぎですが
サントスはヴェラスケス以外にはパンチに特化したスタイルで勝ってきたので決して厳しいと言うことはないと思います。ただその特化したもので互角以上に持ち込まれた場合、シガーノには選択肢がほぼないので負けてしまうのだと思います。解決策はヴェラスケスに対応しうる新しい戦術を編み出すか、さらに王者を圧倒するストライキングを身に着けるかです。ただどちらも相当に難しいでしょう。
削除コーミエはアマチュア的ですね。私は好きですが不満も出る戦い方でしょう。グスタフソンとのマッチメイクはセンスを感じます。どのみちUFCでは楽をさせてもらえないのでいずれぶち当たるでしょうし、ならば早いに越したことはありません。
グスタフソンがコーミエと当たるのは、その実力を高く評価されたからこそです。リスキーですが、ここで勝てばまたすぐにタイトルマッチが回ってくる可能性が跳ね上がります。グスタフソンは損ばかりではありません(高柳氏のようなダジャレでは決してないので誤解なきようお願いします。)
インタビューで帰って練習して再戦したいと言った時はノゲイラがヒョードルと3回目で負けたときを思い出しました。スタイルはむしろミルコに近いと思ってましたけどメンタルはちゃんと受け継いでるんですね。
返信削除とは言えこの先ヴェラスケスに勝つことは可能でしょうか?
あまりにもドスサントスのウィークポイントを執拗につくケインのスタイルに実力差以上の相性の悪さを感じました。むしろドスサントスよりジョシュやファブリシオの方が勝機があるような気すらしまた(気のせいかもしれないですが)
このコメントは投稿者によって削除されました。
削除敗北を苦にせずすぐにケージに戻ってくるのはマスター・ノゲイラの最も素晴らしい理念です。ファイターは常に戦場に身を置いてこそだと思います。メンタルをちゃんと受け継いでるのはやはりノゲイラが指導者として偉大なんでしょうね。
削除相性は最悪でしたね。というかヴェラスケスと相性がいい人なんていないと思います。打撃で上回られるなら組み、組みで上回られるなら打撃で来ますし、その両方で上回るのはたぶん無理です。
ジョシュは打撃がいまいちですし、クリンチではフィジカルとスピード差、そしてスタミナでもかなり差があるので組ませてもらえないし組んでも逆にやられる気がします。普通に遠目からの打撃で打ち負ける可能性が高そうです。
ファブリシオは極めが強く劣勢でも挽回できる可能性がありますが、以前にノゲイラを相手に打撃で押され、かつスピードが遅すぎるように見えたのでちょっと厳しそうです。ファブリシオを相手にしたらヴェラスケスは蹴りをやたらと使ってくる気がします。
死闘でしたね
返信削除ケインが大磐石を体現してなお、5Rは覆されてもおかしくなかった印象です
防衛本能的に発動したシガーノの肘は、十分な突破口と感じ、エディさんよりほんの少々高めの評価になりますか
シガーノに限らずケインの攻略はどんな理論が現実的でしょうか
ケインがもはやウソみたいなフィジカルですもんね
最後に
シガーノは2R途中以降の記憶がなく、ケインは顎の負傷で半年の出場停止とのこと
3R以降は紛れもないドラマでしたが、セコンドが選手生命を厚く保護すべきだったという思いも拭えません。
5Rはよかったですね。とてもオートパイロット状態だったとは信じられません。無意識であそこまで動けるのはシガーノの修練の賜物ですね。打撃の威力が最後までかなり残っているのは本当に不思議です。そしてシガーノは本格的に肘を練習したらすごい武器になりそうです。
削除ヴェラスケス対策ですが、まだあまり思い浮かんでいません。スタミナがあってスピードもあって馬力もあるのではちょっとどうしようもないです。もう少し打撃が下手ならいいんですが、その打撃があのレベルですからね。今回も結局シガーノからダウンを奪ってしまったわけですし。ヴェラスケス以上の蹴りの使い手がいると少しは考えようもあるんですが。
そして王者の怪我は結構ひどかったみたいですね。顎の骨が骨折している可能性があるとか。原因は肘のような気がしますね。だとしたらnaoさんの肘の評価が正しいのでしょう。
シガーノはあれで検査の結果異常がなかったらしいですが、記憶が飛んでる以上やはり確実に脳はダメージは負っているはずです。やはり私は3Rで止めてよかったと思います。追撃のパウンドで頭がバウンドしてましたしね。
サントスが両手をだらんと垂らして座り込んだ最後の瞬間は、私がこれまで格闘技をみてきた中でも、強烈に印象に残ったシーンとなりました。ただただ、純粋さ、美しさ、儚なさ、そういうものが同居した、なんとも一言で形容のしがたい感情を抱きました。
返信削除それにしても、ヴェラスケスの最後の投げはすごかったですね。てっきりサントスが倒しに行っていたり、なし崩し的にああなったのかと思っていたら、完全にヴェラスケスが倒しに行ってますよね。私には強引にいったというよりも、普段から練習の中で、あの態勢からのあのような投げ方も練習していたように見えました。
シガーノは切なかったですね。糸が切れたように動かなくなったのを見て胸が痛みました。本当はもっと早く止めてほしかったです。
削除ヴェラスケスは完全に投げてましたね。レスリングの体の使い方のように感じました。練習していたのか、彼の本能に刷り込まれていたのかはわかりませんが度肝を抜かれました。高速すぎて一瞬何をしたのかさっぱりわからなかったです。本当は投げて背中から落とすつもりだったのだと思っています。それにしても獣の身のこなしでした。
初めまして
返信削除毎度力強い素晴らしい文章を楽しませて頂いております
ベラスケスが最後に見せたチョークからの逃げは
以前見たことのあるグラップリングの教則ビデオに似たようなのがありました
知人の外国人アマレスラーもその技を知っていて数年前に軽く稽古付けてもらった覚えがあります
自分はサントスを応援してましたし、敗けてもあっぱれではありましたが、
ベラスケス側の戦術に対する対策の甘さに少しがっかりしたのも事実です
(とは言え見た目以上に健闘してたと自分は思います)
自分のような素人がトッププロに苦言を呈するなど本来は身の程知らずも甚だしいのですが(笑)
第1に先手先手を取られる場面が多すぎる事、
ラウンドの合間にベラスケス側のセコンドは「常に先手を取れ」のようなことを言っていたように感じましたが、
サントスはそれを許してはいけなかったと思います
エディさんがおっしゃるようにフットワークを使いつつストレート系で出来る限り
頑張るべきでしょう
しかしそう簡単な事ではないでしょう
そこで第2に動き全般にバラエティを持たせること
例えば①後ろに下がり続ける、②その場で迎え撃って踏ん張るの2パターンだと
相手側からすれば攻略しやすいと思われます
③フットワークを使って左右に動く、④相手の前進に対して自分から前に出る(タックルなら尚好し)
⑤ベラスケスが1、2 or 1+タックルの2択を仕掛けてくる可能性が高いなら
失敗しても良いのでタイミングを合わせて膝を決め打ちする等、
とにかく動きを読まれないようにバラエティをもたせる
今回の試合でサントスは膝を決め打ちして失敗したりしてましたが、
失敗してテイクダウンされることを恐れずに出していくべきでしょう
後ろに下がるだけならストレート系のパンチを食らいやすいですし、
その場で迎え撃つにしても左フックと右アッパーだけでは読まれやすいです
第3にタックルとタックルが成功した時のポジショニング&パウンド、
これをサントス側も積極的に用いるべきです(言うは易しですが)
サントスは右ボディストレートを打つのは得意ですから練習さえ積めばそのタイミングでタックルを狙えるはずです
もし成功して上を取れれば肘とパウンドを狙う
第4に立ちレスでの離れ際にサントスは無防備になることが多いので
そこを狙い撃ちされないように近距離でも自分から手を出すなりタックルに行くなりしないといけません
一方的に相手に優先権を与えるのはとにかくまずいです
ベラスケスがレスリングの名手だからってサントスがタックルをしてはいけないことは無いのです
タイミングがばっちり合えばレスラー相手でもタックルは決まるでしょう
これでベラスケスが一方的に前に出るのを防ぐ手立ての一つになると思います
金網際でのクリンチ、ダーティーボクシング等に関しては自分自身良く分からないので何とも言えないですがエディさんの詳説を読む限りでは
ベラスケスにその状態に持っていかれた場合は肘(膝は体勢が悪いので出しにくいでしょう)
で活路を開くしか無いのかも知れませんね
2Rラストの肘はかなり良かったと思います ベラスケスは平気だぞ!ってジェスチャーしてましたが結構効いていたでしょう
あれがもう少し早い段階で決まってれば流れは変わったでしょうね
色々と妄想を書きましたが対ベラスケスとなると
サントスは柔術やキックの練習よりもレスリング力を少しでも向上させることが先決かと思いました
動きにバラエティを持たせる戦術の中でも最も有効手段だと個人的には考えます ベラスケスがサントス相手に打撃を向上させたように
最後にさんざん打撃を食らって顔面お岩さんになってましたし、
多少の後遺症はあるかも知れませんがサントスはまだまだやれると信じてます 向上する余地も課題も山積みですしね
>自分のような素人がトッププロに苦言を呈するなど本来は身の程知らずも甚だしいのですが(笑
削除そんなこと言われたら、このブログの存在が危うくなってしまいますw
チョークからのあの逃げ方はグラップリングの技としてちゃんとあるんですね。レスリングの発祥の技だとしたら、ヴェラスケスがとっさに使えたのも納得です。
先手を取られたのはやはり最悪でした。ヴェラスケスのスタイルだとそれを許すとズルズルいってしまう気がします。
私はあまり考えていませんでしたが、相手が優れたレスラーだからとタックルを仕掛けてはいけないということはないですね。これはMMAですし、ジョーンズをグスタフソンがTDしたこともありました。それにもしTDが成功すれば、ヴェラスケスのボトムは未知数です。あれだけ立ち上がることに優れているサントスならば、序盤にそれを仕掛けても持ち直せるでしょうし、かなりいい選択肢かもしれません。